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初めてを思い返して

最初にその「カラオケ店」を訪れたのは、3年前の7月上旬。ちょうど今くらいの、梅雨がようやく明けようかという時期だった。

自動車学校に通い始めたばかりの頃だ。1時間くらいの講習が終了したあと、ふと近くにカラオケ店があることを思い出した。

小さい頃に音楽教室に通っていたこともあって、音楽はもとより歌うことも好きだった。「歌好きはカラオケに行く」みたいなイメージを抱いていた一方で、僕自身はカラオケに行くことはなく、Nintendo Switchの家でできるカラオケを年に数回嗜む程度だった。

家でのカラオケもそれなりに楽しい。とはいえ、近所の人の目が気になって思い切り歌うことは躊躇われたし、マイクやモニターなどの設備はお店の本格的なものにはどうしても劣ることも知っていた。そんな体験があったから、あの日、教習所の近くの店に「ちょっとカラオケに行ってみようかな」と思い立ったのだろう。


僕は「初めて」の店に入るとき、必ずといっていいほど緊張してしまう。いつも通っている店なら、店に入ってから出るまでどのように振舞えばいいか分かる。が、「初めて」の店はそうはいかない。

これが飲食店なら話は別。お店に入ったあとに席について、料理を注文して、頼んだものが運ばれてきて、食べ終わったら会計を済ませて店を出る、という一連の流れが容易に想像できるからだ。「初めて」が苦手な僕でも、チャレンジしやすい。

しかし、カラオケ店はそうはいかない。「自由に安心して歌える場所」を提供してくれることにお金を払うわけで、何かの「モノ」を買って帰る飲食店やアパレルショップや書店なんかとはわけが違う。

実を言うと、それまでに3度カラオケに行ったことがある。ただ、3回のうち2回は幼少期のことすぎて「行った」という事実しか記憶していないし、もう1回は「ラウンドワン」に併設されたカラオケコーナーだから、いわゆるカラオケ店とは異なる。

不安を抱えながらも、とうとうお店の前までやってきた。そこからしばらくは店の横で「どうしようか」とモジモジしていたが、「せっかくここまで来たんだし、ただ帰るのはもったいない」と意を決して自動ドアをくぐった。

受付の前の消毒と検温を済ませると、店員さんに「カードはありますか」と尋ねられた。どうやら、会員カードの作成が義務づけられているらしい。促されるまま、あれよあれよと言ううちに、新品のカードが出来上がった。

次のステップとして、文庫本くらいのサイズの質問票が渡された。店舗までの交通手段を尋ねる設問や飲酒をしないことを宣誓する欄もある。回答を済ませた質問票を店員さんに渡すと、今度は利用時間と機種を尋ねられた。

ついに来たか。

僕はいかにも「初めて」ではない風を装って(カラオケ店に行き慣れているオーラを纏いながら)、「フリータイムのJOYSOUNDでお願いします」と爽やかにオーダーした。良かった。店に入る前に、注文の仕方をネットで調べていた甲斐があった。店員さんは慣れた手つきでレジのパネルをポチポチと押していく。それを見て、自分の注文の仕方が間違っていないことに気づき、肩をなで下ろした。

「フリータイムは、ワンオーダーとなっていますがいかがなさいますか?」

目の前に差し出されたメニューを眺めて、一番最初に目に付いた「ウーロン茶」を注文した。

「かしこまりました。では、1階○○○号室でお願いします。まもなくお部屋に飲み物をお持ちします。必要でしたら、レジ横においてあるマイクカバーをお取りください。ごゆっくりお楽しみください。」

ついに、難関の注文を終えた。

伝票を持って店の奥へと向かって行く僕の歩みは、戦に勝利した勇敢な兵士のように軽やかで、心は晴れ晴れしていた。

大きな戦果を挙げた僕は、それからというもの、免許を取るまでの数ヶ月間そのカラオケ店に足繁く通うことになった。

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