噛み合わない会話と、ある過去について
昨年から筆者自身がこれまで手に取って来なかった作家さんの著作物に興味がムクムクと湧き出して年末から年始にかけては読書ラッシュと言う程ではないけど、暫くぶりにまとめた本を読んだ時期だったので、楽しい年末年始でした。
今回の作家さんも今まで全く手に取った事のないジャンルの作家さんの本
【ざっくり過ぎるあらすじ】
四つの短編集にて、ある記憶を様々な視点から見てみると、自分が記憶している事柄と全く違う印象だったり、それまでの相手との関係性の立場が逆転する様をそれぞれのお話でそれぞれに違う立場の人間の記憶を掘り起こし、今現在と摺り合わせ、ある時は残酷に。
ある時は不気味に。
それぞれの記憶の断片とは如何に一方的で、儚く脆い物なのか?を書き示した四人の記憶の物語
これを読んで最初の章の
「ナベちゃんの嫁」で、周りに必要とされるけれど、ナベちゃんが欲している関係性を全員で無視して、結局都合のいい様に関係性を保ちつつ、いざ、ナベちゃんが「それはちょっとかなりヤバい感じのお嫁さんでは?」を連れてくると皆で口を揃えて文句を言う章で、少なからず「ナベちゃん」の気持ちがわかってしまった自分が少し悔しかったり、第二章の教諭の美穂の記憶と国民的スターになったいつかの生徒「タスク」との記憶違いと、その記憶違いから故の美穂が話してた過去の話がタスクの耳に入った後のタスクの本当に血の気を感じさせない、怒りを通り越して、人間として認められないレベルでの美穂への思いからの話し合い等々のタスクの気持ちと、身のすくむ思いの美穂の気持ち。
第3章のママと母のスミちゃんの話してる母の話とママは最終的に怖くて聞けなかったり、母の色んなスミちゃんへの制限等々が若干筆者の母に似ていてちょっと気持ち悪いなー的な気持ちや、最終章の早穂とゆかりの女同士としての学生時代だからこそのクラスのカースト的なポジションを永遠に引きずってる人や、そのポジションから抜け出せない人や、そこから飛躍的に人間として成長した人に対しての「昔はあーだった」マウントや、その幼いマウントが大人になってからどれだけ馬鹿げた物なのか?等々。。
多分、この本を読んでなんとなーく背筋にヒヤリとした物を誰しもが感じるであろう物語が色んな形、色んな角度から見た別の人物から共通の記憶に対して本人が気づいてなかった角度で訴えかけてくる作品。
その位過去の記憶とはいかに曖昧で、自分自身のいい様に脳内で変換され、割といい記憶として自分の中に残っていく物なのだなと、再認識させられた作品でした。
一つ一つの物語がショートショート程短くなく、長過ぎないので読みやすく、理解しやすい。
そして、何となく読み終わった直後は「ええと。。」と割りかし強烈な印象を受けるけれども、後々効いてくる。
記憶端々にあの作品のこの感じ。。とフワフワと脳内の何処かにずっと仕舞われていて、でも大切な時に舞い降りてくる。
そんな、ぐいぐい読めて楽しいけれど、少しヒリつきもある。
色んな意味で帯にある
あなたの「過去」は、大丈夫?
が、本当にそうだねぇ。
と、ヒシヒシと感じられる作品でした。
どの記憶も、考え方も全て主観的になるのは人間の性ですが、様々な角度から物事を捉えて、考えて進めると困難でもうどうしようもない!という状況から割りかしスムーズに抜け出せたり、悩みが解消する事もしばしばあるのが人間なので、この作品が提起する「過去」を色んな側面で記憶して捉えるというのは本当に大切な事だなぁ。
と、筆者としてはとても体感した作品でした。
そして、第1章にあるナベちゃんの「皆にそれなりに必要とされるけど、決定的に必要とはされない、都合の良い人」の辛さは、ナベちゃんの優しすぎる所以からくるものだと言う事も理解しつつも、だからこそ、ナベちゃんが選んだお嫁さんは
「ナベちゃんだけ」を必要としてくれる人を選んだんだろうなぁ。。
そして、ナベちゃんを「都合の良い人」として扱っていた人達は自覚がある人も居ればない人も居て。
でも、今まで通りに付き合えない「ナベちゃん」に納得いかなくて文句を言う事が、どれほどナベちゃんにとって、苦しい事なのか?を理解はしてないんだろうなぁ。。と、過去に限りなく「ナベちゃん側」に居た筆者からすると、ナベちゃんの気持ちもわからなくもないなぁ。
と、感じた筆者でした。
これを読んでくださった貴方はナベちゃん側の人ですか?
噛み合わない会話と、ある過去について
著者:辻村深月
初版:2018年6月
文庫版初版: 2021年10月15日
発行所: 講談社