なぜ塩、なぜ月桃なのか。④「月倒歌」歌は我に連れ我は歌に連れ
「月倒歌(げっとうか)」という舞台、楽曲をつくったのは、
2006年、母親が他界する直前のことだった。
ひとりの人があっちの世界に民族大移動するとき生まれるエネルギーの恩寵。
私は、人が死ぬとき、どうもモノをつくる仕組みになっているようで、
父親の時には、当時関わっていた劇団の舞台用の脚本をいきなり100枚くらい書いちゃったりしていた。
イベントの中の15分くらいの枠だったけれど、
初めて自分で全てを仕切って、大人数の人に出てもらう舞台をやるのと、
母のいのちが極まるタイミングが、
たまたまか必然か、とにかく一緒だった。
音楽をつくるとき、大抵の場合は、
詞、曲、アレンジ、全部一緒に完全形で降って来て
それを必死でPCに落とす、という作業になるが、
メロディが先で
「タイトル」から入って歌詞をつけていくこともある。
その舞台…オペレッタというか、ダンス・オペラ、ロック・オペラみたいな氣分だった…の楽曲は、メロディは先に来ていて、
舞台のタイトルも兼ねるようなものを考えていたのだと思う。
タイトル命。
愛する作家森博嗣が言うように、
何の、どんな作品でも、タイトルが、すべて!
だと思っていた私に、「タイトル」はめっちゃ大事だった。
「〇〇歌」という語感にしたかった。
「讃美歌」「巡恋歌」「山頭火」「鎮魂歌」
的な…
そこからどうゆう思考のルートを辿ったのかまでは覚えていないが、
「げっとうか」に決めた。
「月」は入れたくて、
生きてるってのは、月が倒れるくらいに、奇跡なんだッッ
という感じの意味を当てて、「月倒歌」にした。
「げっとう」に決めたとき、
「ゲットー」って何だかわからなかった。
GETみたいな語感は、いい。
けど、「ゲットー」ってもしかして、ユダヤ人強制収容所、だっけ・・・?
ツライ感じの意味ならやめようかなと思ったのか、
ググった。
確かに、ユダヤ人強制収容所という意味はあったけど、
他にもいろんな意味があった。
「月桃(げっとう)」というお花が、南の方にあるらしかった。
すずらんみたいで、可愛い。
きっと、いい匂いに違いない。
お花の意味もあるなら、ゲットー歌で、いいや!
と、決めたのだ。
この文章を書き出すまでは、
私の記憶は
「月倒歌」って舞台やったことあるな〜
あれも「ゲットー」だ〜!
「音」は先取りしてたんだな〜^^
くらいのつもりで
そういう記事を書くつもりだった。
しかし
「そういえば譜面があった」
「東京を引き払うときに、捨てられなかった幾つかの譜面の中に、
その舞台「月倒歌」の譜面、あったな」
と思って、
ひっぱり出してみたら。
私は歌詞にキッパリ「月桃」と、書いていた。
月桃の 香になぜられ あかみさす ほほをかさね
思い出すは声ならじ ほら わたる 風の果てに
月桃の 香になぜられ あかみさす ほほをかさね
思い出すは声ならじ ゆくさきてらすともしび
2006年の私は、見たことも匂ったこともない月桃の香りに導かれて、
曲を書いて舞台やって、母親を見送って、
生きていた。
それだけのことが、
それを思い出しただけのことが、
なぜそんなによろこびなのか、わからない。
わからないけど、
心臓が、またも泣いてよろこんでいる。
脳って、リンクしたくて、
つながりを見出したくてしょうがないんだなとも、
思う。
つまりは
月桃越しに月を仰ぎ見る世界
それがわたしの正位置
ピンポイントでど真ん中、なのだ。
人生の辻褄なんて、
合わそうと思ってないし、
合わなくていいし、
あんまりシンクロシンクロ言うの、
どうかとも思う。
けど、
とにかく、
2006年のわたしは
2021年のわたしが何をやってるか知らなくても
めっちゃ助けているし
2021年のわたしは
すっかり関係ねーよと思っていた2006年のわたしを
めっちゃ助けている
パラレルに
ヘルプしあっている。
月桃にいたっては、
どっちのわたしともつながっていた。
忘れきってるときも、
ずっと。
わたしはいつだって
わたしに導かれている。
どんなにそのとき意味不明でも、
やるしかないし行くしかないし
それで正位置、
それが正位置なんだなと
今さらに思う。
月桃越しに仰ぎ見る月の体験については、次回に。
2006年「月倒歌」舞台映像を貼っておきます。
下手クソで見てらんないけど、最初と最後はおもろいかも。