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現実に負けそうなときは「負けてるな〜、負けてきてるなぁ〜」とただただ見つめる。一歩離れて眺める。負けているので「いや、がんばれ私‼︎」とかは思わない、思えない。その代わり、静かに「負け」を受け入れる。受け流す。“そのうちまた流れは変わる……”と、心のどこかでは知っている。結局、なるようにしかならないのだ。それらのことを、思い出せるようであれば、感じてみる。思い出せないようであれば、、、、、休もう。眠ろう。自分のための時間(「なんにもしない」とか「好きなことに没頭する」とか「ひたすら眠る」とか「ちょっと特別な美味しいものを食べる」とか)を自分で自分に用意して、エネルギーを蓄えよう。

「今、ちょっと、弱ってる……」

抱きしめて、やさしく。元気が出ないときは疲れてる/わくわくが足りてない/睡眠不足/人のために働きすぎ、などなどなどなど。自分のエネルギーの源を探れ。直感に素直になるんだ(○○が食べたい/○○をしたい/○○したくない/とにかく寝たい、などなどなどなど)。

(素直になれない・なりたくないのであれば、そこに「元気になりたくない理由」があるのかも。隠れているのかも。「元気にならないほうが、実は都合がいい」。心の底では望んでいるのかも?)





そして、それでも。
どうにもならないこともある。
どうにもならないときもある。


いや、そんなことばかりかもしれない。
現実は厳しい。生きることに本気になるほどに、真剣に人生に向き合おうとするほどに、その生々しい厳しさを痛感する。打ちのめされる。



だけど。
自分で自分をしあわせにしたければ(そうだ。それこそが、自分をしあわせにすることこそが、「これまでの人生に対する“復讐”なのだ」とあなたが言ったから、私は勇気をもらったのだ。「私も自分で自分をしあわせにして、この人生に、これまでの人生に、“復讐”しよう・するのだ」と、ストンと思えたのだ。そうだ、そうだ、そうなんだ。死んで『人生、もう一度、最初から』なんて、私は絶対にごめんだ。今世のことは、今世の中で終わらせる。クリアする。全部叶えて、自分で自分に「しあわせ」を見せてやるんだよ!)、その決意と覚悟があるならば、流れを読んで『力』を蓄えよう。弱っているときほど、自分にやさしくしよう。めいっぱいの『愛』を、送るのだ。


だって、きっと、本当の意味で、“それができるのは「自分だけ」”
そう思ったほうが、現実はずっとずっと「生きやすい」。←(他人に期待して生きるより)





だから。
現実に負けそうなときは、負けを認めて自分を労わる。枯渇しきった心や体に、エネルギーが戻ってくるように、じっくり、たっぷり、『時間』をかけることをケチらない

こんなところでケチっていたら、大事なところで力を発揮できないよ。



チャンスに備えろ。

弱っているときは休め。


そして「ここだ!」というときが来たら、しっかりと飛び乗る、飛び移る。波をつかまえる。パワー全開で、集中&コミットメント。


そのための『信頼』(未来そして自分の人生への)は、自分で見出し、育まなくてはならない。
そのための『希望』(未来そして自分の人生への)も、自分で探り当て、守り抜かなくてはならない。

厳しいけれど、たぶんそれが「リアル」。
だけどそれが『自分』を強くする。







とにかく「今」を、生き抜くこと。生き延びること。

「生きてさえいれば、なんとかなる」という実感なんて、相変わらず笑っちゃうほど無いけれど、
「生きてさえいれば、未来の自分が、なんとかしてくれるときが来るかもしれない」と思うことはできる。


その心の“余裕”を、“自由さ”を、自分で自分に与え続けることに真剣であれ、自分。

見失ったら、すぐに立ち止まれ。


それが自分にとっての『真実』なら、何度見失っても必ず戻ってくる。消え去ることはない。

そのことを“生きた言葉”として語れるくらいには、こうしてこの道を、歩き続けてきたじゃないか。

そこに『誇り』が立ち上がる。『自分軸』が見えてくる。





調子よく走っているときには見えない景色が、ここにある。

「大丈夫」と、誰かが言う声が聞こえるなら、それはきっと“未来の自分”。




“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆