書くことの意味
ここのところ、長文をまとめて書く、という行為をしておりませんでした。
なんだろう、やはり自分の感情や思考を整理するには、Twitterの短文では心もとないですね。
まあ書きたい事はリプでつなげていけば良い訳だけれども。
思い返してみると、パソコン通信時代からもう20年以上、人様に見える状態で言葉をつづって来ていて。
自分自身でつける日記帳なんかは長続きしないのだけれど、とぎれとぎれにしろ、その時々の自分自身を写し取って来た文章を読み返してみると、それなりに己にとって意味のあるものだったかなあ、と思ったりします。
書くことの意味、それは人それぞれなのでしょうが、私にとっては第一に自分自身の考えの方向性をつかみ、色々ととっ散らかった思考を整理することです。
曲がりなりにも、他人様の目に触れる可能性のある文章、そこには自分自身を最低限客観視する事が必要で。
実際コメントなども頂いたり、その方とのやり取りなどで自分でも気づかなかった部分に思いが至ったりした事もありました。
恥ずかしい失敗や悔しかった出来事なども、書き起こしてみると少し気持ちが楽になる。
母の認知症、息子の特性に振り回された日々、娘の事で泣きたくなった日、鬱で動けなくなった時。
色々な出来事があったけれど、その都度文章をまとめる事で、私自身が救われてきたという実感があります。
やはり、誰かの目に触れるかと思うと、あまりにひどい暴言を吐く訳にも行かず、欝々とした言葉を綴るのもためらわれ。
まあ、本物の事実を剝きだしにするわけにも行かないし(苦笑)。
多少の事実変更とか、プライバシーの問題もございますからね。
自然と、少しだけ前向きな言葉、穏やかな言葉を選ぶように。
それが、自分にとって希望のともしびとなってきました。
これからも、きっと自分の気持ちを綴ることを続けるんだと思います。
そうして、自分の中に抱いている妄想までも書いて行きたい。
全部まるごと吐き出して行こうかな、なんて思い始めました。
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