伝えたいことがある
たまに、伝えたいことで言葉があふれてきそうな気がするときがある。
実際には、言葉はあふれてはこないし、伝えられる明確な言葉なんて出てこない。
それでも、なんとかへたくそながら、拙いながら伝えたいことがあるのに、上手く伝えられなくて、歯がゆい気分になる。
年をとって経験を積んだと思っていても、たった一人の人を元気づける言葉をかけてあげることができない。悲しくて辛い思いをしている友人に、背中を撫でてあげられるような、そんな言葉を選ぶことができない。
なんのために、なんのために長く生きてきたのだろう。いままで誰かの心に少しでも届くような言葉を繰ることができたのだろうか?
ここ数年、ずっとそう思っていた。
「私にできること」「私にしかできないこと」そういうこともあるんじゃないかと思っていた。
でも、なんだか違う。
私にできることはほとんど無い。私は誰かのためにできることなんか無い。
「誰かのためにできること」は、本当は「自分のため」にしてることなんじゃないか。
誰かか、悲しんでいる姿を見ている自分がイヤだから、慰めの言葉をかけてあげたいのではないか。
誰かが、辛い思いに苦しんでいる姿を見るのがイヤだから、元気になってもらいたいと言葉をかけるのではないか。
ただの自己満足ではないか。相手の気持ちより自分の気持ちを優先しているだけじゃないか。
なんて傲慢なのだろう。
傲慢な自分を見返ることは、とてもいやだ。
温かい気持ちと薄ら寒い気持ちの境界線が曖昧で、何処から何処までが欺瞞であるか解らない。
でも、私はやめられない。
伝えることをやめられない。
欺瞞かもしれないけれど、悲しんでいるあなたを見ている私が落ち着かないから。
辛い思いをしているあなたを見ている私が辛いから。
きっと私の身体の中心にある、小さな核が、そうさせているんだろう。
その核を少しずつキレイに磨いていく。
揺るぎない心で、あなたに「大丈夫だよ」と笑って言える日が来ることを祈りながら。
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2006年に書いた文です。
なんとなく今の気持ちに沿っているかなと思って。
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