時間切れ!倫理 166 宗教改革 ルター 後篇
ルターの教えを、具体的に見ていきましょう。 ローマ教会は、教会の言うことを聞いて罪を償えば天国へ行けると教えた。対して、ルターは、その教会の教えがおかしいと言う。ではどうしたら天国へ行けるのか。ルターは、ちゃんとした信仰をもっていれば天国に行けると教えた。これが信仰義認説です。
前にも出てきましたね。パウロが信仰義認説を説いていました。ユダヤ教は戒律を守ったら天国へ行けると教えていた。それに対して、パウロは戒律などはどうでもいい、信仰が大事だと教えた。同じことの繰り返しがここで起こっています。ルターは、心の中の信仰が大事だという。
では、信仰のよりどころはどこに求めればよいのか。ルターは聖書だと答える。聖書の教えの通りに信仰すればいいのだ、と教えたのです。ただ聖書を読めと言っても、 当時の聖書はラテン語で書かれていた。ラテン語は、現在の日本でいえば漢文のようなもので、庶民には読めません。 日本では、今も仏教のお経は全て漢文で書いてありますね。僕らは読めません。ルターの時代のヨーロッパの聖書と同じです。
信仰のよりどころは聖書だと言いながら、読めなければどうにもならないので、ルターはラテン語の聖書を、ドイツ語に訳しました。ものすごい話ですが、この時まで、ドイツ人が読めるドイツ語の聖書はなかったのです。ちなみに、ルターの訳は名訳で、ルターが翻訳した聖書のドイツ語が、 現在のドイツ語共通語の元になったといわれています。非常に大事な翻訳なわけです。また、こののち、ラテン語の聖書が、各国語に翻訳されるようになっていきます。
当時、グーテンベルクの活版印刷術も生まれていたので、ルターの主張は印刷されてどんどんと広まっていきました。
ルターの主張の続きです。
神と人の間に、カトリック教会が介在し、聖職者が神の意思を信者に伝える。ルターはこういうあり方に反対をします。一般信者と神の間に介在する、特権的な聖職者は不要だと考えます。そうはいっても、ルター派教会の信者にも、指導者が必要です。そこでルターは指導者は、信者の中でみんなに尊敬されている人がやればいいのだといいます。これが万人司祭主義。ローマ=カトリック教会では、神と人との間を仲介する聖職者のことを神父といいます。ルター派などプロテスタントでは、神父といわず、牧師といいます。映画などで、牧師さんが出てくれば、それはプロテスタント、神父さんが出てくれば、カトリック教会。神父は神に仕える身なので、結婚もしなければ、当然子供も作りません。牧師は信者の代表にすぎないので、結婚して家庭も作ります。牧師は、特別な人ではないのです。
また、すべての職業は神が与えた神聖なさだめ(召命)だと教えました。職業召命観といいます。
話を戻しますが、 はじめてルターがローマ=カトリック教会の贖宥状販売などを批判したのは、1517年、『95カ条の論題』の発表、これが宗教改革の始まりでした。