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祈りとチャクラ

  ”フツー”の人には見えないものが、見える人がいる。お化けや幽霊なんて、物語の中だけの存在と思っていた私は、中学の林間学校で衝撃を受けた。部活の友達Aちゃんが、青白い顔を私に寄せてささやいた。あそこの窓の外に女の人が立っている、、、えっ、どこ?誰もいないけど、と私。その時はそれで終わって、すぐに夕食の時間となった。ご飯の時、隣に座ったクラスの友達Bちゃんが、ちょっと興奮気味に私にこう言った。「さっきさ、あの廊下の先の窓のとこに、幽霊いたんだよ。女の人でさ、髪はこのぐらいでさ、白っぽいワンピース着てた。」AちゃんとBちゃんは友達同士ではない。Aちゃんを捕まえて、見たというその女の人の外見を聞くと、まったくBちゃんと同じことをいうではないか! 戦慄が走って粟立ったのを、今でもよく覚えている。

 大人になって、スピリチュアルに興味を持ちだすと、オーラが見えたり、所謂”あの世”にいる方々や、動物や昆虫、木や草とも交信できるという友人知人ができた。そんな話をしょっちゅう聞いていると、もはや、中学生の時に感じた恐怖はなくなり、自然のことのように思えてくる。むしろ、羨ましく思った。誰でも訓練すれば、オーラが見えるようになるということを聞いて、練習してみたりもしたが、未だ、私のその能力は開花されていない。

 20世紀最高の霊覚者の一人であるといわれるエドガー・ケイシーのところには、私もあなたのような霊能力を持ちたいのだがどうしたらいいか、という相談者が何人もきたそうだ。ケイシーは言う。霊能力を持つよりも、霊格を高めなさい、と。さらに、人生にとってもっとも重要なことは、肉体生活を送りながら、精神的・霊的に成長し、究極的には神の共同創造者になることだと。そのためのテキストとして編まれた「神の探究」に触発された私は、”見える”友人を羨ましく思うことをやめ、自己の精神的・霊的成長を目指すことに決めた。

  前回の記事で、「主の祈り」の中の言葉は、体の中の霊的中枢に対応するということついて触れた。霊的中枢とは、肉体における霊的エネルギーの出入り口、チャクラとほぼ同義語と言えると思う。 「主の祈り」を唱える前に、私はまずチャクラを整える。そうすることで、より祈りの言葉がしっくりとチャクラに馴染む感じがするからだ。チャクラの説明を縷々ここで述べることは省くが、関連する色について少し言及しておこうと思う。

 人間が肉眼で感じることのできる光線(可視光線)は、赤から青紫まで。この色の違いは、波長の長短の違いによる。赤より粗い波長になると赤外線。赤の外の線。反対に、紫より細かい波動は紫外線。つまり、色は波動であって、個々の色にはその色の周波数があるということ。黄色には黄色の、緑には緑の波動があり、それぞれ違う周波数だから違う色に見えるわけだ。

 チャクラの数は、基本的には全部で7つ。場所は、1番目は会陰部(肛門と性器の間)、2番目は丹田(へその下辺り)、3番目はみぞおち、4番目は胸部の中心、5番目は鎖骨の間のくぼみ、6番目は眉間の奥、7番目は頭頂部、と言われている。エネルギーセンターであるチャクラは、そのチャクラ毎に性質が違い、各々独自の周波数を持っている。そして、驚くべきことに、それぞれのチャクラと同じ周波数を持つ色が存在している。第1チャクラには赤色、第2には橙色、第3は黄色、第4は緑色(または桃色の場合もある)、第5は明るい青色、第6は藍色(深い青)、第7は紫色(白の場合もある)。波長が一緒なのだから、密接な関係といえるはず。第4チャクラをイメージして、と言われてもそれだけではなかなか難しい。でも、輝く緑色が胸のあたりに広がるイメージと言われたら、想像できる。チャクラを整えるとは、本来のそのチャクラの持つ波動にきちんと合わせるということ。乱れた波動を整えるには、共振の原理を用いればいい。小学生の理科で、音叉を使った実験を覚えている方もいるかもしれない。同じ周波数の波は、共鳴するのだ。緑色のイメージが、緑色の周波数を出し、第4チャクラを本来の周波数へと導くと考えられないだろうか。

 まずはやってみる。これが私の基調。<大いなる意識>に近づこうとする意図を保ちつつ、会陰部にある第1チャクラから順に、各チャクラの色を思い浮かべながらそのチャクラに意識を向け、ゆっくり呼吸を繰り返し、第2チャクラ、第3へと進んでいく。頭頂の第7チャクラまで行ったら、さらにその上、天からすーっと光の筋が降りてきて、白く輝く粒子に自分が包まれるところを想像する。ケイシーによると、ある特定のイメージを心に思い描くことによって、実際に、わたし達の内にそれが創られるという。想像が創造するのだ。

 私にはオーラもチャクラから出入りするエネルギーも見えない。しかし、この祈りの前のチャクラ整調法をすると、なんとも言えない幸福感に満たされる。この幸福感こそ、自分が浄化され、全身のエネルギーが整ったという証左ではないかと思える。

 次回は、いよいよ「神の探究」の第一課、「協力」について考察していきたい。

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