みおくりびと
2024年3月9日。
レミオロメンのあの曲が否応なしに思い出されるこの日。
我が家は、大切な「お客さん」を迎えることになっていた。
その相手とは、東京に住む、母の弟(おじさん)である。身内を「大切なお客さん」と形容するのは大袈裟に聞こえるかもしれないが、なにせ滅多にはこちらに来ない人である。親等の小さい親族の中で、まさにSSRな存在の彼は、どこかよその人のようであった。
おじさんが、おそよ5年振りにこの地元に帰ってきた一番の理由は、僕の祖父(彼の父親)に会うことだった。昨年の夏からケアハウスに入る祖父は、まだまだ元気だとはいえ、正直、何が起こるとも分からない齢なのは間違いなかった。東京という離れた地に住むおじさんは、祖父の身に何かあっても、すぐに駆けつけることはできない。それを鑑みて、このタイミングで祖父に会いに行ったのだ(と、勝手に推察している)。
おじさんが我が家に来たのは、18時半頃だったと思う。「思う」と言ったのは、彼が来た正確な時間が分からないからだ。
2階の自室でパソコンを開き、大事な予定をこなしていた僕は、おじさんを出迎えることができなかったのである。「なんか下の方がガヤガヤしているぞ。あ、もしかしたら、おじさんが来たのかもしれない」と思って、パッとパソコンの左下に目をやったら、確かそれくらいの時間だった。
この日の予定と言うのが、22時までの長時間に渡るセミナーのようなもので、(途中に休憩があるとはいえ)ずっとパソコンの前に座っている必要があった。僕が予定をこなしている間、階下からは談笑の声が微かに聞こえる。楽しそうな雰囲気に「ああ、いくら大事とはいえ、予定をキャンセルしても良かったかもしれないな」と、少しばかり後悔の念が募った。
21時を20分ほど回った頃、ふいに部屋の扉が開く音がした。チラリと扉の方をみると、2歳下の弟がいた。
「どうしたの?」
「おじさん、帰るみたいなんだけど、ちょっとだけ時間ない? ちょっとだけ」
さすがに、挨拶くらいはしておこうと思い、一度席を離れることにした。
下に行くと、おじさんは立っていた。数年前に会った時と、全然変わっていないように見える。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「まあ、はい」
「大学通ってるんだよね?」
「はい」
「ふーん、そうか」
そんなぎこちなさ満点のやり取りを2分くらいした後、おじさんの方が僕の時間を気にしてくれた。
「あ、忙しいんでしょ。そろそろ大丈夫?」
「そうですね。そろそろ行かないと」
「じゃあ、また」
「はい、また〜」
軽くお辞儀をして、階段をパタパタと駆け上がっていった。開いたパソコンから、相変わらずさっきまでのセミナーの音が聞こえる。
それからすぐに、おじさんは家を後にしたようだ。僕は結局、彼を見送ることしかできなかった。いや、逆に、彼に見送ってもらったといえるかもしれない。
今度あった時は、「またね」と見送るだけじゃなくて、「いらっしゃい」とか「よく来たね」という言葉で出迎えてあげたい。春という、少しせわしない時間が流れる季節の真ん中で、そんなことを思った。
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