ブルーム愛を語らせてくれ
Bluem of Youth(ブルームオブユース)という日本の2人組の音楽ユニットです。
ボーカル、ギター、作詞の別所ユージ(左)とギター、ピアノ、作曲の松ヶ下宏之(右)
2人とも広島出身で、広島では「線路沿いの恋」で有名でした。
イントロのピアノ素晴らしくないですか?
わたしは松っちゃんのピアノが大好きなのです。
そして、松っちゃんの作った素晴らしいメロディが、ユージくんの詩の独特の感性や言葉の選び方の上手さを光らせる。
二時間かけてたどりつく灰ヶ峰の眩い夜景
今でも足早な東京で踏まれないように抱えてるんだ
細い腕の小さな傷跡も見つめられると照れる時の笑顔も
電車の走り抜ける突風もすべて守れると思っていた
映画を眼鏡で観る横顔も寝起きの悪い電話の鼻声も
きっと迎えにゆけると信じてた離れれば離れるほどに
線路沿いに咲いた恋を
しかし、2人の名が全国で知られるようになったのは、この曲ではありません。
1999年に日本テレビのバラエティ番組「雷波少年」の企画に参加し日本武道館ライブを果たし、またこの企画で生まれた曲『ラストツアー〜約束の場所へ〜』がヒット。
※「電波少年」ではなく「雷波少年」です。
その企画内容とは、ロシアの大動脈であるシベリア鉄道横断の旅だった。シベリア鉄道(モスクワ~ウラジオストック)の各駅を旅しながら(生活費や旅費はストリートライブなどで稼ぎながら)運命の一曲を作り上げ、その一曲で日本武道館ライブ(入場料は1000円)を行うというものだった。
ということで、2人は突然モスクワに連れて行かれ、路上で寝泊まりしながら旅をし、さまざまな曲を作りました。
その模様が毎週日曜の午前中に放送されました。
それが、ほんとうに楽しかった。
ロシアの街並みや自然、ロシア人の生活や国民性、曲が作り上げられる過程など色々見ることができたから。
旅と音楽が好きなわたしは、もう、夢中で見ていました。
見ていくうちに、すっかりブルームのとりこになりました。
わたしのブルーム愛に付き合っていただける方は、こちらのピアノ伴奏バージョンも聴いてください。
ピアノ最高!
それからというもの。
2002年の活動休止になるまでの3年間。
彼らを追い続けましたよ。
関東圏、関西圏はもちろん、名古屋、広島、山口、九州全域の全国各地へ出没しました。
ライブやインストアライブに3年で約50回。
そして、ファンクラブツアーでハワイに2回、ニューヨークに1回、行っております。
はい。
そーとー熱狂してまして。
ブルームに人生を捧げていた
と言っても過言ではありません。
活動休止後、彼らは個々の活動をしていました。
わたしにとってはBluem of Youthとして2人一緒の活動の方が魅力的でしたので、2008年に活動再開を知った時はうれしかったです。
活動再開と言っても、ブルームの活動を主にしておらず、個々の活動をしながら年に2~3回ブルームとしてのライブを行っていました。
それでもいい。
年に1度でもいいから、ブルームのライブに行くと、心がリセットされて良いんです。
ブルームと出会い、あれから20年。
ブルームの2人と共に、ファンの私たちも、お互い年を取っていき、いい感じに音楽も熟してきましたよ。
あの頃の「きゃーきゃー」感はないが、なんだかアットホームでいい。
今年2020年はデビュー25周年で、春に東京、大阪、広島でライブを行う予定だったけど、延期になりました。
ようやく10月にライブが決まり、40人限定で観覧募集されました。
応募してダメだったら配信でライブを見ようと思ったら、当選しました!
おお!奇跡!
神様さんきゅ!
ということで、月曜日に行ってきました。
もちろん、細心の注意を払い、万全の態勢で、ライブに臨みました。
配信ライブで家でライブが見られるのも最高だけど、やっぱり、生の音楽にはかなわない。
息遣いだったり、目配せだったり、手や足の動きだったり、音の響きだったり。
これは生じゃないと味わえない。
来年は、普通にライブが行えるようになるといいなぁ。
最後に、ブルーム史上最高の出来だとわたしが思う至極の一曲を紹介します。
「ラストシーン」
たとえこの雨が悲しみさえ綺麗に洗い流しても
忘れないよ忘れられない涙の跡消えても
ピアノも歌も、メロディも歌詞も、全てにおいて秀逸。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。