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時間切れ!倫理 55 儒教の発展 秦漢以後

 戦国時代が終わって安定の時代が訪れると、いつまでも厳しいばかりではもたない。秦が統一後わずか20年弱で滅びたのは、法家の思想によってあまりにも人民に厳しく接しすぎたのも一因でした。あまりの厳しさに民衆反乱が起こって、滅亡してしまったのです。
 そのあとにできた王朝が漢。前漢・後漢をあわせると約400年つづきます。漢の初代皇帝高祖劉邦は、秦の厳しいやり方をあらためたことで有名です。そして、七代目の皇帝武帝は、秩序を重んじる儒家を官学として採用したのです。父子、君臣、男女、長幼の秩序と道徳は、これを民衆に浸透させることができれば、支配者である皇帝にとって非常に都合が良い。儒家には安定した秩序の形成が期待できたのです。

 こうして前漢の時代に、儒家は国の正式な学問とされました。正確には「官学化」という。政府のおすすめの学問として推奨されます。具体的には官僚に要求される学問となったのです。

 中国は大きな国です。皇帝一人では統治できない。大勢の官僚が必要です。どんな者たちを官僚に採用するか。身分制度があるので、豪族・貴族が採用されるのだけれど、それだけではだめで、やはり学問を積んだ優秀な人間が欲しい。読み書きできるだけではなく、共通の知的・教養、全国標準としての知的基準が設けられなければならない。それを儒学としました。

ちなみに、儒家はやがて、儒学と呼ばれるようになっていきます。意味するところは同じです。儒教という言い方もあります。これも意味は同じで、儒家のことです。「教」という字から、宗教の一種と考える人もいるようですが、宗教の「教」ではなく、儒家の「教え」という意味で、儒教と呼ぶのだとわたしは理解しています。

 こうして、官僚として仕官するには、儒学の勉強が必要となった。しかし、具体的に何を勉強をしたらよいのでしょうか。そういう悩みに応えるために、政府は基準となるテキストを定めました。これを「五経ごきょう」という。『詩経』『書経』『易経』『春秋』『礼記らいき』の五つの書物の総称です。これが最低限の共通教養となる。基本的には暗記すればよい。五経に載ってる文章を引用しながら論文を書く能力が必要とされました。
 官学化によって儒家の学問は広がっていきましたが、別の見方をすると、国家公務員になるための手段となってしまったため、儒家の学問自体としての発展は止まります。「荀子のこの説はおかしいじゃないか」、「論語のこの文は、こんなふうに解釈できるのではないか」、というような新しい学説や考え方は、生まれてこなくなる。学問としては停滞します。この状態が1000年間つづく。さすがにこれだけ続くと、あらたな学説が出てきます。。

 それが宋代に現れた朱子学です。

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