わたしの推しは上司
突然だが
私は推しが大好きだ。
声を大にして言いたい。
広大な大地で、大空に向かって叫びたい。
世界の中心どころか、アジアという地域の東の端っこのほうで常に推しへの愛を叫びたがっている、そんなちっぽけな人間というのが私だ。
「開始早々何言ってんだコイツ」と不審がられているかもしれないが、問答無用で話を進めていく。
何故なら推しへの愛が止まらないからである。
そもそも『推し』とは何なのか?
馴染みのない人たちからすれば何のこっちゃかわからないだろう。
簡単に説明すると『推し』とは、
自分を豊かにしてくれる存在のことである。
例えばこんな経験はないだろうか?
・その人と一緒にいると心が踊る
・何かが満たされる感じになる
・もはや見ているだけで幸せ
・でもそれが恋愛感情かどうかはわからない
・その人の好きなところを他人にプレゼンしたくなる
・尊い
それが推しである。
人によって推しへの定義は色々あるだろうが、概ねそんな感じの人やもののことである。
今更ながら私がnoteを始めたきっかけというのも、8割は推しのエピソードを語るためである。
いや別に自慢したいとか皆にも聞いてほしいとか、そういう訳ではないのである。
ただただ、忘れないうちに自分が「尊い」と感じた推しのエピソードを書き留めておきたいだけなのである。
かの清少納言は、
「春はやっぱあけぼのがいいわ~。
夜が明けるにつれてだんだん明るくなっていく感じがマジ最高。」
と語ったという(適当)。
彼女が枕草子で好きなものを好きなように綴ったのと同じように、私もまたnoteという場所で『推し』という好きなものについて語ろうとしている。
私以外にもそういう人種は世界中にいっぱいいるはずだ。
我々はいわば現代の清少納言なのである。
というより、人は皆好きなものがあったとして、「それを推すことを表現するか、しないか」の違いがあるだけで、必ず『推し』を持っているはずなのだ。
極論私は
推しがいないと人は生きていけないんじゃないか?
とすら思う。
近代化が進んだ今の世界に住む人間なんて、推しがいないともはや人間として人間をやっていけないんじゃないか。
そう、つまり
推しとは、生きがいである。
かな太
前置きがめちゃくちゃ長くなってしまったが、本題に入ろう。
先ほどにも少し話に出たが、私がnoteを始めた一番のきっかけというのは、推しについて語るためである。
タイトルにもある通り、私が語りたい推しというのは、私の上司である。
会社の上司は本当にいい人たちばかりで、私はその方々のために仕事をしていると言っても過言ではない。
いやむしろその方々のためでないと仕事なんてできないかもしれない。
世の中まだまだ捨てたもんじゃないね(感嘆)
そんな尊敬する上司たちなのだが、彼らは毎日のように大量の面白エピソードを錬成していくのだ。
この思い出を是非とも今後の自分の支えにしていきたいと考えた私は、日記の用途としてこの場を借りて書き留めていくことにした(一歩間違えればただの変態だが)。
そういう経緯で始めた『#推し上司のいる日常』というつぶやきシリーズは、3月9日現在早くも40エピソードを突破している。
最近なんて、書きたいことが多すぎてつぶやきの規定の140字に収めるのに必死である。
もうね、
推しへの愛も止まらななければ
推したちのエピソードも止まらない。
テキストに移行しようか考え中だが、今後も随時更新していくつもりだ。
前述で「自慢したいとか皆にも聞いてほしいとか、そういう訳ではない」と書いたが、空いた時間にペッと見てフフッと楽しんでもらえるのなら、それはそれで大変嬉しく思う。
これは、私のポテンシャルが上がるだけの、いわば『推し日記』である。
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