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I AM THAT I AM

 モーセは尋ねる。「イスラエルの民に対して、わたしに使命を授けた方の名前を何と説明すればいいのでしょうか」。神は告げる。「I AM THAT I AMという名の神が授けたと答えよ」。

 「われは在りて在るもの」というのが一般的な訳だが、神様それじゃあ謎掛けのようではありませんか! ところが、この神の名について明確な解釈を与えている人がいる。霊覚者エドガー・ケイシーは、高次からの情報を得ることができたのだが、そのリーディングの中でこのように述べている。

 ゛最初の I AM は自己の内なる霊を表し、次の I AM はより大いなる霊、つまり神を表している。つまり、I AM THAT I AM は、神の属性をあますところなく反映したところの自己(神我)を意味する。あるいは自分 ( I AM )という個でありながら、全体 ( THAT I AM )と一体であることを意味すると考えることもできる。”(「神の探究」の第二課の注釈より)

 これを読んで、肺腑を衝くような喜悦を感じた。やっぱり、それ、、は真理なのだ! 神道で言うところの「大御霊おおみたま」「分御霊わけみたま」と全く同じ概念である。仏教でも、すべての生き物は生まれながらに仏心を持っているとされる。自分と大いなる創造主との関係性は、日の光と太陽の関係であるという話も聞いたことがある。本質的には同じということだ。

 「汝の隣人を汝のごとく愛しなさい」。これはケイシーがよく聖書から引用する教えで、律法の中の律法だとしている。私が日の光であるならあなたも日の光。あなたもわたしも根源は同じ太陽。わたしはあなた。あなたはわたし。そう思えば、隣人を愛することは難しいことではない。みんな神の子なのだから。

 目を閉じて、呼びかけてみる。I AM THAT I AM 。一縷の光が天から降りてきて、私を金色の粒子で包む。私は引き上げられる。ベッドを離れ、オークランドの上空へ、ニュージーランドの島が見え、さらに上空へ。北半球には日本列島。そしてさらに外へ。そして私は見ている。地球全体を。大きな私は、地球をやさしく回す。I AM THAT I AM 。大きな私も小さな私もわたし。

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