見出し画像

作品「空の家」についてのメモ①

「空の家」(からのいえ)という私の作品シリーズについて書こうと思う。これまで何度も展示してきて、その度にTwitterでは解説をすることがあったけれども、改めていまの自分の言葉で書き留めておきたい。

「空の家23」2015年
「空の家43」2015年

こちらに画像添付した「空の家」シリーズは、古い家族写真の上からドローイングをしたもの、その一部である。私はそれらをフォトドローイングと呼んでいて、落書きに近い手つきで写真の書き換えを行っている。その行為は気軽に見えるかもしれないけれど、家族写真のような、本来残されるべき写真の元の姿を消してしまう点において、何ともいいようのない責任を感じていたりもする。けれども、写真がいずれどこかに消えてしまう(自分の知らないところで処分される)よりかはずっと良いと思い、自分なりのコンセプトを持ってこのシリーズを作り続けてきた。

「空の家」シリーズに使用した写真は主に、亡くなった曽祖母のアルバムから出てきたものだ。私が撮った写真を使用することもあるが、いずれもその元写真のデータはとっておらず、ドローイングの書き込みによって、本来の写真がどんな姿であったかは完全にわからなくなっている。これは私にとって「過去を書き換える」意味があり、またそれによって、写真の中にある真実めいたものから解き放たれ「人の精神はどこまで自由になれるのか」を問いかけている。

この制作における重要な点としては、過去(変えられないと思われているもの)への呪縛から解放に向かうためにやっている事で、実際にあった過去の事実を無かった事にするとか、忘れ去るためにやっているわけではないということだ。実際、作品素材となった写真の多くは、曽祖母の死をきっかけに私の家族の手によって捨てられるところだったが(約半分ほどはビリビリに破られてしまったが)私が直感的に止めに入り、一部を回収することが出来た。家族にとって「もう必要ないもの」として扱われたものを、「まだ必要なもの」として拾い上げる方法を考え、それによって自分のルーツを探りたいという気持ちがあった。

また、この書き直しが単なる個人的な落書きで終わるものでなく、美術作品として公に出すことが自分にとって重要だった。そうする事で、この写真自体が物質として(形は変わってしまうが)逆説的にこの世に残り続けるだろうということと、作品化によって実際的な私の家族物語は重要ではなくなり、鑑賞者それぞれの自由な感情移入が許されるものになることを期待したからだ。自分にとっても、また何らかの呪縛を持つ多くの人にとっての救いになるのではと考えたからだった。いずれにせよ、作品化する視点をもたずに、フォトドローイングをしようという発想はまずあり得なかった。

2015年に発表してから現在に至るまで、鑑賞者の多くの方には、思いのほか軽やかな目線で楽しんでもらえていて、いろんな方に手にとって頂いたことを嬉しく思っている。変わらないものとしての過去は、一方ではやわらかく、どこか可笑しく存在しているものである…という視点をみつける装置として、この作品が存在することを願う。

しかし正直なところ、この作品シリーズを通して、私自身まだまだ見えていない部分があるなとも感じている。また発見があれば、その都度文章化していこうと思っている。

「空の家24」2015年

-

※このテキストは2018年5月26日に大槻香奈の pixiv FANBOX にて掲載していたものを再編集したものになります。

【大槻香奈・日々の記録をほぼ毎日更新中!】
↓↓↓

こちらFANBOXのオススメは500円プランです。主に広く皆さんにお届けしたい内容(日々の思考や制作の様子)を更新しております。
その他の各プランは、ゆるふわや謎、全然知らなくて良いことをお届けいたします。
ぜひお気軽に覗きに来てください!

いいなと思ったら応援しよう!