時間切れ!倫理 145 社会主義思想
明治になってヨーロッパの文化を取り入れる。政治面では富国強兵、経済では殖産興業。殖産興業というのは近代産業を起こすということです。明治になると日本でも産業革命が始まり資本主義経済を発展させていきます。
資本主義経済になれば、当然労働者階級が生まれてきます。イギリスでもフランスでも、どこでも、産業革命がはじまる当初は、労働者が非常に悲惨な状態に置かれる。労働者を守る法律は何もない。長時間労働、低賃金、児童労働などに対する禁止はない。労働者の生活環境は厳しく、資本家との格差はどんどんと広がる。こういう状況の中から、労働者階級の生活改善・権利向上を目指すして生まれたのが社会主義思想です。この労働者の状態をほっておけば社会が壊れてしまう。社会を守るためには、労働者の立場を守らなければならないというのが、社会主義思想です。当然資本主義社会に突入した日本にも社会主義思想が登場します。
安部磯雄(同志社で新島襄から洗礼)、片山潜、木下尚江(なおえ、東京専門学校出身、廃娼運動24歳で洗礼)。この人たちが日本の最初の社会主義思想のグループです。共通点は、みなキリスト教の影響を受け、人道主義の立場から労働運動を支援する活動をおこなったこと。安部磯雄や片山さんはアメリカに渡航した経験があり、そこで労働運動を実際に見て、日本でも同じような運動が必要だと考えていたわけです。
幸徳秋水は、キリスト教徒ではありません。人道主義的な立場からではなく、もっと鋭く権力関係や社会構造を見つめていた人です。「平民新聞」を発行します。民衆の立場に立ち国民や労働者の権利を守る立場、反戦論の立場から言論を展開しました。「平民新聞」という名前にその立場が現れていますね。
幸徳秋水は中江兆民の弟子です。秋水というのはペンネームですが、これは中江兆民につけられたものです。日露戦争に反対したことも、彼に関してはよく言及されます。日本史でもよく触れられる日露戦争に反対した人物が3名います。キリスト教の立場から内村鑑三、社会主義の立場からは幸徳秋水、文学者として与謝野晶子。
社会主義の立場からどうして反対になるか。日本とロシアが戦争をして、お互いの兵士が殺しあうけれども、日本の兵士もロシアの兵士も元々は皆農民。政府の命令で、兵士として駆り出され、命を奪い合っている。彼ら自身は、何の恨みもないのに殺しあわなければならない。それはおかしいではないか。資本家階級のために、国家の利益のために、何の関係もない労働者や農民が殺し合わされるのはおかしい、というのが社会主義的な立場からの反対の論理です。
日露戦争だけでなく、政府の様々な施策に反対する。しかも著名で大きな影響力を持っていた幸徳秋水は、政府にとってはものすごく煙たい人物でした。そのため、1910年、政府によってでっち上げられた冤罪事件、大逆事件で逮捕され、翌年処刑されてしまいました。 大逆事件の中身である天皇暗殺計画に、幸徳秋水は全く関係なかったのですが、明らかな冤罪事件にもかかわらず、国家権力によって幸徳秋水が処刑されてしまった。この事件は、社会の様々な分野で運動をしている人々にとって大きな威圧効果がありました。
アカデミズムの場所にいた社会主義者で有名なのが河上肇です。東大を出て京大の経済学の教授になった。マルクス主義経済学者です。著書としては『貧乏物語』が多くに一に読まれました。『河上肇自伝』も有名です。後に日本共産党に参加し、第二次世界大戦中は獄中生活を送っています。