波紋
筆者がずっと好きな映画監督
荻上直子監督の最新作。
【ざっくりすぎるあらすじ】
依子はごく一般的な主婦として生き、義父の在宅介護をしながら、須藤家が須藤家として回る様に過ごす日々。東日本大震災が起きて日本中が放射線量や水道水の成分にピリついていたあの時迄は。
あの日、あの事が起きてから10年の時を経て依子は様々なそれまでも飲み込んでいた感情を依子なりの方法で押し殺して居たが、十数年ぶりに現れた人物によりそれも崩壊していく。
絶望しか見えなくなってきた依子がその先に見た物は?
そして、それまで押し殺してきた感情の行く末は?
現在の日本が抱えている極々普通に生きる更年期に差し掛かった女性の誰にでも起こりうる世界に生きる依子の放つ波紋は必ずどこかの誰かに誰しもに刺さる波紋となっていく。
見終わった後にモヤモヤする気分を誰しも抱えるかもしれない映画だった。
荻上直子監督の作品は22年公開の物以外は長編デビュー作から観させて貰っているが、単なる「まったりムービー」じゃなくて、色んな場所に散りばめられてる毒とも取れるごく一般的に生きている人々が日常で感じる居心地の悪さとか、嫌悪感とか、人を馬鹿にしたり、自分を蔑んだり、ごく普通に人間が感情として抱く気持ち。そういう世の中的に「良からぬ感情であろう物」がエッセンスとして作中のそこココに雫の如く散りばめるスタイルから「彼らが本気で編むときは、」から割かしエッセンス部分を全面に出しつつあるなぁ。と、感じていたのだが、今回の波紋は、本当にどの家庭にも当てはまるであろう依子のお話である。
「絶望を笑え」とパンフレットの一番最初に書いてあったが、本当にぶっ壊れた三通りの女性が出てくる。
三者三様で、依子もその1人だが、しかしこの「依子」は何処にでもいる、それこそ筆者の同級生にもいるだろうなという女性だ。
おそらく、筆者よりもほんの少し歳上の女性達から、勿論筆者と同じ世代もそして筆者の親世代もほぼ、当てはまるであろう日本の縮図及び日本の女性の縮図として、普通にあるそこそこ良い中流家庭のごく普通の風景から始まり、多分依子達須藤家が抱えるちょっとばかり誇張されてる「かも」しれない問題はどの家庭にもあるし、皆見ないふりをしている闇なのかもしれない。
その闇をどう切り抜けるのか?
フタをして見ないふりをするのか、いっそ捨てて逃げ切るのか?
それとも、自身を犠牲にして自分の心をぶっ壊す代わりに「上手くいっている様に見える家庭」を回し続けるのか?
どれが正解でも不正解でもなくて、多分それぞれに回答があって、その真理はその人が亡くなっても尚どれが正解だったのか?なんてきっと分からないのだと思う。
筆者はこの映画を見終わった後非常にモヤついてとにかくパンフレットを買って、監督がどんな考えを持ってこの作品を作ったのか?を早く知りたかったが、その前にぱぁーっと生ビール飲んで食事して歩いて帰る道道思ったのは、誰でも被害者であり、また加害者でもあり、それは視点の切り替えによってどちらの席にも誰でも座れるけれど、どちらかの席に座った後に同じ事柄で向かい側の席に移ってその事柄を見ることができる人は実はかなり少ないと言う事。
そして、映画が始まってから、ラストシーンに至るまでの間に、徐々に依子の中の自立性だったり、自身の人生について考え直してみたり、少しずつ、依子の中で何かが変わっていって、視点が切り替わったり、感情を爆発させたり、確かに絶望しかないのかもしれない依子の「これから」を、だとしても「その絶望を笑えるまでにした」依子の心の自立
が、ラストシーンに炸裂する。
依子が彼女自身のこれまでの人生を爆笑してるのか、嘲笑ってるのか?は、多分スクリーンを観ている人の「今置かれている人生の場所」と「今の視点で見えている景色」によって、物凄く見え方が変わるだろうな。と強く感じた作品でした。
そして、筆者が思ったのはやっぱり生きててナンボ。
そして、人の機嫌を伺いながらご馳走になるご飯より自分の中で作り出せるご飯だったり、自分の範囲内のお金で食べるご飯の方が何倍も美味しくそして、楽しいという事。
そして、物事を多角的に見る視点を持ちつつ、図太く楽しく生きてくのが1番だよね。
という、、なんともゴーイング・マイ・ウェイな答えに辿り着いたのでした。
パンフレットを購入して監督のこの作品に対する思考などを読んでなるほどなーとも思ったり。
皆他人事でもあるけど、自分自身の事にも当てはまる。
また、怖いけど真理を突いた作品を作られたなぁと、勝手に感じた作品でした。
絶賛公開中なので、興味のある方は是非!
映画「波紋」
監督・脚本 : 荻上直子
公開日 : 2023年5月26日
上映時間 : 120分