『黒子』
彼女が無表情でテレビを見ている。休日の夕方らしく、無害なバラエティー番組の再放送が流れている。画面の中で、胸の大きなアイドルが騒いでいても、お笑い芸人がひな壇から転げ落ちようとも、彼女の表情は変わらない。オチが来るのを散々煽った挙句、CMに切り替わろうが、表情を崩さない。彼女にとって当たりのCM(若くて顔のいい俳優がスーツを着ているパターンのCM)を見かける瞬間だけ、口角がぴくっと動く。
僕は暇なので、その彼女の顔を見ている。無の境地に没入しかけた彼女を邪魔しないように、僕は自分の作業に移ることにした。
「いち、にい、さん、しい、ごお、ろく、・・」
「なに数えてるの?」
無表情のまま彼女の口だけが動いた。思ったより無の境地には近づいていなかったらしい。
「ほくろ。君のほくろの数。しち、はち、きゅう、・・」
「ねえ、楽しい?」
彼女はテレビを見る顔の位置と姿勢を変えずに聞いてくる。僕がほくろを数えている事について、咎める気はないらしい。
「君のほくろに思い入れは無いけど、数えるのは楽しい。」
「真顔で数えるのやめてくれる?どうせやるんなら、もう少しワクワクしながらやってくれない?」
「あー。それなら、もう一回最初からやるよ。」
彼女から、たってのお願いがあったので、少し工夫して数えてみることにした。
「・・、2、3、・・5、・・、7、・・、・・、・・、11、・・、13」
「ねえ、なに?その”・・”っていう間は。もしかして、また素数?何か数える時に素数だけ発声するのやめてくれないかな。」
「ああ、やめられない。素数のリズムが気持ちいい。・・、・・、・・、17、・・、19、・・、・・、・・、23、・・、・・、・・、・・、あああああ、次で最後だ。素数じゃない。素数の29まで、ぎりぎり一つ足りない。」
彼女の顔から始まり、腕や手の甲も含めて、見える位置のほくろを数えた。せっかくワクワクしながら数えたのに、彼女の顔が少し怖い。
「いいでしょ。もう早く終わらせて。」
「28。終わった。あ、28だ。28じゃないか。すごいぞ。28は『完全数』だ。28の約数は1・2・4・7・14。こいつらを全部足すと、1+2+4+7+14=28だ。ああああああ、気持ちいい。美しい。ああああ、美しいよ。完全数はとてもレアなんだ。他の完全数は6、496、8128、33550336、・・」
「はい。分かったからもう終わりにしましょう。ここにもう一つあるから。これで29個ね。あなたの好きな素数よ。」
そう言って彼女はテレビから目線を外し、顔を右に向ける。長い髪を耳の後ろにかけ、耳たぶの裏側にある1つのほくろを見せくれた。そこにもう1つほくろがあることは僕も知っていた。彼女の耳を舐めるのが好きだったからだ。
それにしても、彼女はそんな位置にあるほくろをどうやって知ったんだろう?僕以外にも彼女の耳を舐めていた男が以前にいたのかもしれない。そんな僕の妄想と彼女の耳への羨望の眼差しを遮るように、彼女は耳にかけた髪を元に戻しながら、こちらを向く。
「さあ、29個のほくろが見つかったので今日は29(にく)の日ね。それでは焼肉を食べに行きましょう。」
「完全だった28に、1つ加えるだけで、君の身体は肉(29)に支配されてしまうのか。馬鹿みたいだな。肉、食べに行こう。」
今日は何の記念日でもないが、僕らは一緒に立ち上がった。