砥峰高原・立雲峡紀行(2023年10月)
吟行に誘われる
俳句をやっていない人でも「吟行」という言葉を一度は耳にしたことがあると思う。俳句をやっているという理由だけで全国から老若男女がわらわら集まって、観光名所などを巡ったあと、そこで見た景色や体験から作品を作って、作者を伏せて評価し、あーだこーだ意見交換をし、解散するというイベントである。
普通は市内くらいの範囲で、10~20人くらいが昼過ぎに集まって3~4時間で解散するくらいの規模のものが多いのだが、俳句結社が開催するものになると、バスを借り切って団体で泊まりがけのツアーになることもある。
今回は兵庫県の丹波篠山在住の俳人、竹田むべさんに招かれ、関東・近畿・中国地方から9名の俳人が集結した。
むべさんには去年も丹波篠山で吟行会を開いていただいた。余裕があればこの回のこともいつか旅行記にしたい。
今回巡ったのは主に下記の名所。
砥峰高原
立雲峡
竹田城跡(別名「虎臥城」)
勿論、お目当ての季語がある。「芒原」「雲海」などである。どちらも俳句に詠んだことはあるが、実景を見たことがないので楽しみだ。「芒原」も「雲海」もほとんどの人は一生縁がないかもしれないが、恐竜や幽霊船などの非現実的なものと違って、その気になれば見に行くことができるのである。問題は行くか行かないかだ。
今回は一泊二日で昼に集合して翌日の昼に解散する、26時間くらいの弾丸ツアーである。
姫路
目的地は兵庫県の中心部である神戸の北西。新幹線は姫路駅で下車した。在来線に乗り換えれば下車する必要はなかったのだが、折角姫路を通るので見ておきたいものがあった。久しぶりに来た姫路駅はすっかり様変わりしており、改札を出ると目貫通りの向こうから姫路城の凜々しい姿が目に飛び込んでくる。これこれ。
さすが世界遺産だ。すでに焼失していて、今の張りぼてに毛が生えたような岡山城とはわけがちがう。隣県の民として劣等感を覚えながら、昼食をとって直ぐに鉄路で北へ。
句友たちと合流
兵庫の吟行会は昨年も開催されており、メンバーはほとんど同じである。
【メンバー(五十音順・敬称略)】
青居舞、大槻税悦、キートスばんじょうし、くま鶉、竹田むべ、太平楽太郎、露草うづら、トウ甘藻、そして筆者の彼方ひらく。
全員、俳人としての「俳号」を名乗っているので本名ではない。ハンドルネームかペンネームのようなものだ。
待ち合わせていた句友たちと駅で旧交を温め合う。とはいえ、半数以上は最近も、というか先月も松山の俳句イベントで会っている。遠い親戚より、遠い句友の方が会う機会が多いから不思議だ。くま鶉さんから、ひなた短編文学賞のMFU受賞おめでとうございますとお菓子をいただく。今回の受賞で人から祝ってもらったことはあっても、プレゼントまでもらったのは初めてである。うれしいことだ。
今回のメンバーは9名全員、夏井いつき先生を慕う俳句集団「いつき組」の組員である。個人情報なので詳しくは書かないが、今回の年齢の幅は多分20才くらいで、これでもあまり広くないなと思う。いつき組自体は3才から90才くらいまでの組員が所属しているのだから。
みんなの本名はろくに覚えていないが、大体の職業を知っているので、改めて様々な職種の専門家の人を含んでいるなと思う。それに、合唱団の指揮をやっていたり、野鳥の保護活動に努めていたり、アイドルの追っかけだったり、俳句以外にも趣味を持っているユニークな人たちだ。これほど多彩な人たちが、普段なかなか見られないものを観に行って銘々に俳句を詠むわけだから、吟行句会が面白くならないわけがない。
と、ハードルを上げておいてなんだが、句会で見た参加者の俳句は公表厳禁なので、読者諸氏にお見せできない。予めご了承いただきたい。吟行会が旅行記に向いているのかいないのか、読み終わったら分かると思います。
砥峰高原へ
主催者の竹田むべさんの他にも大槻税悦さんが車で来ており、お二人のご厚意で、車2台に乗り込んで最初の目的地である砥峰高原へ連れて行ってもらう。
平地よりも秋が深まっている標高800m強。天気予報では明日の最低気温が8度で、みんな警戒してダウンジャケットなど本格的な防寒着を持ってきていた。ところが、全天曇っており、自動車の気温計を見ると、日中にもかかわらず、いきなり8度を示している。この標高だと平地よりも5度ほど低いが、それにしても冷える。全員着ぶくれて繰り出した。
砥峰高原は芒の一大群生地として有名だ。芒原の中に設けられた遊歩道に入ると、穏やかな風が銀の帯を撫でつけながら通り抜けていく。途中に小高い展望台のある、一週あたり3.1kmのコースだ。
電池がない
ところでコンデジを起動してみたら、電池がない。予備のバッテリーに替えてみると、こちらも電池がない。電池残量0の警告が出てからも1~2分使えるので、コンデジは要所だけを撮影することにして、後はスマホで撮影した。アルプスの山中で現金がないのに比べればなんともない。
過去に村上春樹原作の映画『ノルウェイの森』を皮切りに、 NHK大河ドラマ『平清盛』や『軍師官兵衛』、GARNET CROWのミュージックビデオ等々のロケ地になっているとのこと。僕はどれも見たことがないが、好きな人なら○○の聖地として盛り上がれるかもしれない。
僕らは俳人らしく、芒を観察して、風がやんだときの穂の向きや、人を傷づけかねない葉の鋭さなどを確認した。遊歩道は窪地の周りに輪を描いている形なので、先頭のグループとSNSで連絡を取った人が、お互いに手を振りながら反対岸から写真を撮るという、微笑ましい一幕も。
よく夏井いつき先生に(俳句よりも)挙手のときの腕の挙げ方を褒められるが、こんな感じだったのか。っていうか、みんな手を振ってるのになんで挙手?
天為×人為
ここからちょっと、地学や日本の近代史を交えて話をさせていただきたい。砥峰高原は大自然の地形輪廻、植生遷移に人間の営みが加わって生まれた偶然の産物と言える。
「○○高原」という場所はどこにでもあるが、こんな不思議な形の丘陵には、なかなかお目にかからない。砥峰高原の斜面は「化石周氷河斜面」というやつである。もう一度書こう。カセキシュウヒョウガシャメンである。
太古より、陸地は地底や海底から吹き出すマグマが冷え固まって生まれ、気の遠くなる歳月をかけて氷河や河川に削られることで形作られてきた。
地質学的には最近の、新生代の第四紀(260万年前~現代)のことである。地球は短い周期で寒くなったりほどほどに暖かくなったりする時代を繰り返していた。砥峰高原では岩石の割れ目に入った水が凍って膨張することで、あちこちで岩が砕け始めた。砕けた凸部分が温暖な時代に水と一緒に流れ、凹部分を埋めることを繰り返したので、やがて尖っていた山も、起伏のゆるやかな地形へ変化していったのである。ところが、地形の変化は自然の力だけでは終わらない。
もっと最近のこと。このような地形なので一面が芒原になり、中世の日本人にとって、茅葺きの屋根に使うための茅を採取するのに大変都合が良かった。しかし放っておくと萱場(芒原)が森林化して芒がなくなってしまうので、人々は山焼きを行うようになる。ちなみに「山焼」は春の季語である。
江戸時代は中国地方を中心に「たたら製鉄」を盛んに行っていた。製鉄のためには原料の砂鉄が必要だ。砥峰高原でも水路を作って土砂を流し、土砂の中から砂鉄を採取していた。いわゆる「鉄穴流し」である。
砥峰高原に不自然に小さな丘が点在するのは、風化が進んでいない岩石は硬すぎて当時の人たちが削り取れずに残された部分であり、谷筋のようになっているのは水路の痕跡なのである。「砥峰」、砥ぐ峰という名前の由来はこの辺りにありそうだ。
そして明治時代に入ると、旧日本帝国陸軍が軍馬の放牧地に使い、馬を逃がさないように土塁を築いた。現在は景観維持のために毎年、3月に山焼を行っているが、土塁は延焼を防ぐのにもちょうどよいようである。
このようにして令和の今も、我々の前に広大な秋の季語「芒原」が広がっているというわけなのだ。「流氷」「渦潮」「雪渓」「お花畑」のような地理系の季語は、地球温暖化を別とすれば直接的には人間の影響を受けずに存在するが、「芒原」は事情が異なるのである。
砥峰高原には「とのみね自然交流館」という建物があり、食事処がある。お土産も売っているし、目の前で炭焼きにしている串団子なども売っていて、ここで一息つけた。
昼から天気が悪かったのだが、帰ろうかという頃には晴れ上がり、目映い金色の芒原を拝むことができた。こうなると、曇りの芒原と晴れの芒原の両方が見られて良かったと思うのが俳人である。
与謝蕪村の門人で賀瑞という女性の「花ならぬ身とな思ひそ薄の穂」という句は、「花ではない身とは思わないでおくれ薄の穂よ」という意味。日本最古の和歌集『万葉集』(奈良時代)では山上憶良が秋の花の一としているし、季語でも「花薄」「尾花」などがある。植物学的には、白くなっている部分は実である(花は初秋の頃の、ちらちらした赤い部分)。
西洋で侵略的外来種になっている植物と言えば葛が有名だが、芒も同様である。西洋の詩では、芒はどんな風に詠われているのだろう。俳句における背高泡立草のような感じなんだろうか。
夕食
むべさんが手配してくれたお店へ。本来は数千円のコース料理の予約が必要だったようだが、広い部屋が貸切な上に、個々に料理を注文することができた。
このお皿の肉は結構重なっていて、1,800円でかなり但馬牛が堪能できた(陶板に塗る油はバター)。サシの入っている肉と、比較的赤身の肉が分けて置かれている親切さ。中央、丹波の黒枝豆が入っていて嬉しかったが、去年竹田むべさんに連れて行ってもらった農家さんの豆畑で買ったものの方が美味しかったかな。黒枝豆は粒が大きいばかりか、こくと味わいがあり、一度食べると普通の枝豆では満足できない身体になってしまうのでおそろしい。
一日目の句会
この日我々が宿泊するホテルは壁紙がどこもかしこも金と銀の瑞雲模様、あたかも雲海ホテルといった趣である。ホテルのロビーで許可をもらって句会を開催した。10月~11月は雲海シーズンで、しかも土曜なので満室になっていたが、明日に備えて早めにチェックインして就寝している人ばかりなので、お客さんの気配がほとんどない。
おやつ交換会
まずは、いつき組句会名物(?)のおやつ交換会が行われる。自然と全国からお土産のお菓子が配られるのだ。今回いただいたものから一部を例に挙げる。
・阪神とらの巻(一粒栗とお餅入)※兵庫
・いかり アーモンドラスク ※兵庫
・春日鹿まんじゅう かのこ ※奈良
・お濃茶ラングドシャ「茶の菓」 ※京都
・ぴよりんかたぬきバウム ※愛知
・Kummite プチ ※埼玉
(桜えびレモン、トマトペッパー等のオシャレおかき6種)
その他、名刺とお菓子の詰め合わせなどなど。どの人にも会ったことがあるので名刺自体はもらったことがあるのだが、たまに名刺が新しくなる。俳人の名刺には代表句が記されているので、名刺が新しくなれば句も新しくなるので楽しい。
可愛い。可愛すぎる。この饅頭、調べたところ牡鹿(オス)と牝鹿(メス)の2種類があるらしい。いただいたものは角がないから牝鹿(メス)のようだ。実に芸が細かい。
対して僕が持って行ったのは、チーズサンド煎餅のえびめしコラボというよく分からない代物である。岡山県と香川県は瀬戸内海を挟んで緩やかに文化圏を形成していて、ローカルテレビなどが同じである。この商品は、香川県に志満秀という海老煎餅メーカーがあり、自社の製品で「えびめし」という黒いチャーハンのような岡山県のB級グルメの味を再現しているものだ。自分でも食べてみたが、チーズに黒胡椒が利いていて香ばしく、なかなか美味しかった。確か、えびめしに黒胡椒は入っていなかったが、これ以上考えるのはよしておくとしよう。……逆コラボで「清水白桃うどん」とかないんかな。
肝心の句会の結果
砥峰高原の吟行から、1人が2句出しのコンパクトな句会。せめて3句出しにしてはとしつこく言ったが聞き入れてもらえなかった。あれだけ吟行したのに、とても勿体ない。
普通の句会のやり方だと、まず短冊(縦長の長方形の紙)に参加者がそれぞれの俳句を書く。それから、その短冊を別の人が書き直す。誰が作者なのか筆跡が分らないようにするためだ(作者が分かると評価しにくくなる)。しかし今はそういう手間は必要ない。我々の敬愛する野良古さんという才人が一人で作り上げた『夏雲システム』というシステムを無料で使わせてもらっているので、スマホがあればどこでも句会ができるのだ。竹田むべさんが呼ぶところの「手のひら句会」である。
今日の1位は太平楽太郎さん。僕は玄人好み(かもしれない)句と初心者受け(しそうな)句を出してみたところ、それぞれ5点と0点。玄人ばかりで初心者がいなかったということですね! まぁ、平均得点が4点の句会なのでぼちぼちだ。
結果一覧を見て、去年の吟行会のことを思い出した。どうも吟行は共感できる句に点が集まる傾向にあるようだ。全員が同じものを見ているので、僕なら、自分が気づけなかったもので『へー、そんなものもあったんだなぁ』とか『この発想はあの景色から飛躍したものなのか!?』という句に注目したいが、一般的にはそれよりも『私も一緒に見たけどこんな風に上手く句にできなかった』という句の評価が高いようなのである。
自分が見ていないものより見ているものの方が理解しやすいが、とはいえ見ているからそのままじゃなくて意外性は欲しい。したがって、求められているのは
「みんなが体験したこと」×「思いがけない表現」=特選
なのだと思った。明日はそんな句を作っちゃろと思ってるうちに、20時半に句会は解散。部屋に行ってバスタブに湯を張ったら、ぼうっとしていたのか混合栓の赤(熱水)だけを回しており、熱湯に絶望もしたが、なんやかや水で埋めたりしつつ、早々に床についた。
立雲峡へ
夜明けの「一幻」
翌日、午前03:30に起床。それもそのはず、午前04:15にロビーで集合という過酷なスケジュールなのだ。朝食は前日に購入済み。支度をして湯沸かし器を準備し、カップラーメン「えびそば一幻」の湯を沸かし、できあがりの5分間を待っていたら、あれれ。思いのほか時間がかかった。ちょっぱやでラーメンを食べるが、結局、3分遅刻する。後で聞いたら集合時間5分前には全員集合しており、ひらく待ちの状態だったらしい。なんて真面目な人たちなんだ……(ごめんなさい)。
正直、遅刻仲間のUさんが今朝に限って5分前行動で、裏切られたと思った。勝手なものだ。
渋滞の闇
立雲峡の展望台から日の出を見るという目的もあったが、駐車場に車をとめられなくなる恐れがあるため、かなり前倒しで出発した。
しかし着いてみると、係員が坂道の車道にずらっと車を駐車させるという裏ワザが展開されていた(駐車場が埋まったのは何時なのだろう)。遅くなると、その分車道を徒歩で上らなければならないという、早起きと上り坂のトレードオフというわけだ。
昨日の砥峰高原でもそうだったが、こういうところは一旦出発すると途中にトイレがない。駐車場側の女子トイレは大行列になってしまっている。女性陣を待っている間に太平楽太郎さんのお仕事の話を興味深く聞く。こういう空き時間があると思いがけない話ができる。
それぞれ飲み物も買って準備万端。入山料(環境整備協力金)を1人につき300円ずつ払い、ヘッドライトや懐中電灯で列をなして登山道を登った。ちなみに竹田むべさんは下見のため、この時間に事前に一度登ってくれている。ホスピタリティが凄い。
夏に登った北アルプスの山々と比べるとさしたる勾配もなく、登山道は整備されており歩きやすい。道のりはおよそ1,130m(標高差は165m)、体調の優れない句友の様子をみながら30分くらいかけて登った。
個人的にはピクニック気分だったが、周りはそうではなかったようだ。階段が作られているが、一段一段はそれなりに高い。日常生活ではありえない高さに脚を上げなければならないので、普段使わない筋肉を使うと疲れるのだろう。小柄な人はなおさらだ。
段差に難渋している句友に、暢気に「段差を小さくするとそれだけ階段の造設作業が大変なので、仕方ないですね」みたいなことを言ったが、後で聞いたところ、この日だけで800人が入山したらしい。ということは入山料(環境整備協力金)が24万円なので、ハイシーズンが8週間で週に平均1,500人とすると、この秋だけで360万円だ。次に来たときは段差が低くなっているかもしれませんねぇ(笑)
実際、第二展望台を過ぎて第一展望台の前の100mくらいは、なんと金属製の手すりが設置されていた。
第一展望台に着く頃には夜が白んでいた。おお、雲海が広がっている! あらゆるものが雲に呑まれ、山が島のように取り残されているだけ。空は薄紫か鴇色か、まるで仙境にやってきたようではないか。
第一展望台にざっと500人は居るだろうか。この寒いのに半袖の人もいれば、犬を抱いている人の姿も。三脚とカメラが並ぶコーナーのようなところも生まれている。
不思議なもので、眼下の雲海の下では人々が目覚め、生活が始まっているのだろう。
雲海の底に暮らしの始まりぬ ひらく
雲海ってなあに
一応、気象学の基礎を学んだことがあるのだが、その知識の範囲では、まず大前提として、霧と雲は科学的には同じものであり、呼び名は観測者との位置関係で決まる。雲の中に入ってみれば「霧」だし、霧が空高くにあるのを見上げれば「雲」である。霧や雲を見下ろすと「雲海」になると言えるかもしれない。
俳句では他にも「雲の峰」「秋湿」「露」「霜」「雪」「湯気立(加湿器)」など、深く季語と関係することなので、すこし念入りに説明したい。興味なければしばらく読み飛ばしてください。
水蒸気は忙しい
よく誤解されるが、「霧」も「雲」も「雲海」も水蒸気ではなく、水蒸気が凝結した、微細な水の粒が空中に浮かんでいるものだ。ヤカンの水が沸騰して白い湯気が出てくるが、あれも霧や雲と同じ水の粒であって、水蒸気ではない。水蒸気は目に見えないのだ。この、空気中どこにでも存在する透明な水蒸気は、水の粒が生まれるための材料である(もっと言えば水の粒になるためには、核になるエアロゾルが必要だ。春の季語「霾」の黄砂や「杉花粉」、冬の季語「スモッグ」の粒子はエアロゾルの一種でもある)。
空気に含まれる水蒸気は、気温が下がれば凝結して水の粒になり、気温が上がれば蒸発して水蒸気に戻る。一日の間でも、気温の上下で水の粒になったり水蒸気になったり忙しいのだ。冬は乾燥していて夏はじめじめしていることから肌感覚として分かるが、暖かい方が空気はより多くの水蒸気を抱えておくことができる。日本ではなぜか飲食店に入ると季節を問わず氷の入ったお冷やが供されるが、同じ冷えたグラスでも、冬より夏の方が水滴がつきやすい。夏の方が空気中の水蒸気の量が多いからだ。これは、大人になるとテストには出ないが、雲海の発生原理には深く関係するので、折角なら理解しておきたい。
ここまで知ると誤解しないと思うが、「湿度」は空気中の水蒸気量の割合であって、空気中の水の粒の割合ではない。湿度が100%なら水の中、というわけではないのだ。湿度が100%を上回ろうとすれば、あとは水蒸気が水の粒に変わっていくだけで、100%を超えることはない。とはいえ、お冷やのグラスの周囲は温度差が高いために湿度が100%になって結露しているだけであって、極端な話、同じ店内でも場所によって湿度は30%だったり70%だったりするのだろう。なお、水の中は水蒸気を含む空気が存在しないのだから、湿度の計算自体ができない。
……読んでて眠くなってないですか?
さて、「雲海」と呼べるほどの大規模な水の粒はどのように出来上がり、どのように空中で保たれているのだろうか。
雲海の生まれる原理
(霧でもそうだが)雲海が生まれるためには、日中が涼しいと水蒸気の量が少なくなってしまうので、日中はなるべく暖かくて水蒸気の多い状態から比較的短時間で気温が下がる必要がある。これは夜間の「放射冷却」が担う。地球の大地は放っておくと宇宙に熱を逃がす「赤外放射」という性質があり、実は、日中は太陽に温められているから気温の釣り合いがとれているだけなのである。ほとんど毎晩、赤外放射によって大地は放射冷却しているというわけだ。但し、大地からの放射冷却は途中に雲のような障害物があると妨げられるので、夜、空が曇っていると朝は暖かいし、夜晴れていると朝の地面は冷える。
また、雲海が生まれるためには、空中に浮かんだ水の粒が外に逃げずに一箇所に溜まるように、無風の日が都合よく、地形に関して言えば盆地や山間部のようなお椀状が適している。
立雲峡から見下ろす雲海の材料になる水蒸気は、立雲峡と竹田城跡に挟まれている円山川から供給されているようだ。ちょうど山間である。なるほど、環境が整っている。後は、夜から朝にかけて風がなく、晴れていれば良い。
雲海は秋の季語?
僕は北アルプスの稜線上でも雲海は見ていたが、ガス(霧)が斜面を登ってくるという感じで、海という形容はあまり相応しくなかった。稜線上は普通、風が強い。
対して秋に見られる立雲峡の光景はどちらかというと平面に近い雲なので、まさに「雲海」である。
季語としての「雲海」は秋ではなく、夏の歳時記に載っている。
まさに標高3,000m級のアルプスから見下ろすような景色のことらしい。
標高が異なれば気温が異なるが、アルプスなら涼しいので晩夏、平地なら気温の下がる仲秋にならなければ雲海が生まれない。いずれにせよ、高所から見下す必要がある。ちなみに、アルプスの稜線上は標高3,000m前後、立雲峡の第一展望台は標高420mくらいだ。秋ならそんなに高地まで行かなくて良いことが分かる。
待っていたもの
次の予定もあるのに1時間半経ってもずっと滞在しているので、吟行主催のむべさんに尋ねたところ、今は雲海に埋もれているが小高い位置にある竹田城跡が、雲海に浮かんでいるように見える絶景を待っているとのこと。
えええ、知らなかったの僕だけですか? ポスターなどで写真は目にはしていたが、僕は雲海そのものにしか興味がなかったのだ。
折角なので一緒に待ってみた。雲海は風速が変わると、本物の海のように海面ならぬ雲面が荒れたり、波が立ったりする。潮位ならぬ雲位も上がり下がりするが、竹田城跡が見えるほどはなかなか下がりきらない。
どうやらこの日は前夜の雨のせいで、辺りに雲海の材料になる水蒸気の量が多すぎて、雲海が高く盛り上がり過ぎてしまっているようだった。朝8時を過ぎると周りの人たちも諦めて三々五々に帰って行く。
我々も結局2時間20分の滞在中、雲海に浮かぶ竹田城跡を拝むことは叶わなかった。
神秘的な竹田城跡は見られなかったものの、雲海を充分に堪能したので、秋の山の中をすこし散策した。
下山
疲労を訴えている人もいれば黙々と歩く人もいたが、わりと皆さんお疲れだったようだ。この夏に高山に2つ登った僕としては、正直、今朝の山行は1合目で引き返すような物足りなさを感じていた(ちょうど、8月に登った白馬岳登山ルートの初日の1/10くらいの高低差だ)。ゆっくり登ったので最後まで息も切れなかった。これがスクワットなどのトレーニングを始める3ヶ月前だったら、もっとぜえぜえ言っていただろう。人間変わるものだなぁ。ということは、トレーニングをさぼればまた直ぐに鈍るのだ。今日、帰ったらスクワットするかちょっと悩む。
下山中、第二展望台から次の目的地の竹田城跡がちらっと見えた。
登山口までたどり着くと、いつの間にかキッチンカーがきており、メニューを確かめる間もなく完売御礼で片付けに入っていた。まだ9時にもなっていないが、いち早く下山した雲海ウォッチャーたちの胃を満たしたようだ。
竹田城跡へ
最後の目的地は竹田城跡だ。
【竹田城の歴史】
・1443年 築城
・戦国時代 石垣が組まれる
・1600年 廃城
・1943年 国史跡に指定される
・1971~1980年 石垣復元工事。
安全のための交通規制なのか、なぜだか自家用車は奥まで入れないため、9人で車道を3km弱歩く。またしても緩やかながら上り坂である。
料金所を通って階段を上ると、ほんのり淡紅色の石垣が待ち構えていた。ネットで調べるが材質が分からない。花崗岩だろうか。ブランドの石だと大阪城にも使われている小豆島が近いが、そこまでの財力はなかったか。
入ってすぐに直角。建物はなしで、石垣のみが復元されたらしいが、中世にはここに門があったはず。これはいわゆる「枡形虎口」というやつだろうか。敵が攻めて込んできたときに門の前で食い止め、三方から一斉に攻撃するための場所だ。
竹田城は虎が伏せたように見えることから、別名「虎臥城|《とらふすじょう》」と呼ばれていたらしい。虎口という言葉はぴったりだ。
写真に撮り忘れたが、途中にAEDが設置されていてびっくり。
道に迷っていると、くま鶉さんがここは一方通行だと教えてくれた。なんで僕、迷ってたの?
気温が上がって雲海の大部分は水蒸気に変わったが、完全には晴れておらず、まだすこし霞んでいる。登山道の東屋や手すりなどが点々と光っている。
竹田城ではなく、しつこく「竹田城跡」と呼んでいるのは、御覧の通り城が既にないからである。残されているのは石垣だけなのだが、自然のただ中に、マチュピチュのような水平的直線の構造物があるのは魅力だった。日本屈指の山城で、立雲峡から眺めて良し、竹田城跡からの眺望も良し。天気も良くて清々しい。
ここで一句。
爽やかに虎臥城の背を渡る ひらく
昼食
レストランは団体客に席を押さえられていたので入れず、テイクアウトコーナーで購入し、むべさんが予約してくれていた広々とした句会場で食べる。お世話になりっぱなしだ。
僕はハーブ入り無薬飼料で育ったという但馬鶏のホットドッグをいただく。雑味がなく、美味しい。食べ応えがあった。
ちなみに、入れなかったレストランの「但馬牛 鉄板焼定食」は前日のお店の「但馬牛 陶板焼定食」と肉の量はほぼ同じで炊き合わせがついているくらいだが、値段はほぼ倍だった。前日のお店は安かったのだとびっくりした。
二日目の句会
勿論、今日も句会をする。今日は2箇所で吟行したので、座も2つになった。
立雲峡の座 :2句出し(内1句以上は必ず雲海の句を出すこと)。
竹田城跡の座:2句出し。
僕は全ての吟行の時間の大半を、雲海の句を考えることに費やした。竹田城跡に行ってもまだ雲海の句を考えていたので、句友に驚かれたが、やはりご当地に行かなければ体験できない季語は特別なのだ。句会で「雲海」が兼題になることも、おそらく二度とないだろう。
蓋を開けてみれば、立雲峡の座では、全18句中14句が「雲海」の句だった。「朝霧」の句なども混じっているところがリアルだ。野鳥の句が得意なうづらさんの鳥俳句も炸裂。
竹田城跡の座では妻を詠んだ微笑ましい句があり、夫婦で来られていた太平楽太郎さんが奥様であるキートスばんじょうしさんを詠まれた句かと誰もが思った。が、なんと青居舞さんの句。笑いが起こる。俳句は楽しい。「楽しくなけりゃ俳句じゃない(by夏井いつき)」。
この日の句座はどちらも僕が一席だった。
立雲峡の座の方は先述の「雲海の底に暮らしの始まりぬ」。歳時記に載っている夏の季語「雲海」の本意とはすこしずれるかもしれないが、紛れもない雲海から感じ取った句だ(後にNHK全国俳句大会で入選となった)。竹田城跡の座の方は、先述の「爽やかに虎臥城の背を渡る」という句は、昨日の反省である
「みんなが体験したこと」×「思いがけない表現」=特選
を踏まえたものである。
しかしこの句は、おそらく今日の句座の外に出ればそれほど評価されないだろう。虎臥城が何か知っている人はそんなにいないし、行ったことがなければ想像も難しい。
しかし、確かにこの旅の記録であり、我々の記憶の一部となった。他にこの句座に出された全ての句もそうだ。僕はきっと、いつか作る句集にこの虎臥城の句を載せることだろう。
ところで考えてみれば一人だけ登山の疲労がなく、体調が万全で、お店の予約もしていなければ、車の運転もしていない。ちょっと有利だったのかもしれない。そもそも句歴も最長のうちの一人である。
駅舎を背に9人で記念写真を撮り、電車を待っていると、親切な初老の男性の駅員さんが色々教えてくれた。写真中央の登山道から登ると竹田城跡は直ぐらしい(但し、それなりの急登)。途中、事務作業をされていたが、電車が来るや、最後は見送りまでしてくれた。田舎ならではの温かさだ。トウ甘藻さん曰く「駅員さんであり、改札係であり、駅長さんなんでしょう」。
しばらくは同じ電車の中、みんなで固まって座る。青居舞さんと舞さんに句に詠まれていたキートスばんじょうしさんが、二人で話し込んでいる。疲れから居眠りする人も。
集合してから26時間程度の間にこれだけの吟行ができるとは。普段、どれだけ日常に埋没して暮らしているのか。充足感と共に、電車に揺られて南下し、それぞれの帰途についた。もし竹田城跡が雲海に浮いていたら満点の吟行だったのだろうけど、99点も乙なものだ。
秋晴や駅長さんに見送られ ひらく
後日談
解散から数時間後、さらに翌日。SNSのグループチャットに次々と筋肉痛の報告が舞い込む。鉄人の竹田むべさんも若干の疲労報告があったため、「元気なのはひらくさんだけ」という結論になった。
よーし、みんなも今日からスクワットしようぜ!(笑)
おわり
おまけ
ここで皆さんに朗報である。
なんと立雲峡下山の数日後、メンバーの一人である我らが大槻税悦さんが再度、雲海を見に行ったそうだ。え、再度? そう、再度です……なんという行動力。この日は気象条件が完璧で、竹田城跡が雲海に浮かんだとのこと。ご覧の通り。
眼福である。これで120点満点の吟行と相成った。
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