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時間切れ!倫理 122 中江藤樹

陽明学 中江藤樹
 朱子学が日本に入ってくれば陽明学も当然入ってくることになります。朱子学は藤原惺窩、林羅山、山崎闇斎の三人ですが、陽明学は一人だけ覚えておけばよい。中江藤樹(1608~48)です。
 中国で朱子学を王陽明が批判して生まれたのが陽明学でした。ですから中江藤樹も朱子学グループとはかなり違います。中江藤樹は「孝」を人間関係の基本と説き、「近江聖人」と呼ばれました。この単語は結構試験に出ますね。
 簡単に彼の人生を紹介しておきます。近江とは滋賀県のことです。滋賀県の農民出身です。農民といっても郷士と呼ばれる身分で、すれすれ武士ではない。ただ叔父さんが武士身分となり中江藤樹はその叔父さんの養子となって武士身分になります。その叔父が四国の大洲藩の殿様に仕えることになる。そこで中江藤樹も養父について四国の大洲に行き、叔父の死後は中江藤樹も大洲藩の藩士として殿様に仕えることになる。しかし彼は近江出身なので、年老いた母親は遠く離れた近江に暮らしている。
 彼は母親が心配で仕方がないので、殿様に「やめさせてください、田舎に帰って母親の面倒を見たいのです」と訴えるのですが、殿様は「まかりならん」と辞めることを許してくれません。そこで中江藤樹はついに脱藩します。脱藩というのは、殿様の許可なく勝手に藩から逃げ出すことです。そもそも、武士は戦士ですから、勝手にやめるのは戦場で敵前逃亡するのと同じ大罪なのです。その大罪をおかしてまで、彼は田舎に帰って母親と暮らしました。そこまでしたので、逆にすごい親孝行だということで、のちのち評判になりました。近江聖人と呼ばれたゆえんです。
 孝というのは、もともと儒学の徳目の一つなのですが、中江藤樹は孝を思想的に深掘りします。中江藤樹には親孝行をする母親がいます。その母親にも親がいて、その親にも親がいて、限りなくさかのぼることができます。母に親孝行をするのであれば、その親、またその親にも孝行をしなければならないはずだ、と中江藤樹は考えました。自分と関係のない赤の他人にも、親がいて、そのまた親がいて、そのまた親がいるはずです。こうやってさかのぼれば、全ての人の祖先は同じ所に行き着くはずだと考えた。
 共通の祖先からたくさん枝分かれして、今ここに多くの人がいるようになった。そう考えれば、赤の他人と見えるあの人も、同じ祖先から分かれた遠い親戚だと考えられる。先祖をさかのぼれば皆親戚ではないか、ということです。祖先をどんどん遡っていったその先は宇宙の根本原理に行き着くのであり、結局は人は皆同胞である。彼はそこから人間の平等性という考えに行きつきました。朱子学の身分をきっちり守ろうという考えとは大きな違いですね。
 言葉としては「愛敬(あいけい)」。身分や立場の違いを超えて、互いに愛し敬うべしということです。差別を本質とする身分制度と相容れない部分を含んでいる。これが中江藤樹の考え方です。ユニークな人ですね。試験にもよく出ます。

「ばんみんはことごとく天地の子なれば、われも人も人間のかたちあるほどのものは、みな兄弟なり」(中江藤樹)

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