あとで遊ぼ、もう少し待ってて
ちょっとだけ書きたいことがあったので久しぶりにテキストと向き合っている。
仕事で文章を書く機会が多いと、就業後や休みに「何か書こう」という気になれなくて、ついダラダラしてしまう。
今、ハマリにハマっているのが「風来のシレン6」仕事とは違う脳の使い方で、ストレス解消にはもってこい……なのであるが、ハマリ過ぎて、休日はほとんどコントローラー握りしめ、せっせとダンジョンに向かう日々である。このままではいけない……とは思いつつ、ついついやり続けてしまう。
これは、ギャンブル依存症に似た症状なのではないかと思う。
しかし、ゲームは一過性のものであって、ある程度やりこみすると、熱も冷めていき、そのうち離れるだろう。そう思いたい。一日6時間もやり続けるのは異常だ。
さて、そんなことはどうでも良くて、書きたいこと。
”たま”の「南風」という曲をご存知だろうか。
私は、この「南風」という曲がどうにも琴線に触れていて、聞くたびに涙が出てくる。この曲を聞くと、昔我が家にいた、金色の犬を思い出すのである。
我が家に迎え入れたときから、彼女はとても賢かったが、幼い頃はいたずらもひどかった。彼女のために時間をたくさんかけて、家族の一員として過ごすことのルールを教え込んだ。もとからの賢さなのか、それとも私達と通じ合うことができたのか、2歳過ぎたあたりから、ピタッといたずらは減って、家族の一員として、お利口さんな毎日を過ごしていた。
ドライブが好きで、窓から鼻だけ出して、外の匂いを嗅ぐのが好きだった。泳ぎが上手で、初めて行った海にも、なんの躊躇もなく飛び込んでしまい、私をびっくりさせた。油断するとどこでも泳ごうとするので、池や噴水なども注意が必要だった。
旅行もたくさん行った。旅先でもちゃんとソトヅラの良さを発揮して、立派な犬を演じていた。偉かったときはおやつをたくさんあげた。
一緒に遊ぶこともたくさんした。「かくれんぼしよう」といい、私が隠れて「もういいよー」と呼びかけても、必死に探して見つからずに、悲しそうに「キューン」と鳴いていた。犬なんだから嗅覚はどうした。
一緒に歌を歌ったりもした。「さいた、さいた、チューリップの花が……」
「ウォ、ウォーーン、ウォーーン」いつも一緒のリズムだけど、楽しそうに歌ってた。私が仕事をしていると足元で眠り、風呂にもトイレにも様子を伺いに来た。
私は彼女が大好きだった。そして、彼女も私のことが大好きだったと信じてる。
アレルギーがひどかったので、お風呂を薬湯にしてこまめに入り、定期的に獣医にかかり、ケアしていたのだが、彼女が8歳のとき、どんどんひどくなり、毛が抜けて、皮膚がただれてしまった。そのせいで感染症にかかってしまったのか、体調が悪くなり、足腰も弱ってしまった。
一人でトイレにも行けなくなり、ついには寝たきりになった。
寝返りもできない状態だったので、二時間くらいごとに寝返りさせてあげた。
「大丈夫。一緒にいるからね」
いつもそばにいた。
悲しそうな目をして、私を見つめていた。
苦しそうに呼吸する彼女にいつもの子守唄を歌ってあげた。
彼女はもう一緒に歌ってくれなかった。
静かに目を閉じて、ここでない場所に行くときを待っているようだった。
最後は、家族で看取った。
ありがとう。一緒にいてくれてありがとう。
彼女と過ごした日々は、とても楽しい日々だった。
彼女がいなくなってから、私は体調を悪くしてしまった。
俗に言うペットロスというやつなのかもしれない。
彼女がいないことに慣れていくまで、一年以上かかってしまった。
彼女と一緒に暮らしていた、気難しい黒い毛の柴も彼女の存在がないことになれるまで少し時間がかかったようだ。
その後、数年経って、この「南風」という曲を聞いた。
何度聞いても、金色のあの子のこととしか思えず、彼女がきっと私を待っていてくれると、思うようになった。
10数年経っているのに、今でもこの曲を聞くと涙が出る。
彼女は私の心のどこかをかじって持っていってしまった。どんな犬と一緒に暮らしていても、やはり彼女のことを一番に思ってしまう。
遊びまくって死んじゃったんだよね。
でも、あの世でまた、遊ぼ。
もうちょっと待っててね。
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