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時間切れ!倫理 126 荻生徂徠

 古学の3人目です。古学の三人の中で一番重要なのがこの荻生徂徠です。
 孔子や孟子に直接学ぼうとする点は他の二人と同じ。しかしそのやり方が徹底しています。
 儒学の経典は当然漢文で書かれています。現在の皆さんが漢文を読む時に返り点や一二点、上下点をつけて読んでいるのと同じように、江戸時代の日本人もそうやって読んでいました。しかし荻生徂徠は、それは本来の漢文の読み方ではないという。孔子や孟子は漢文を上から読んでいたはずだ。彼らの考えを正確に知るためには、彼らと同じように上から読まなければならないと考えた。簡単にいえば日本風の漢文ではなく、古代中国語として経典を読まなければならないと主張しました。彼は中国語を学んで実際にそれを実践しました。そこで彼の古学のことを特に古文辞学といいます。彼の学問、儒学の解釈は朝鮮や中国にも逆に影響を与えたといわれています。
 従来、儒学とは個人的な生き方を高めるもの、つまり仁や礼や孝・忠などの道徳の実践をめざす学問だと考えられてきましたが、荻生徂徠は、孔子や孟子が目指した「先王の道」は、個人的な道徳ではなく、天下の安泰をもたらすための方法、つまり「安天下の道」だと考えました。「世の中を平和にするために、孔子・孟子の学問はあったのだ。孔子や孟子は、戦乱の世を鎮めて天下を安泰にするためにはどうしたらよいのか、それを考えて家族秩序から出発したのである。個人の生き方はもちろん大事だけれども、それは社会を平和、安泰にするためのものだったのだ」と考えたのです。
 つまり彼の学問の意義は、儒学の道徳を目的ではなく、経世済民(けいせいさいみん)の手段と考えたことです。実際に荻生徂徠は5代将軍綱吉の側近柳沢吉保に仕えて、そのお抱え儒者として政治問題に意見を述べる機会もあったようです。
   彼は、「私」(個人)よりも「公」(全体)の秩序を優先しました。特に有名なのは、赤穂浪士討ち入り事件における彼の考えです。『忠臣蔵』という話を皆さんが知っているかどうか分かりませんが、何度も映画やドラマになっている江戸時代の事件です。赤穂藩の浅野内匠頭という殿様が、江戸城内松の廊下で自分に意地悪をする吉良上野介という大名に切りつけた。江戸城内で刀を抜くというのはタブーなので、その禁を破った浅野内匠頭は切腹を命じられ、赤穂藩は取り潰しとなった。浅野内匠頭の家臣である赤穂藩の武士たちは、「自分たちの殿様を死に追いやった吉良上野介を許さないぞ」と考えた。最終的に四十七人の赤穂浪士が江戸の吉良藩邸に押し入って、吉良上野介を討ち果たした。その後四十七人は全員自首して、処分を待つことになります。
 この討ち入り事件の犯人達にどういう処分を下すかということで、徳川幕府の首脳陣はもめにもめます。
 主君に忠誠を尽くして仇討ちを果たすということは、朱子学的には素晴らしい事なのです。主君が殺されても知らない顔をしているのではなく、命を捨てても仇討ちを果たした。「この平和な世の中でなんと素晴らしい武士たちだ」と賞賛する意見が多数あった。
 しかし将軍の側近柳沢吉保の顧問だった荻生徂徠は、「これは犯罪です」という。「幕府の裁定に逆らい、他藩の藩邸に押し入って大名を殺すということは、立派な犯罪なのでしっかりと処罰しなければダメです」といった。こんな行動を褒め称えていては、勝手にあちこちで仇討ちが発生して主君たるものがたくさん殺されます。四十七士は仇討ちを果たした立派なサムライかもしれないけれども、人々が安泰に暮らせる世の中を作るためには、やはり彼らは死を免れることはできない、と主張しました。
 将軍綱吉もこれに賛成し、最終的に彼らは全員切腹となりました。切腹は名誉ある死罪と考えてよいでしょう。彼が儒学を「安天下の道」と考えていたことを考えると、この判断はよく理解できると思います。


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