父性を理解する女は依存体質。
うちは両親が離婚していて私は父方に引き取られた。父はもちろん働き盛り、家にいる時間というのはほとんどない。そんな姿を見ていた私はいかに父親が大変か。外に出ていくのが大変かということを分かっていた。そんなもんだからやれ父親となかが悪いとか、母と一緒になって父親をのけ者にしているなんてクラスで耳にいれようものなら恨めしく思っていた。
もちろん母子家庭の母はパワフルで物凄い努力型だし、父親からネグレクトを受けている子どももいる。しかしそんな子達はどこか空気を読み達観しているから人前でお茶のみの話題に父の悪口を漏らす余裕などない。生きていく必死さを理解しているから。
そんなこんなですっかりファザコンが出来上がった私。でもこれは父としょっちゅうべったりというのではなく距離としていえば常に遠くにいる。実家には二年に一度帰ればいい方だから。ここでふと、私の男性性に対する依存はまさにここからなんだろうと感じた。女性として自立している人はどこか勝ち気で男性を低くみている人間が多いと思う。そしてそんな人は大抵パートナーシップが上手くいかない。それは同じ家に血気盛んな男性が2人もいることに同じだから。
私の母もそんな人で、男に負けてはいけないという考えだった。でも女性の依存体質は自然なもので、子どもを育てるのにも必要なものだ。自分の子どもを置いて狩りに出てしまったら子どもは衰弱するだろう。
男性への依存が強い女性。自分責め、嫌悪感が強くなると思う。同じ女性からはひどく嫌われるだろう。でもそれっていかしかたの問題だ。あなたは男性のすごさをしっている。知識がある。そんなに卑下することはない。依存しやすい人は人のために頑張れる人だよ。それはメンヘラとは違う。それを己の利益の為に利用しようとすればそうなる。
でも本当はそうではないはず。私の視点てやっぱり特殊で大衆からの賛成はあまりえられない。でもだからこそこうやって同じ体験をして誰にも話せない人の、理解者がいない人のヒントになればいいと思っている。どんな特徴だって、短所は長所だ。生き方下手くそな人って一方向からしか見られなくてとっても苦しむ。
依存は愛を知っているもの。人に愛を与えたくてたまらない病なんじゃないかな。この世を適当に生きることが出来ないものたちの天命かもしれない。だからそれを認めたままで歩いていこう。今気づけないことでも意味はある。