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Baton of Sound【短編小説】

この小説をもって、「リレーエッセイ」に参加をしています。
詳細は、このnote下部をご覧ください!

ヒカリに「チャリティーコンサートに出てみないか」と誘われたのは、バレンタインデーの2日後、2月16日のことだった。

ちょっと話変わるんだけどさ、

2025/2/16 20:06

という親切な前置きがあったとはいえ、最近観たドラマの感想からコンサートへと話題が急にスイッチしたのには、かなり驚いた。

今思うと、その時にビックリしたのは、話がガラリと転換したからだけではない。普段自分から何かに誘うことが滅多にないヒカリが、いつも僕の「○○しない?」という提案を受け入れるばかりのあの人が、珍しく主体性を見せたからだ。

相手の意外な一面に、僕の胸には嬉しさも去来していた。出会ってからの半年、ヒカリが見せる新しい表情や言葉に、いちいち胸を高鳴らせてきた。これから先、どれだけ齢を重ねても、同じような気持ちになれるのだろうか。それとも……。今感じている快楽が一過性のもののように思われて、ちょっぴり不安になる。

僕は、卓袱台の上のガラスのコップに手を伸ばし、中の水を一気に飲み干した。空っぽになった容器をさっきの場所にコトリと置く。それが部屋の灯りに煌々と照らされて、さっき口をつけた辺りがキラリキラリと光って見えた。

スマホに視線を落とし、両手でテンキーをタカタカ打つ。よし。これで、送っちゃおうかな。ろくに確認していない出来たてホヤホヤの文章を送信すると、すぐに既読がつき、短文が続けざまにポンポンと飛んできた。

日にち:3/16(日)14:00-14:30

2025/2/16 20:15

場所:大学病院6階(小児科病棟のフリースペース)

2025/2/16 20:17

相手からのメッセージがまだ続きそうだったので、僕はキッチンへ行き、冷蔵庫から安い発泡酒を取り出してきた。ピコンピコンとリズミカルに鳴るスマホを横目に、缶をプシュリと空け、コップにトクトク注ぐ。日曜の夜、翌日から出勤する自分を励ますためにビールを飲むのが週課になって久しい。

カンパーイ。

一人呟き、右手に持つコップと机の上の缶をコツンとぶつける。そのまま口に近づけて、上層の分厚い泡を舐める。モワリと苦くて好きではないはずなのに、いつもよりほんの少し甘く感じられた。ゆっくりとコップを傾けながら、喉を鳴らし鳴らし飲み進める。

コップが空になった頃、スマホを見やると、そこには誘い文句があった。

どうかな??

2025/2/16 20:21

弾いてくれたりしないかな??

2025/2/16 20:21

受信時刻は5分前。上にスクロールすると、未読の文が他にも現れる。画面をスワイプしてやり取りの上流まで遡ってから、徐々に下へ下へと流れを辿ってみた。

日にち:3/16(日)14:00-14:30

2025/2/16 20:15

場所:大学病院6階(小児科病棟のフリースペース)

2025/2/16 20:17

演奏予定してた人が都合悪くなっちゃって、

2025/2/16 20:18

ピアノ弾ける人探してるんだよね。

2025/2/16 20:19

で、シオンが真っ先に思い浮かんで、

2025/2/16 20:19

とりあえず誘ってみた!!

2025/2/16 20:20

どうかな??

2025/2/16 20:21

弾いてくれたりしないかな??

2025/2/16 20:21

僕は、空いたコップに酒を注いだ。コップの半分くらいまで液体が満ちたところで、今度は缶の方が空になってしまった。カンコン。コンカン。コップのふちで軽く叩いて中身を出したそいつを右手で軽く潰し、卓袱台の足のそばに優しく置く。

ゴミ箱でないところにゴミを置くことには、誰に咎められるでもないのに、一抹の後ろめたさがあった。でも、片付けを後に回してでも、今は目の前のやり取りに集中したかった。

ヒカリの言葉を読み返した上で、僕は素直な気持ちを送ることにした。

何となく事情は分かったけど、俺でいいの?

2025/2/16 20:35

こういうのってプロに頼むやつじゃないの?

2025/2/16 20:37

俺、ピアノ弾けるったって趣味程度よ?

2025/2/16 20:39

ヒカリの言う「チャリティーコンサート」がどんなものなのか、正直掴み切れていなかった。でも、「コンサート」と冠されるところから、人前で演奏する催しであることは容易に推測できた。

かつてピアノを習っていた身からすると、人前で弾くにはそれなりの度胸と腕前が必要で、「ちょっと弾けます」くらいのヤツが出ていい場所なのか、気になって尋ねてみた。もしそうでないなら、僕の出る幕ではない。もっと他に、適任者がいるはずだ。

通知音を一旦オフにして、スマホを裏向きで机の上に置く。僕は、手持ち無沙汰になった手を机の下に突っ込み、慣れた手つきでキーボードを引っ張り出した。その拍子にさっきの空き缶が倒れたらしく、床には小さな小さな水たまりができた。

すぐに近くのティッシュ箱に手を伸ばし、4つ折りにしたティッシュでビールを拭き取る。水分を含んですっかり変色したそれをギュッと丸め、1m先にあるゴミ箱めがけて放り投げた。カサッ。よし。入った。僕は、控え目にガッツポーズをする。途端、羞恥心が芽生えて、慌てて握った手を開いた。恥ずかしさから逃れるようにスマホを開くと、ヒカリからの返信があった。

それはプロに頼むに越したことはないけど、

2025/2/16 20:42

私は弾ける人なら誰でもいいと思ってるよ。

2025/2/16 20:43

じゃあ、上手くなくてもいいってこと?

2025/2/16 20:45

ピアノの上手さとプロかどうかって関係なくない?

2025/2/16 20:47

プロじゃなくも、上手い人はいっぱいいると思うし。

2025/2/16 20:48

それに、

2025/2/16 20:49

後に続く言葉が何となく怖くて、思わずスマホを机上に置いた。その手で、さっき机の下から出し損ねたキーボードを今度こそ引っ張り出して、あぐらの上に載せた。指の腹でサッと撫でると、鍵盤のほんのりとした冷たさが皮膚に残る。小学4年の夏、ピアノを習い始めるにあたり母が買い与えてくれた、大切なキーボードである。

僕が通っていたのは、大手のピアノ教室ではなく、個人教室だった。家から10分という立地の良さと、何よりレッスン料の安さが決め手になったと、いつか母が話していたのを覚えている。

先生は、一流企業に務める傍ら副業で教えているから、料金を高く設定する必要がないらしいの。元々小学校の音楽教師になりたかったけど、諸事情で教員免許を取れなくて、こういう形で夢を叶えることにしたんですって。素敵よね。そうそう、ウィーンに音楽留学に行った経験もあるみたいよ。近所にこんなすごい人がいたなんて、私なんだか誇らしい気分だわ。

先生のバックグラウンドなんて、子供の僕にはどうでも良かった。でも、息子を通わせる親の立場からすれば、重要な問題だったに違いない。

母がOKサインを出した先生に、僕はすぐに好印象を抱いた。

教室には入ると、必ず「今日の学校どうだった?」と聞いてくれたこと。友達と喧嘩したというと、相槌を打ちながら「辛かったよね」と慰めてくれたこと。全く弾けない僕を一切馬鹿にせず、いつも丁寧に教えてくれたこと。先生が時折聞かせてくれる「お手本」が、音楽への造詣がない僕でさえ「明らかに上手い」と思うレベルだったこと。夏の日にはチョコレートのアイスをくれ、冬の凍えるような日にはホットココアを差し出してくれたこと。一週間で宿題の曲を仕上げれば「すごいじゃん」と褒めてくれた、全然練習していかない日にも「忙しいかったなら仕方ないよ」と優しく声をかけてくれたこと。どんな日でも、教室を出る時には、とびきりの笑顔で「また来週会おうね」と挨拶してくれたこと。

そのどれもが好きだった。好きでたまらなかった。中学3年の秋までの7年も習い続けられたのは、そこが自分にとって「居たい場所」だったからに他ならない。

ここにあるキーボードは、そんな先生との思い出の時間を象徴するものでもあった。もう10数年使っているせいで、側面の本来真っ白で書かれた企業名は小麦色になっているし、一番低い「レ」の音は押しても2分の1の確率でしか鳴らない。でも、捨てられなかった。元旦に、買い与えてくれた本人から「いい加減、新しいのに変えたら?」と言われた時も、首を縦には振れなかった。

さっきとは反対の手で、鍵盤をサッと撫でた。今度はやんわりとした温かさが指に付き、残らずにスッと消えた。フッと小さく息を吐いてスマホを開くと、新しいメッセージが届いていた。読んでいるうちに新しい文が届き、それを読んでいる間に、また新しい文が届く。

このコンサートを立案した私の先輩が言ってるのが、

2025/2/16 20:50

「心に届く演奏をしてくれる人を呼びたい」ってことなのね。

2025/2/16 20:51

去年の春からやってて次が6回目になるんだけど、

2025/2/16 20:53

その人毎回言ってるの。

2025/2/16 20:54

「上手い下手はいいから、心に届く演奏をしてくれる人を呼びたい」って。

2025/2/16 20:56

それなら尚更だ。

僕に、目の前の相手の心を動かすような演奏なんて、できやしない。

俺、そういうのできないと思うから断るね。ホントごめん。

送信ボタンを押そうかというタイミングで、相手から返信が来た。

シオンはそれができる人だと思うから、

2025/2/16 20:57

お願いしてるんだよ。

2025/2/16 20:57

思いがけない言葉にたじろいでいると、またメッセージが来た。

ほら、去年の私の誕生日に「僕のこと」弾いてくれたでしょ??

2025/2/16 20:59

ああ、確かにあったな、そんなこと。出会って間もない頃に聞いた「好きな曲」の楽譜をネットで見つけて、印刷して、9月5日の誕生日までの2週間で猛練習したんだっけ。この部屋でコンビニの安いケーキを平らげた後、ヒカリの前でキーボードを演奏した。なんとか形になったばかりで、決して上手くないピアノだったと思う。でも、ヒカリにとってはたいそう良かったらしく、曲の途中からボロボロ涙を零しながら聴いていた。

あの時のこと、ちゃんと覚えていてくれたんだ。

私、あの時目腫らして泣いてたでしょ。

2025/2/16 21:01

自分でもなんで泣いてるか分からなかったんだけど、

2025/2/16 21:02

何回もチャリティーコンサートに関わるうちに、

2025/2/16 21:04

分かった気がするんだよね。

2025/2/16 21:04

シオンが、私のために心込めて弾いてくれたからだって。

2025/2/16 21:05

そこに心が揺さぶられたんだなって。

2025/2/16 21:06

時計の針が、いつもよりゆっくり回っている気がした。

ヒカリは「チャリティーコンサートってさ」と切り出して、コンサートのことを訥々と語り始めた。

チャリティーコンサートには、小児科病棟に入院する子供とその家族が聞きに来る。「外に自由に出歩けない子供たちを、生の音楽に触れさせてあげたい」という想いから、ヒカリの先輩が立案したものらしい。最初は1時間でやってたが、前回から30分に枠を縮小して開いているという。で、第6回の30分間の演奏を僕に任せたいとのことだった。

ヒカリは「私のために弾いてくれたらいいよ」と言った。特定の誰かに向けられた音楽は、その人だけじゃなくて、それを聴く他の人も勇気づけるし、笑顔にできるとも言った。

シオンは誰かに音を届けられる人だから、

2025/2/16 21:25

今回頼んでみたの。

2025/2/16 21:25

頼んでみたいと思ったの。

2025/2/16 21:25

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

場所分かりそう??

2025/3/16 13:48

エレベータの前で過去のやり取りを遡っていたところだったから、すぐにヒカリからのメッセージに気が付けた。タイムスタンプの時刻を見て、画面の向こうで心配そうな表情を浮かべる相手の姿を想像した。

今、病院の中だから

2025/3/16 13:49

もうちょっとで着くと思うよ!

2025/3/16 13:49

大丈夫。待ってて。心の中で言いながら、慌てて返信する。

目線をあげると、数字の「9」がポンワリと灯っていた。それを眺めながら、手に持っていたペットボトルをカチリと空けて、水をゴクゴクと飲む。飲んでいる間に、数字は10、11、12と上昇していった。

うん。時間も時間だし、しょうがない。諦めよう。

ギュッと蓋を閉めてカバンにしまうと、回れ右をして、スタスタと階段の方へ向かう。初めてのチャリティーコンサート。大人数の前で弾くなんて、かなり久しぶりだ。そのせいか、さっきから心臓のビートが早まって収まる気配がない。掌にじんわりと汗も浮かんできた。ああ、不安だ。本当に大丈夫だろうか。僕は、最後まで弾きとおせるだろうか。

ふーっと長い息を吐いた。

うまく弾けなくてもいい。いいんだ。届けたい相手に届けようとするだけで、きっと十分なんだ。

そう言い聞かせながら、舞台の6階へと続く長い長い階段の1段目に、僕はゆっくりと右足をかけた。

この小説は、小林潤平/パラレルジャンクションさんが発起人である「リレーエッセイ」プロジェクトの一環で執筆したものです。

このプロジェクトを手伝っておられるJオヤジさんにお声かけいただき、企画に参加する運びとなりました。そんなJオヤジさんから受けた取ったバトンを、福沢八一さんにお渡しします。


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誰かを想うあなたの優しさが、きちんと誰かに届きますように。あなたの元に、別の誰かの優しさが届きますように。

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