「いじめを許すおとなに育ててはいけない」という強い責任感があるデンマークの先生
いつの時代にも、どんな国においても、いやがらせやいじめをしてくる子がいます。
わたしが読んだデンマークに関する本に、デンマークの先生のいじめの対処の仕方が書いてあり、わたしの中では納得のいく方法だったので、シェアしたいなと思いました。
図書館で借りたこちらの本は、2001年に出版された本です。
2001年と言えば、USJや東京ディズニーシーがオープンした年です。
1970年代生まれの自分にとっては、2000年以降の出来事は新しい部類に入りますが、若い人たちにとっては、すでに21年前のことなので、古いかもしれません。
21年前と今では、いじめの質も変わってきていると思いますが、デンマークの先生の考え方は今も昔も変わらないだろうなと思います。
その強い信念があれば、解決できることなのだなと思います。
まず、この本の著者の伊藤さんがとても行動力があって素晴らしいのです。
11歳の息子さんが日本で不登校になったのをきっかけに、旦那さんを日本に置いて、下の2人の娘さんも一緒に、3人の子どもを連れてデンマークに渡り、約2年過ごしました。
その間、著者は、大学に通って現地の若者と交じって勉強をしたそうです。
すごい。
こういうことができないわけではないのですね。
できない、ではなく、やるかやらないか、ですね。
この本は、デンマークに憧れを抱いているわたしにとって、指針となりました。
さて、著者の息子さんが通う、デンマークの田舎の学校で、隣の席の子が、毎日毎日先生に気づかれないような意地悪をしてきたのだそうです。
授業中に机の陰で、足をけったり、つねったり、叩いたり、小声で『日本人、日本人』とからかってきたり。
息子さんは嫌になって学校を休んだりしたそうです。
その学校の校長先生は、いつも「何か気になることがあったらすぐに言ってくださいね」と母親である著者に声掛けをしていたそうです。
担任の先生に電話して事情を話すと、話を聞いてくれることになり、校長先生と担任の先生が真剣に聞いてくれたのだそうです。
それを聞いた校長先生が
「1回きりなら偶然の出来事と言えるかもしれないが、これは明らかに意図的ないやがらせだ。本人と話をします」
担任の先生が
「深刻な問題だとわからせるためには、校長が直接話したほうがよいと判断しました。こうしたことが許されると思ったままおとなになっては困りますから」
と言ったそうです。
ここで、わたしは、「校長先生と担任の先生、グッジョブ!!!!」と叫びたくなりました。
これです、これ!
こうしたことが許されると思ったままおとなになっては困ります
こうしたことが許されたままおとなになった日本人が結構いますよね。
悲しい国だなと思います。
さらに、校長先生はこう続けます。
「ただ、私が話をすることで、〇〇さんが腹を立ててもっとひどいいやがらせをすることも考えられます。その時は、すぐに近くの先生に言うこと、校長室や、図書室に逃げることなど、伝えてください。」
先生の対応の迅速さに加え、裏目に出ることもあり得るというところまで考えて対応を考える冷静さがあり、「いじめを許すおとなに育ててはいけない」という強い責任感がある
と著者は書いています。
本当に素晴らしい対応だと思いました。
しかし、本質はそこではないのです。
<主張しないと始まらない>
担任の先生は、〇〇さんのことは前から気づいていたのだそうです。
何度か注意もしたけど、〇〇さんに「わざとじゃない。ごめんなさい。これから気をつける」と言われて、息子さんの方がなにも言わないので、それ以上どうしようもなかったのだそう。
デンマークでは、本人が主張しない限り、なにも始まらない。まわりの人が「おかしいのでは」と感じても、本人が「いやだ」と言わなければ「それでいい」ということになってしまう。それ以上踏み込むと、本人の自己決定権を侵すことになってしまう。本人が主張すれば、聞いてくれる。そして、可能な限りでなんらかの対応がある。
ただ「自己決定」させればいいというわけではなく、「自己決定」には責任が伴うということが分かりました。
「いじめを許さない」というのは、いじめられたときに「いやだ」と主張できる、ということでもあるのだろう。人には、自分の正当な権利を守るため、自ら主張する責任がある、という考えが、そのもとにあるようだ。これは「言えば聞いてもらえる」という、相手に対する信頼感がなければできない。
でも、息子さんが長い間、そのいじめのことについて母親になにも言わなかったり、息子さんから聞いた母親が先生に伝えるのをためらったりもしたそうです。
その背景には、「いやだ」と言っても聞き入れられなかったり、言ったためにかえっていやな思いをしたり、という日本での経験があったから
たしかに、日本では、先生に言っても聞き入れてもらえないですね。言ったことで逆にひどくなることも。
日本ではいじめ防止のためのマニュアル作りがさかんだが、いじめやいやがらせというのは、相互の関係のなかで起きることなので、「ここからはいじめ、いやがらせ」と線引きすることは本来できないこと。他の人にはどんなにささいなことに見えても、受けた側が「いやだ」と感じたら、それはいやがらせであり、いじめなのだ。
<「いやだ」という当人の声をきちんと聞くこと。>
その後、息子さんへのいやがらせがなくなったのだそうです。
デンマークの先生が低学年に「いやがらせというのはどういうものなのか」を分かりやすく説明をする場面がこの本の中にありました。
デンマークの首都のコペンハーゲンの学童保育に入ることになった新1年生の娘さんの説明会で先生が子どもたちに向かって言ったことばです。
「他の子をたたいたり、ひっかいたり、けとばしたり、髪を引っ張ったり、かみついたりしないこと。それから、他の子の悪口を言わないこと。眼鏡をかけている子や、太った子がいたとして、その子に『眼鏡をかけてる』とか『太ってる』と言ったりすることは、ほんとうのことだから悪口じゃないと思うかもしれないけど、もしもその子が眼鏡をかけていることや、太っていることを気にしているとしたら、そう言われていやな気持ちになるでしょ。それは言ってはいけないことなの」
「それから、他の子にたたかれたり、ひっかかれたり、けとばされたり、髪を引っ張られたり、かみつかれたり、いやな気持ちになることを言われたら、黙っていないで、まわりのおとなの人にそのことを言ってね。先生に言えなかったら、お母さんやお父さんに言ってもいいのよ。たとえば『あなたはトルコ人ね』と言うのは、ほんとうのことだけれど、もしあなたがいやな気持ちになる言い方で言ったとしたら、それはやってはいけないことだから、すぐに先生に言ってね。黙っていると、悪いことをした人が、悪いことをしたと気がつかないから、よくないのよ」
分かりやすい!
筆者はこれを聞いて日本との違いに驚いています。
日本では「みんななかよく」「いじめはいけないよ」「思いやりをもって」などの言葉はしょっちゅう聞くが、こんなにわかりやすく具体的に、なにが許されないことか、説明してくれるのを聞いたことはない。これなら、幼い子どもでも、たとえ意識的な悪意はなくても他の人がいやがることをしてはいけないこと、自分の気持ちを伝えることの大切さが理解できるだろう。
新1年生の保護者会においても、校長先生からお話があったそうです。
「学校ではいろいろなことを経験します。トラブルや問題が起こることもあります。気になることがあったら、すぐに相談してください。早くに問題を見つけられれば、解決も早いのです」
「だれにだって問題は起こるんだよ。なにかあったら一緒に考えようよ」と呼びかける先生は、なかなか日本にはいないと思います。
著者も「問題が起こることが問題なのではない。」と書いています。
さまざまな親の下で育ってきた一人ひとり違う子どもたちが、家庭と違う環境の中で毎日長時間一緒に過ごすのだから、トラブルが起こるのは当然。問題を明るみに出すことができなかったり、解決に向けて話し合う場がなかったりすることが問題。なにか問題が起きたとき、それを押さえ込んでしまうと、表面的には問題が消えたようにみえても、問題は深刻化し、形を変え、時を経てまた姿を現す。そして、その解決はさらに困難になる。
デンマークのような学校だったら、安心して子どもを預けられそうです。
時には、息子さんをいじめた子のような子どももいるかもしれない。
でも、解決してくれる信頼できる先生がいるというのは、心強いですね。
デンマークの多くの先生たちは共通してこう言うそうです。
「人生で一番大切な時に、1日の一番いい時間を長時間過ごすのだから、学校での生活は楽しくなくては」
「学校は、教師が教える場ではなくて、子どもが学び、成長する場だ」
デンマークの先生たちは、子どもの表情や反応や様子をよく見ているのでしょうね。
デンマークの、教師になる人のための学校の教科書にこう書かれてあるそうです。
「子どもの人生を決定する責任を持っているのは子ども自身。だから、教師は『~しなさい』と言ってはいけない。教師の役割は、子どもが『~したい』ことを見つけるのを待ち、助けること」
このような先生の下に預けたいと思いました。
その後、デンマークでの経験を積んだ息子さんが日本の中学校に戻り、苦労したのだそうです。
学校での決まりごとや、先生の話に疑問を感じると、すぐに『どうしてですか』と質問をし、それに対して納得のいく答えが得られないと、『ぼくはこう思うのですが』と、とことん話し合おうとするので、先生やほかの生徒に、へんなやつと言われた。
これですよ!
日本のよくないところ。
先生でさえも、親身になって話を聞いてくれない。
「異端」としてはじかれるんですね。
先生は「異端審問官(えんとつ町のプペルより)」なんですかね。
その息子さんの話を著者がデンマークの先生に伝えると、手をたたいて喜んだそうです。
「まあ、彼がそうなったの!デンマークの義務教育9年間で学ぶべきことは、そのことなのよ!自分の身のまわりのことに自分なりの疑問を持って、『どうして?』と問いかけることだけなのよ。それさえあったら知識なんてあとからついてくる。まあー息子さんがそれを学んでくれたの。ここにいるときは、ちっともしゃべらないから心配してたんだけど」
この違い!
ああ、デンマーク行きたすぎる~~。