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雑談を紡ぐ

私は、人と交流するとひどく疲れてしまう。けれど唯一疲れないのが雑談でだ。
結婚後、大学のボランティア室での事務補助の仕事に就いた。ボランティア室にやってくる学生さんの中には、友達作りがうまくいかない学生、コミュニケーション作りをしたい学生、同級生や年齢の近い人とは話すことができない学生と、さまざまな理由でボランティア室に来る学生さんも少なくない。
「こんにちは。」そっと笑顔で話しかけることから始める。ボランティアにには触れず、「大学はもう慣れたかな?アルバイトと授業と大変じゃないかしら?」そんなたわいもないよもやま話のオンパレードを繰り返す。
そして少しづつ学生さんの方からも話かけてくれるようになる瞬間が、私にとって温かい気持ちになる瞬間だ。
「押し活がいるんです。」と楽しそうに話してくれる学生さん。
時には恋話をする学生さんもいる。
一つ一つを漏らさないように雑談を丁寧に共有する。すると雑談の中から、学生さんの孤独の本質を知ることができる鍵が見つかることが多い。まさに雑談に感謝だ。

そして仕事を終えて家に帰ると、もう一つの雑談が私を待っている。
私の住んでいる地域は7割近くが高齢者の一人暮らしの多い地域である。
「お帰りなさい。今日も暑かったわね。」と雑談が私を迎えてくれる。
話の内容は、今日は何を食べて何をして過ごしたかが大半である。
「そうなんですね。」の言葉を繰り返し、相づちを打つ。この「聞く。」ことは、私にたくさんの知識や温かい心に触れることも多い。

以前、犬の散歩でお会いするご婦人と、世間話から私が今
寝たきりの母の介護をしている話になったことがあった。

お互い名前も知らないご近所さんだったのにも関わらず、
私の家を探し、桜の花を持ってきてくださったことがあった。
お花見もできない私の母に、せめても桜を見せてあげたいと思った気持ちからだというのだ。私は、このとき人に寄り添う雑談もあるのだと知った。
生前一人暮らしの母に、毎朝モーニングコールをして、週に一度はランチにも一緒に出かけていたのにも寂しかったと言っていた。
母は、ただ毎日のとりとめもない話を共有する繋がりがほしかったんだということをこの雑談を通して気付かされた。

肩に力をいれることもなく気を遣うこともない。ただとりとめもない話をする雑談には、お互いの孤独を優しく包み、人を紡いでいく力があると私は思い、これからも雑談を続けていきたい。










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