和訳のストラテジー #0 オリエンテーションの代わりとして
こんにちは。前々回は自己紹介とこれからやりたいことを書きました。前回はちょっと号外でしたね(笑)
今回から「和訳のストラテジー」本編に入ります。といっても、今日からがっつり和訳していくわけではありません。オリエンテーションとして、和訳に臨むにあたっての私の姿勢と、和訳において大事なことを少しだけお話したいと思っています。まずさっそくですが、この英文(正確には文ではないのですが)をご覧ください。
知らない人はいないであろうリンカンの名言です。南北戦争下で行われたゲティスバーグ演説中の一節。よく、「人民の人民による人民のための政治」と訳されます。もちろんこれで間違いはありません。ところがこれを私が通っていた高校の英語の先生は、「人民が人民によって人民のために政治をする」と訳していました(細かい違いがあるかもしれませんがこのような訳でした)。どうでしょうか。どちらも間違ってはいないのですが、前者のかたい日本語よりも後者のほうが理解しやすいのではないでしょうか。初めて見たこの訳に、私はとても感動したのです。というのも、この訳は特別難しいことをしているわけではないからです。英語を根本から理解するのに必要なスキルをそのまま当てはめただけなのです。それでこの理解しやすい訳にたどり着けるなんて、素晴らしいと思いませんか?日本語で悩み苦しむくらいなら、わかりやすい日本語にしたいと思いますよね。
では、解説をしていきましょう。
“government”はたしかに「政治」という名詞です。しかし、動詞 “govern”「統治する(政治を行う)」の名詞形であると考えられるため、「統治すること(政治をすること)」というように考えるのです。これを高校英語では「名詞構文」などと言っています。このとき、動詞があるなら欲しくなるのは主語や目的語ですよね。どちらかが(どちらも)無い場合ももちろんありますが、大抵はあります。この主語や目的語の代わりのものを「主格」や「目的格」と言います。ではこの文に当てはめて考えてみましょう。“of the people”が主格で目的格はありません。“by the people”は手段、“for the people”は目的で副詞句と考えます。そうすると先程の訳が出来上がります。
さらに深めていきましょう。“of the people”は本当に主格なのでしょうか。これを目的格と考えることも出来るはずです。そう仮定すると、“by the people”が主格になります。それ以外は上と同じです。このときの訳は、「人民が人民を人民のために統治する」となり、主体、客体、目的のすべてが揃ったものとなります。
どの訳が良いかは論争が多すぎるため言及は避けたいと思います。余談ですがゲティスバーグ演説内のこの一節を織り込んだとされるものがGHQによる憲法草案前文であり、それをそのまま和訳したものが日本国憲法前文のこの一節です。和訳選択の参考になると思うので見てみましょう。
ここには「国民の厳粛な信託による」という手段と、「国民の代表者の権力行使」という主体、「国民が福利を享受する」という目的が書かれていると読むことができます。後述しますが、ここに「その権威は国民に由来し」とあることを覚えておいてください。話を戻して、つまりは国民は「統治」の「対象」や「客体」と表現されているわけではないと読めるのではないでしょうか。もしこれを根拠とするならば3つ目の訳はあまり適当とは言えないのではないかと結論付けられます。皆さんはどう考えるでしょうか。
ここまで書いていて、なにか裏付けるものがないかと調べていたところ、先行研究を発見しました。野村は以下のように記しています。
23aに関しては省略しました。私の2つ目の訳に対して、of句とby句の両方が主格ととらえられるが、そうはなり得ないと考えられるということでしょうか。では、目的格と考えるのが正しいのでしょうか。さらに読み進めると、野村は次のようにしています。
確定稿、第2草稿というのは演説の草稿のことです。第2草稿には"this"がgovernmentの前にあるために、動詞派生名詞と考えることは難しいためこう結論付けられるというわけです。最後に、野村は議論の余地があるとしたうえで、
としました。由来のofは日本国憲法前文にも合致する強い考え方と思われます。実際、野村氏も日本国憲法前文に言及していました。ではまとめましょう。どのようにしたら「英文法学的」にも「日本語話者」的にも違和の感じない訳になるのでしょうか。私は由来のofと主体のbyと考え、体言で終わらせると良さげな訳になるのではないか、と再考しました。たとえば、「人民に由来し(由来のof)、人民のために(目的のfor)、人民が(主体的に)行う(主体のby)政治」と訳せるのではないでしょうか。語順は変わりましたが、言わんとしていることは伝わるはずです。これであれば、先程引用した日本国憲法前文の一文とも整合性が取れます。といっても、これで決まりだ!と結論づけるつもりはありません。これからも論争が繰り広げられたままでいいのです。そしてこれからもずっと、今知れ渡っている「あの訳」が定訳となっていることでしょう。
オリエンテーションなのであえて論争が多く、奥が深い話をさせていただきました。日本語話者的に考えたり、英文法学者の意見を借りたりととても楽しい時間でした。論文調と会話調の文章が混ざり、読みにくくなったであろうことを謝罪します。また、引用に関しては正式に行わせていただきましたが、この文章全体は論文として適切な書き方でないこともご了承ください(そもそもなにか研究したわけでなく、紹介なので……)。
今日、一番覚えて帰ってほしいことは、英語の本来の考え方から正しく考えると、このようにわかりやすい訳ができるかもしれないね、ということです。そしてそれがやりすぎた、間違っているかも……と思ったら直せばいいのです。でもその前にその「正しい考え方」を学ばねばなりません。よく直訳か意訳か、などといった論争が繰り広げられています。私としては、「和訳した文を読んで第三者が理解できればなんでも良い」と思っています(英文法学者の方には申し訳ないですが)。逆に言うと、理解できないものは直訳だろうが意訳だろうが和訳として認めたくありません。どう訳すかの根拠は、単語にある一義的な意味だけではなく、文全体の構造や単語が持つイメージ、文法にあると考えるのです。あとは常識的な範囲の日本語力。それをどう使うかなのです。そんなコツを少しずつみなさんに伝えられたらいいなと思います。
次回からは著作権切れとなった名著などから引用した一文としくは複数文を扱って和訳していきたいと思っています。今回のように論争が生まれそうものは取り扱う予定はありません。前回書いたとおり、受験で点を取るというよりも、受験英語や高校までの英語学習でここまで英語の文章を理解することができるのだということを証明する場にしたいと考えているのでこうした題材を選ばせていただきます。下に次回取り扱う文を載せておくので、和訳してみてくださいね。英語に自信がある方(大学受験レベルで結構です、私と同じくらいということで)は辞書を引かずに。これから頑張りたい!という方は辞書を引きながら回答してみてください。一応、大学受験レベルを超えると思われる語句には注をつけておきます。もし和訳できましたらコメントに書いてもらえると嬉しいです!別に評価とかするわけではなく、みなさんの訳を眺めたいだけなので笑、間違いを恐れずにどんどん訳しちゃってください!
personage :偉い人、著名人、名士
foe :敵
rankle :心に食い込む、胸を痛める
Amy = March : エミイ=マーチ(人名)
Miss Snow :スノー(マーチの同級生)
参照文献
野村忠央「“government of the people”の解釈について」、藤田 崇夫, 鈴木 繁幸, 松倉 信幸. 『英語と英語教育の眺望』 / 藤田崇夫,鈴木繁幸,松倉信幸 編. 東京, DTP出版, 2010, ISBN9784862112361, pp199-214.
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