ピアノを弾くことの意味

昨年3月、ピアニスト渡邊智道さんの大分でのリサイタルに行きました。

あまりにも素晴らしすぎる演奏を目の当たりにしてからというもの、自分がピアノをやっている意味が見えなくなりました。

何のために音楽をやればいいのか分からなくなったのです。

だって、こんなに神の手を持つ天才がいるんだから、趣味程度にピアノを弾くことに価値がないように思えたのです。

だから、この1年間、ピアノを弾く気力が全く起こらなかったのです。

生徒のピアノレッスンの時以外は、全然ピアノに触りませんでした。


昨日、智道さんのリサイタルが大分でありました。

iichiko音の泉ホールは、わたしが2019年に智道さんの演奏を初めて聞いて、一目ぼれした思い出の場所です。

その時の感動を3ヶ月後のnoteに書いています。

約3年半ぶりに同じホールに帰ってきてくれました。

1912年製のNYスタインウェイピアノというお供を連れて。

わざわざ東京から大分まで運んできたそうです。

堂々たる存在感
どれだけのピアニストと共に歩んできたのだろう


そして、リサイタルでは、毎回プログラムが手書きでかわいいのですが、今回はアンケートまで手書きでかわいいです。

前半は、音の美しさに心がうるうるしました。

後半は、圧倒されました。

感動を言葉にするのが難しいけれど、やっぱり素晴らしい。

生きているピアノの音で自分の内面が浄化されていきます。

渡邊智道さんは、わたしにとっては世界一で唯一無二のピアニストです。

改めて思いました。


アンコールは、初めてのリサイタルで聞いてドキドキした曲、シューベルトの「即興曲」を弾いてくれました。

2019年に感動した、あの時の感情がよみがえってきました。


ピアノに向かってみたくなりました。


価値?

意味?


答えは分からないけれど・・・。

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