【小説】 旅草 —埜良の秘密
一頁
からっと肌寒い夜。見上げれば、たくさんの星々が瞬いていた。月は満月でもなければ、三日月でもなく、半月でもない。名前のつかない、中途半端な形をしていた。中途半端な形でも、その輝きは満月の時とそう変わらない。
さすがは玉兎の星だ。
アタシは船縁に腰を降ろし、空を眺めていた。
皆はもう寝静まっている頃だろう。それでも船は進んでいる。虹色隊の夜班のやつらが夜の操舵を担っているからだ。虹色隊は、恵虹の色の力に作られた、言わば下部だが、恵虹はやつらの気をも思い、丸一日働かせっぱなしなんてこともしない。
こんな優しいやつ、この世にも珍しいだろうな。
「埜良さん?」
噂をすれば。目をこすりながら恵虹が近づいてきた。
「恵虹、起きたんだ」
「目が覚めたので。埜良さんこそ、眠らないのですか?」
「……あんまり寝たくなくて」
「睡眠不足は体に毒ですよ」
「ん〜でも、嫌なんだ。いい夢見なくて」
「夢ですか?」
「アタシの前世の記憶が流れてきて、それがとっても辛くて」
すると恵虹は、アタシの隣に腰を降ろして言った。
「お話だけでも聞きますよ」
「……聞いても信じられないと思うよ」
と俯くアタシ。するとアタシのひざから、ポッとお花が生えてきた。お花の真ん中には顔があって、バカみたいににっこり笑顔をしていた。
「るんるん、るんるん、楽しいな ♪ 君も明るくなりなよ。暗いとお花は萎んじゃうんだぞ!」
じゃあ、なんで真夜中に咲いてんだよ。
「何これ?」
「お花丸です。可愛いでしょ?」
恵虹は笑いながら言った。
「全然。むしろ、ムカつくよ」
「まあ、こんなことだって出来てしまう世の中です。ありえないも何もないでしょう」
「……コイツよりかはずっと規模のデカい話なんだけど、アタシってね、二つの魂が入った状態なんだって」
「二重人格ということですか?」
「……たぶん」
「ですが、その印象は見受けません」
「それは二人が似ているからだと思う」
アタシは話を続けた。
二頁
アタシの中にある二人の魂。一人は静花、もう一人は雷疾という、まだ十年ちょっとしか生きれなかった若い魂だ。
まずは静花の事情から。静花は、霊人族の名家である稲光家の娘だった。静かな花。その名前が付けられた通り、父親は静花に静かで従順であれと教えた。
静花だけではない。稲光家は、男子二人、女子三人の五人の子供に恵まれた。静花は次女として生まれた。
名家の大黒柱である父親は、子供たちを厳しく躾けた。
男子には、どんなに厳しい試練を課されても決して弱音を吐かず屈強でいること。
女子には、父親や兄弟の男子には従順でいて、常に身嗜みを整え、家事を完璧にこなすことを求めた。
もし少しでも息子が弱音を吐いたり、娘が身嗜みや料理、掃除などの家事に不備が見られたりしたら、厳しい鉄拳制裁が下された。
父親は、家族に厳しい分、自分の仕事に対する姿勢も厳しかった。朝早くに起きて仕事に向かい、帰ってくるのは暗くなった頃。その間の子供たちの監視、指導は母親が担った。
母親もまた、子供たちを厳しく躾けた。子供たち、特に娘に、自由な時間などなかった。
静花は、窮屈で、のびのびと生きれない環境が、嫌で嫌で仕方なかった。息がままならないほどに苦しかった。
時々、親や兄姉の目を盗み、家を抜け出して、他の子どもたちと遊んだ。
男の子とも、女の子とも遊んだ。男の子とは、ちゃんばらやメンコ、鬼ごっこなどの活発な遊びを。女の子とは、おままごとやお手玉、手鞠などの可愛い遊びを楽しんだ。
他の子たちよりも早く切り上げるか、母親や兄、姉に見つかって、連れ去られるかして家に帰ると、待っているのは地獄の一択。
まずは母親にぶっ叩かれて、その後父親にも伝えられて、さらなる制裁が下される。その際に、少しでも反抗的な顔を見せれば、よけい怒って、さらに制裁が加えられる。
ここまで痛い思いをしても、抜け出すことを止めなかった。
ここまで痛い思いをしたからこそ、こんな家から逃げ出したかった。
結局見つかって、連れ帰られて、制裁が加えられる。
静花はいつもボロボロだった。顔も心もボロボロだった。
どれだけ制裁を加えようとも、一向に改心しようとしない静花に、父親は失望を重ねた。
「お前をそのような野良娘に育てた覚えはない」とまで言われた。他の家族からも「野良娘」「野良妹」と呼ばれるようになった。
十五の歳になったある日。また、家から抜け出した罰として、手足を拘束し、口も塞いで、誰もいない部屋に長時間監禁されていた。当然、食べ物も水さえも与えられていない。
心は完全に折れ切っていた。もはや粉々に砕けているまでにあった。
涙も完全に枯渇していた。瀕死状態になって、生気のない目だけがただ開いていた。
もう、自分の力じゃ逃げ出すことが出来ない。そんな気力も体力もない。
大人たちは皆、神様にお祈りをして、神様の持つ特別な力を与えられている。髪を様々な色に染めて、与えられた力を生活に役立てている。
静花の父親も兄たちも、髪を黄色くして雷の力を得ていた。
三頁
「女が神様に祈りを捧げてはならない」と父親から言われていたため、母親も姉も、静花も妹も、神様に祈ることはしていない。でも、家出した先で一緒に遊んだ子どもたちの母親は、皆髪《かみ》を黄色や青色に染めていた。
そもそも父親のいうそれは、実際に神様が言っていることなのだろうか。
父親が勝手に言っていることなのだろうか。
実際に神様が言っていることであるのならば、あの母親たちが力を得ているのは、いけないことではないか。でも、誰も「悪いこと」なんて少しも言っていなかった。
ならばもしや、静花が祈ることも「悪いこと」ではないのかもしれない。
静花は心の中で手を合わせ、心の中で祈りを捧げた。
(神様、おねがいです。わたしに力をお与えください! おねがいします。わたしに、わたしを……助けてください!)
すると、なんだか身体がほんのり熱くなったのを感じた。静花を拘束していた紐や手拭いの結び目が焼き切れ、静花は開放された。
閉じられた障子が、コンコンと叩かれた。静花が障子を開けると、現れたのは妹と年端の近い、黄鬼族の少年だった。
「やあ!」
「……キミは?」
少年は名乗ることなく「おいで」と静花の手を取り、引っ張った。
庭に出ると、そこには大きな虎がいた。ぱちぱちと黄色く光っていた。
少年と静花は、虎の背中に乗った。
「いくよ!」
少年が言うと、虎のぱちぱちはさらに大きく激しくなって、遥か彼方へ飛んでいった。
稲光家の邸宅がある町のすぐ横にある山の中。虎が足を地に付けると、その近くにあった洞窟に進んだ。しばらく進んだ先にあったものは、静花の目をとりこにした。
鮮やかな青緑色の宝石のような美しい泉が広がっていた。
なにこれ、きれい。
泉の辺りには、ぱちぱち輝くきれいなきのこが沢山生えていた。
「ここまでくれば、もう安心だよ」
少年は言った。
「え?」
「オイラの名は、雷疾。この山に住んでんだ」
アンタの名は? と尋ねられた。静花は喉がつかえた。自分の名前は好きじゃなかったからだ。静かな花なんて、自分の性じゃない。
「私の名前は——……ノラ」
代わりに、蔑称としてあの言葉を名乗った。こっちの方がマシだった。
「そおか。カッコいい名前だな」
雷疾のこの言葉に、ノラは心を打たれた。
すると大虎が、黄鬼族の男に姿を変えた。これで彼は神様だということが分かった。
泉の水面に映るノラの髪は、山吹の花のような色に変わっていた。
「ノラ、よくぞ祐けを求めてくれたな。おかげで其方を祐けることができた。どんな苦しい目にあっても最後まで諦めなかった其方は、立派な子じゃ」
雷疾も「アンタ、すごいな」とノラを称えた。
四頁
今まで溜まりに溜まっていたものが一気に弾けたかのように、ノラの目から涙が溢れ、その場で泣き崩れた。
それからは、一切の気兼ねもいらない、心から笑える日々がやってきた。
山の中を雷光の速さで駆け回って、山の中を探検した。きれいなお花にときめいたり、可愛い小動物に癒されたり、獰猛な熊に会って必死に逃げたりと、新鮮な出来事が沢山で、とってもわくわくした。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてのことだろう。山の中にはノラを殴ったり、睨んだりする人は誰もいない。危険生物なら沢山いるが。
雷疾は、ノラの二つ下の十三歳。けれど、山の中では雷疾の方が幾分上の大先輩だった。花や草木、鳴いている鳥や捕らえた動物の名前や釣りのやり方、毒キノコの見分け方など、森のことならなんでも知っていた。
雷疾は、生まれてすぐにその山に捨てられたのを雷の神・鳴虎に拾われ、山の中で育てられた。言葉の読み書きや色んな名前も、全部鳴虎が教えた。
ノラがやってくるまでは、ずっと一人で山の中を駆け回っていた。
ノラとの出会いは、無彩の世界が色づいたように、雷疾の心をはずませた。
こんな楽しい時間が永遠に続けばいいのに。
ノラも雷疾もそう思っていた。
しかし、この世界は残酷だ。
ノラが家を飛び出して一週間が過ぎた頃。感覚の鋭い雷疾が、誰かに監視されているのに気付き、「だれだっ!」と石を投げた。石は避けられ、その者はすぐさま身を消した。
「どうしたの?」
「見られてた」
「! 誰に?」
「さあ。でも、人間なのは間違いない」
そう言われた時、ノラは心がざわついた。嫌な予感がしたのだ。
「まさか……」
翌日、雷疾とノラは、秋桜が咲き誇る秘密の花園を訪れた。
ノラが花にまとわりつく蜜蜂に視線を注ぐ横で、雷疾が花を摘み、その花で冠を作っていた。
冠が完成し、それをノラの頭に乗せた、その時だった。
「やっと見つけたぞ、静花!」
現れたのは、ノラの父親。父親の激しい怒鳴り声に、ノラが見ていた蜜蜂が遠くの方へ行ってしまった。
父親はズカズカと秋桜の花を踏み倒しながら、娘に近づいていく。
「全くお前は、素行の悪い野良娘だ! 神に祈ったのか? 女が神に祈ってはならんと言っただろう!?」
震え上がるノラ。雷疾がその前に手を伸ばして、父親を威嚇するようにギロっと睨んだ。
五頁
「んなこと、誰が言ったんだよ」
「良家の常識だ。貴様がうちの娘をたぶらかした誘拐犯だな?」
「監禁傷害犯が何言ってんだ?」
「あれは躾けだ。うちの規則を破ったその罰だ。余所者が口を挟むな」
「いけねぇの?」
「貴様には関係のないことだ!」
「知るかよ。オイラはアンタに、ずっと言いたかったことがある。リョーケだか、キソクだか知らねーけどな、子どもの顔に、傷をつけるなよ!!!」
こんなに怒っている雷疾は初めて見た。ノラの目からは、ほろほろと涙が溢れた。
「ノラ、先に逃げてて」
「え?」
「オイラはあのクソ親父をぶっ飛ばすから」
「えっ!?」
「大丈夫!」
そう言う雷疾の顔は、いつもの優しく活発な顔だった。
「さあ、行って!」
「……うん」
ノラは、言われた通りに花園から離れた。花々を分けつつ、超高速で。
花園を抜け、森の中に入ったノラは、一旦立ち止まって一息ついた。父親をぶっ飛ばすとか言っていたが、雷疾が敵う相手だろうか。
ふと周囲に目をやると、見覚えのあるキノコを見つけた。純白が美しく、可愛らしいキノコで、見た目は気に入っていた。
そのキノコをよく見るために屈んだ、その時だった。
パァン!
花園の方から、凄まじい音が鳴り響いた。その玉響、ノラの頭にのっていた花冠がポトリと落ちた。奇しくも、白いキノコを取り囲むように。
この花冠を見たノラは、顔が真っ青になった。
ノラは慌てて花園に戻った。
雷疾は父親の目の前で、倒れていた。
「雷疾!」
ノラは瞬間的に飛んで、雷疾の側に駆け寄った。
玉の緒はすでに絶たれていた。
悲痛と絶望に喘ぐノラ。「家に帰るぞ」と父親がその手首をガッと掴んで引っ張る。
「触るな!!!」
激昂したノラは、叫ぶと同時に凄まじい量と勢いの雷を噴出した。雷の力を賜る父親には、雷の攻撃は通用しない。しかし、高熱の雷が放たれたことにより、秋桜の花々が炎を上げた。
衝撃のあまり、手を離した父親。ノラは、緒の絶たれている雷疾の体を抱きかかえて、父親から距離を取った。
「静花!」
六頁
ノラは涙にまみれた顔で、父親を睨み、訴えた。
「……雷疾はね、辛い日々を送っていたアタシに、救いの手を差し伸べてくれた恩人なんだよ。この山に来てからもいっぱい優しくしてくれて、とっても楽しくて、雷疾は本当の家族のような、掛け替えのない存在だったの。それを奪われて、また辛いだけの家に戻るくらいなら——アタシは……」
ノラは、着物の内側に手を入れて、何かを取り出した。それは、真っ白いキノコ。先ほど森の中で見つけたものである。
『わあ、キレイ!』
『こりゃあ、昇天茸だな。超やべー毒キノコだって』
『毒キノコ!? こんなにキレイなのに』
『食《く》ったら、即昇天しちまうって話だぜ? キレイなモンには大抵毒があるってのは自然界の常識さ』
ノラは、そんなヤバい毒キノコを口の中へ放り投げ、自らの玉の緒を絶ち切った。
そして、雷疾の後を追いかけたのである。
こうして、静花と雷疾の短い人生が終わった——かに思えたが、視界はまた|開かれた。
首を撃たれて絶えた記憶、毒キノコを食べて絶えた記憶、それ以前の記憶を持ったまま。
あれ? 死んだはずじゃ……。
そう思うと、目の前には黄鬼の男の姿をした鳴虎が現れた。
「鳴虎……死んだんじゃないの?」
「ああ、お前たちは確かに死んだ。だが、お前たちに情を寄せた神々の願いにより、お前たちの二つの魂は合成され、新たな生命に転生した」
転生したのは、黄鬼族の女。その時の年齢は三歳で、すでに雷の力を与えられていた。
驚かないわけがなかった。なんで合成なのか。なんで最初っから三歳なのか。ここはどこなのか。
それから鳴虎は、あの時に祐けられなかったことへの謝罪を口にした。
もう過ぎたことだし、今更不満を抱いたりしなかった。
それよりも、新しい人生をどう生きるかで頭がいっぱいだった。
「ねえ、あなたはだれです?」
七頁
驚いて振り向くと、そこには月のような淡い黄色髪《がみ》の、かわいすぎる女の子がいた。
これが葉緒との出会いだった。
「これで全部わかったよ。アタシが神月に誕生した理由も、当時の葉緒と同じ三歳だったのもね」
ここまでを話して、恵虹の顔を見てみると、案の定、大号泣していた。
「そういえば、あの事件は今からちょうど二十年前のことになるのか。恵虹はもう生きてるね」
「はい、当時は六歳でした。埜良さんが話してくださった過去については、私も関心を寄せており、よく調べていました。惨事の舞台となった雷鳴山にも足を運びました」
「えっ、そうなんだ」
「私の三つ目の力で、お二人が山の中で過ごしていた様子も、秋桜の花園で起こった事件のことも、全て拝見していました」
「えっ、じゃあ、アタシが話したこと、もう全部知ってたってこと?」
「は……はい。ですが、まさかここでその話が出てくるとは、思いも寄りませんでした」
「過去のアタシが、家族から『ノラ』って呼ばれていたのも知ってる?」
「そのような話も書いてありましたね」
「どこに?」
「新聞です。かなりの大事件でしたので、当時も大々的に取り上げられました。雷鳴山で火事が起こったこと、その中で、四人の遺体が発見されたこと、そのうちの一人が霊人族でありながら、黒鬼家に仕えた有力な武将であった、稲光雷鐵公であったこと」
え……死んだの?
「不思議なことに、同じ現場で発見された四人は、それぞれ死因が違うのです。火災によって焼け落ちたのは雷鐵公のみで、少年の方は首元を銃で撃たれ、、少年を狙撃した忍びは、雷に撃たれ、そして少女は昇天茸を食べたことによって、命絶えました。
これはただの山火事だけでは終わらせることはできないと、この事件に関心を持った記者が取材を重ね、その記録が載った新聞が後に刊行されました。
その新聞を読んだ母が涙を流していたのを覚えています。母は私と違って滅多に泣かない人ですから、衝撃でした」
だから当時六歳の恵虹が、そんなに関心を持ったのか。
「そんなに知ってるなら、なんで初めて聞いたみたいに泣いてんのさ」
「あれはいくら聞いても堪りませんよ」と決まり悪そうに言った。
まったく、優しいんだから。
「しかし驚きです。私が関心を寄せていた二人の生まれ変わりと、こうして話ができたのですから」
「たしかにね〜。アタシも驚いたよ、まさか転生って。しかも、一つの人体に二人の人格が入ってるんだよ!」
「この世は稀有なことに溢れています。運命の神様のイタズラですかね」
するとその時、辺りは漆黒の靄に包まれた。
月の光をかき消すほどの、真っ暗な闇。
嫌な予感がした。この状況でしないわけがなく、アタシと恵虹は周囲を警戒した。
八頁
「ハァッ!」と、アタシの雷の光で辺りを照らした。
明るくはなったが、真っ暗闇は消えない。
ポトン。甲板に、何かが落ちてきた。それは、真っ黒な箱だった。
二人で近づいてみると『開けろ〜開けろ〜』と頭の中で声が響いた。
恵虹も同じようで、しかしどう見ても怪しい。躊躇したが、あまりにしつこくうるさいから、開けた。
中からは、また真っ黒な靄が現れた。恵虹共々その靄を浴びると、急激に意識が朦朧とした。
『ようこそ。呪いと狂気の夢の国、千輪桜へ』