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はるヲうるひと

筆者が大好きな役者さんであり、監督・脚本作品も数作出されている佐藤二朗さんが手掛けた最新作。
本来であれば去年公開する予定だったが、コロナの影響で今年2021年6月4日〜劇場公開が開始された作品。

【ざっくりすぎるあらすじ】
とある売春で有名な売春島で、置屋である売春宿「かげろう」を先代から営み遊女達を暴力で支配する哲雄(佐藤二朗)哲雄の腹違いの弟で使いっ走りのポン引きや遊女達の面倒を見る得太(山田孝之)

かげろうの遊女は四人
古株で他の遊女を取りまとめ、時には守ってくれる峯(坂井真紀)
陽気なムードメーカーの純子(今藤洋子)誰にでも優しく癒しキャラのりり(笹野鈴々音)
見るからに内気で人付き合いの下手そうな新人のさつみ(駒林怜)

そして、この置屋で唯一「女」を売らずに暮らしている得太の妹で哲雄と腹違いの妹でもある美しい女性に育った、箱入り娘のいぶき(仲里依紗)長年持病を患い、殆どを自室の床で伏して過ごしている。
哲雄は、遊女のみならず、得太といぶきに対しては特に冷たく、暴力に任せて扱う日々。
その島に原子力発電所が建設される計画が出てきて、哲雄もその話に一枚噛んでいる様子。
そんな毎日に島民も、遊女達も閉塞感しか感じない日々。
いつもの様な日々の中である日哲雄も知らなかった先代の秘密が明らかになり、腹違いの哲雄・得太・いぶきの三兄弟と、遊女達のその後の運命を変えていくのであった。


筆者が大好きな、大好きな佐藤二朗さんの作品である。
ハッキリ言ってオープニングのシーンから閉塞感「しか」感じない映画だ。
独特の雰囲気の世界観のタコ部屋(遊女達が集まってそれぞれのスペースで自分達の化粧等をする部屋)
のカラーリングと照明具合は本当に見事。
そして、皮肉にも長年持病で床に伏せている得太と血の繋がっている妹・いぶきが、どの遊女よりも一番に美しく、しかし彼女は持病ゆえに彼女の「女」を売る事はできない。
ひとえに言うならアリの巣の出入り口を塞がれたまま、それに気づいたとて、出入り口を作る事すら諦めた、全ての感情を一度亡くした人にしか作れない映画だった。
そして、ある意味今話題の「呪術廻戦」の様に言霊の呪いにかけられた子供達のお話。に筆者には見えた。
親の存在は偉大だ。
どんな子供でも、大なり小なりいい意味でも、悪い意味でも、親の影響は絶対的に受けて育つ。
例え親が存在しない子供であっても「親が不在だった」という孤独感に苛まれて育つ人もいる。
そのくらいに親と子供の関係は密接で、特殊で、だからこそ絡まりやすく、見えにくい。

佐藤二朗さんの過去作品を拝見しても、やはり、一度全ての感情と「自分」という者を一旦更地にする位の本当の意味での「無」を味わった人でなければ、炙り出せない登場人物の細やかな、心情が、今回の映画にはやや、暴力的にでも、とても強く今までになく強く衝撃的に描かれている。
自身が美しい事をある程度理解している上でその美貌を一切生かす事が出来ず、何の為に自分が生かされているのかが、分からない、いぶきの虚無感に駆られた力のない瞳と言葉の言い回しが天晴れな演技だった仲里依紗さん。
あの、話し方や、物凄く残酷な事実だけど、それを言えてしまう心理状況は、自分が「何の役にも立てない人間だと自身で理解しているからこそ」発言できる言葉だったりする。

そして、それなりに生きて、とにかく妹を守りたくて、でも、哲雄に逆らう事も出来ず、何となく自分に出来る事を出来るだけやっている得太。
映画を観ていると、一見物凄く「いい人」「いい兄」に見えなくもないけど、彼を取り巻く幼い頃からの環境故に一番自分に何の力もなく、どうし様もない人生を生きていると自分で勝手に決めつけて、そして、本当の意味で孤独な暗い暗い海底にたった一人で生きている得太。

先代からの事業を引き継いで、自身の育ち故に「真っ当」に憧れて、表面上だけの「真っ当」を手に入れつつも、やはり何故自分は生かされているのか?が、分からず、自身の憧れる「真っ当」と真逆の行動を裏でしつつ、その暴力に任せて行う行動と、それによって遊女達を支配する事によって、自分が目にしたらその真実によって自身が壊れる事を本能で知ってか知らずか、見ようとしないまま、やはり自分の人生に、そして存在に虚無感しか抱けていない哲雄。

その三兄弟と、置屋のかげろうの遊女達と、そこに来るひと時の安らぎを求める客とのやり取りの中で、明かされる先代の秘密。
哲雄も知らなかったその事実は、三兄弟の「虚無感」をもっと加速させる物でもあるし、遊女達の虚無感しか感じない毎日を劇的に変えるものでもない。
だとしても、永遠に海底の真っ暗闇の中なのではなくて、止まっていた時計が明らかに動き出したわけでもないが、その時計の歯車が一つ「だけ」動いた。
もしくは、ゼンマイ時計のゼンマイがひと巻「だけ」巻かれた。たったそれだけの事実が映し出された映画なのだけど、そのたった一つの動きは、揺るぎのない動きで、一ミリも救い様のない未来絵図しか浮かばないラストではないが、明るい兆しが見晴らしよく見える映画でもない。

それでも、1ミクロンでも、人は前に進める生き物だ。
もがいて、あがいて、どんなに周りから見てみっともなくとも、言霊の呪いに縛り付けられていても、いつか、何かの拍子にその呪いから解放された時、その人の人生は過去いた場所からほんの半歩であっても、動き出す。
その生きていく上で一番大切な事を
凄まじい暴力と人間として、一番醜いと見られがちな売春というカタチで、佐藤二朗さんは、見事に描き、その描いた話に役者さん達全キャストが体当たりで本当に、自身の全てを出し切って、残りはカラカラの干からびた脱殻位になったのでは?という力強さで演じきって、見事に「はるヲうるひと」の世界観を描ききっている。
誰一人欠けてもいけなくて、誰一人別の人でもあの虚しさは描けない。

誰しもが、大人になっても心の中に幼少期の自分がいて、幼少期にかけられた言霊の呪いを抱えている子供がきっと心の奥底で、膝を抱えて座っている。
その、子供を解放できるのか?
大人になる前に、成長の過程でちゃんと飛び立てるのか?
それとも、大人になっても永遠にその子供はずっと膝を抱えて、寂しいままなのか?
それは、きっとその人の生き方と、物事の捉え方。
そして「自分にどれだけの可能性があるのか」「自分はどれだけ自分という人間を、楽しめているか」でだいぶ変わってくる。
と、筆者は個人的にとても思うし、実感している。

あの島の閉鎖的な世界で、まるで世界はそこしか存在しない様な世界観の中で、親の言霊の呪いにかけられた三兄弟と、それぞれに複雑な事情を抱えてそこで遊女として生きる女達の、閉塞感と虚無感と、でも人間として足掻きたい気持ちとが、複雑に絡み合った、現実離れしてそうでいて、どこで誰と生きていても、人間として当たり前に持つ感覚を
一見めちゃくちゃな暴力として、そして人間の一番目を背けたくなる行為として、描きつつも、心の奥底の本当に繊細な、柔らかい、ヒダの一枚一枚に触れた、佐藤二朗さんの作品。

最後、新人遊女のさつみさんのラストのセリフにこの作品を見た人が救われる物語。

やっぱり、佐藤二朗さんは、面白おかしいだけの役者さんではない。
人間としての底の底の底にあるものすごい所をちゃんと描き出す事の出来る
大好きな役者さんであり、表現者。

映画、はるヲうるひと
2021年6月4日から公開しています。
かなり、大胆で、暴力的なシーンもふんだんに含まれる作品ですが、ご興味持たれた方は是非!


映画 はるヲうるひと
監督・脚本: 佐藤二朗
脚本協力: 城定秀夫
原作: 佐藤二朗「舞台・はるヲうるひと」
日本での公開日: 2021年6月4日
上映時間:113分

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