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月面ラジオ {52 : シャトル・エレベーター }

あらすじ1:月美の想い人・青野彦丸は、月で宇宙船を作っている。
あらすじ2:月で働きはじめた月美だが、就職先の「ルナ・エスケープ社」は倒産の危機 に瀕していた。月美たちは、ルナ・エスケープの商品「パワード・スーツ」を木度往還宇宙船の装備として売り込まなくちゃならない。

{ 第1章, 前回: 第51章 }


月美たちは、ルナスケープ社のエントランスホールにやってきた。シャトル・エレベーターの七号機「中層・七十三階行き」に乗った。

エレベーターは、運ぶべきものであれば象でも戦車でもなんでもござれという驚きの積載量だった。朝の通勤の時間帯で、月美、アルジャーノン、ホークショットの三人が乗ったあとも、たくさんの社員がエレベーターに乗ってきた。人の群れがあれよあれよとなだれ込んできて、まだ乗るのかと思ってからもしばらく流入はやまなかった。それでも、発進したエレベーターを狭く感じることはなかった。むかし動物園で象の育舎を見学したことがあるけれど、その建てものと似た異質の広さだった。

高層建築だらけの月面都市は、広大というよりも上下に大きな街だ。だからこのシャトル・エレベーターは、通勤電車の延長線にある乗りものとも言える。まわりのビルにも高速のエレベータがあり、速さを競い合うように昇ったり降りたりを繰り返していたけれど、さすがルナスケープは頭ひとつ抜けていた。月美たちの乗っているのに追いつけそうなものは他になかった。

窓に張りついて、どんどん置き去りにされていく街に夢中になっていると、ホークショットが月美の脇をこづいた。

「キョロキョロするんじゃないよ。田舎者だって思われる。」

月美はまごうことなき田舎者だったので、気にせずキョロキョロしていた。

「緊張するかい?」
 アルジャーノンがたずねた。

「ちょっぴりね。」
 月美は答えた。
「今までにこういう仕事をしたことがないんだ。」

「やってみれば案外なんとかなるものさ。」
 アルジャーノンは気楽だった。

「そうなるといいな。」
 月美は言った。
 それからすぐに首をふった。
「いや、なんとかしないとダメなんだ。何もできないままルナ・エスケープが倒産するだなんて絶対にイヤだ。」

「お、いつになくやる気だね。」

「そうさ。月で仕事ができてよかったと、心底思っている。誰かに『必要だ』って言われてのは生まれて初めてなんだ。」

アルジャーノンは何も言わずニッコリ微笑んだ。月美はそれだけで十分だった。

「なあ、アル。お父さんは……青野彦丸はこのタワーにいるのか?」

自分では何気ない調子で訊いたつもりだけど、月美の声は上ずっていた。

「いないと思うよ。木土往還船の建設現場にいるのがほとんどかな。彦丸は現場主義者だし。」

「そうか……そうなのか。」

「そういえば、月美。」
 突然ホークショットが言った。
「あんたの名刺を作っておいた。」

月美の仮想空間にカードが一枚映し出された。ルナ・エスケープのロゴマーク(黄金の月から青い地球へダイブしている人の絵だ)の下に月美の名前が書いてあった。

ルナ・エスケープ
超伝導体応用研究部門 主任研究員
兼   パワードスーツ及びオプション製品品質管理部門 統括部長

西大寺月美

月美は何度か名刺を読みなおしたけど、自分の名前以外頭に入ってこなかった。でも「部長」という言葉ならかろうじて理解できる。

「私、出世したんですか?」

「今日から我が社の部長だ。」

「給料は?」

「あがらん。」

「五人しかいない会社に役職って意味あるんですか?」

「意味なんてどうでもいいんだよ。大げさな肩書があれば、あんたもちったぁ立派に見えるだろ?」

「そんなもんですかね……」
 月美はため息をついた。
「でも、どうしてもっと早く教えてくれなかったんですか? こんなに長い役職、すぐにおぼえられないですよ。」

「ぐずぐず言ってないで、さっさと暗記しな。」
 ホークショットはピシャリと言った。

それからしばらく名刺とにらめっこをしたけど、あまり長い時間は取れなかった。エレベータが停止したのだ。

「ここで乗り換えだ。ホークショットが言った。」

「まだ目的地じゃないんですか?」
 月美はおどろいた。
「かなり長い間乗っていたのに。」

月美たちはタワー中間層のエレベーターホールに降りた。その時、入れ替わりに乗車してくる社員たちの向こうで手をふっている男に気がついた。金髪の若者だった。黄色の派手なアロハシャツにえんじ色の海パン、足元は黒の革靴というなんとも場ちがいな格好をしている。

海パン男はまっすぐ月美たちに向かってきた。

「よぉアル!」
 海パン男が言った。
「昨日のランを見たぜ! やっと怪我がなおったんだな。おめでとう。」

「ありがとうロニー。」
 アルジャーノンが握手をして応えた。

「よぉロニー坊や!」
 ホークショットも手を差しだした。
「あいかわらずひっでぇ格好で会社を練り歩いているんだな。」

「お久しぶりです、ホークショット教授。」
 ロニーが握手しながら言った。
 このふたりも知り合いのようだ。
「あなたの真っ青なスーツもたいがいですよ? よくルナスケープの門をくぐれましたね。」

「紹介するよ。」
 ホークショットは月美の肩を叩いた。
「うちの部長のツキミ・サンダージュだ。」

「はじめまして、西大寺さん。」
 ロニーは月美にも手を差し出した。
「ロナルド・アンダーウッド・ジュニアです。ロニーと呼んでください。」

「はじめまして。ナントカ部長の西大寺月美です。」

月美は握手に応えながらも、いったいどういうことだろう、と思った。二十年来のつきあいのホークショットが月美の名前を盛大に間違えたというのに、ロニーは正確に発音した。

「おっと、失礼、びっくりさせたかな?」
 ロニーは言った。
「ルナ・エスケープの資料に予め目を通しているんだ。俺も今日の商談に参加させてもらう。」

「なぜだ? あんたの仕事とパワードスーツは関係ないだろう? ホークショットが言った。」

「そのことについてはまた後でお話します。まずは俺についてきてください。木土往還部門まで案内します。」

そう言うと、ロニーはきびすを返して歩きだした。いったいどういうことだろうかと、ホークショットがアルジャーノンに目配せした。アルジャーノンは、わからないとばかりに肩をすくめた。

不思議に思いながらも、月美たち三人はロニーのあとをついて行った。

ルナスケープとルナ・エスケープの歴史的な商談が終わると(先方は我が社の名前にすこし面食らっていた)、月美はマニーたちと合流した。マニー、ハッパリアスの二人は、エントランスホールのカフェテリアで月美を待っていた。シャトル・エレベーター発着場のわきにあるカフェで、巨大な昇降装置がすぐそばをひっきりなしに行き来していた。

「よう。どうだった、商談の具合は? 起死回生の一発は打てそうか?」
 ハッパリアスがたずねた。

「上々。期待していいよ。」
 月美は答えた。

「お前さんの作ったグローブの評判は?」

「アルジャーノンがタンブラーを回すいつもの宴会芸をやってくれたよ。評判のほどはよくわからないけど。」
 月美は言った。
「でも肩が凝るね。おえらいさんと話すのは。つぎは、ふたりのどちらかが行ってくれよ。」

「やなこった。」
 マニーが言った。
「そういうことをやりたくないから世界の果てに引きこもって仕事をしているんだ。ところでアルとホークショットは? ふたりはどこに行ったんだい?」

「ロニーって人と話をしているよ。」
 月美は答えた。
「パワードスーツとは関係ないけど、大切な話があるんだって。」

「なんじゃそりゃ?」

「さぁ。」
 月美は肩をすくめた。
「それほど長いこと話すわけじゃないからここで待ってろってさ。社長と副社長とがお相手して、ヒラ社員の私だけ先に帰されたってわけだ。」

「ん? お前さん、部長に昇格したんじゃなかったか?」

「昇格したけど、すぐに降格させられたんだ。パワードスーツの機能の説明をするときに何度も舌をかんだって理由で……」

「ふ〜ん。」
 マニーは、仕事の話にもう興味をなくしていた。
「そんなことよりさ、さっさとお昼ご飯を食べに行こうよ。ひっさしぶりに街に出てきたんだから楽しまなくちゃ。」

「いいね。もう店はピックアップしているんだろ?」

「もちろん。フライ・ハウスのプーティンは絶対にはずせないね。それから開店したばかりのオランダ……」

「おっと!」
 ハッパリアスがマニーを遮った。
「味巡りはおあずけだな。我らが大将のご帰還だ。」

月美とマニーは顔を上げた。アルジャーノンとホークショットがこちらにやってきた。

「大事な話がある。」
 テーブルにつくと、ホークショットが開口一番で言った。

「うそだろ……」
 ハッパリアスが愕然とした。
「また会社が倒産したのか?」

「そうじゃない。話しってのは、月美、あんたにだ。」
 ホークショットがこちらを見た。
「さっきロニーと話したことだ。月美、ルナスケープがあんたの力を必要としている。」

「どういうことですか?」
 月美はおどろいて聞き返した。

「最大手の宇宙船メーカーが、あんたに仕事を手伝ってほしいとのたまってきた。」
 ホークショットも自分の言っていることが信じられないといった様子だった。
「我が社からルナスケープへの社員派遣ということだ。」

「月美を差し出すってことか?」
 ハッパリアスが言った。
「このクソ忙しい時期に。」

「そうだ。」
 ホークショットはうなずいた。
「月美、あんたはどう思う?」

月美はすくなからずショックを受けていた。宇宙一の企業で働くということが光栄でないわけではないけれど、正直なところ、それはどうでもよかった。そういうことじゃなく、せっかく今の仕事が楽しくなって、でもその仕事が続けられるかどうかの瀬戸際に立っているというのに、別の会社で働けとのお達しが出たのだ。それもホークショット教授の口から。それがショックだった。

「私はいらないということですか?」

「そうじゃない。」
 ホークショットは言った。
「正直に言っておこう。あんたには、ルナスケープに行ってほしい。なにしろうちが払えないあんたの給料を先方が払ってくれる上に、派遣料までうちに入ってくる。金がなくてカツカツのあたしらにはありがたい話だ。どうだろう、月美、あんたは……」

「ちょっと待って。」

月美とホークショットは顔を上げた。話を遮ったのはアルジャーノンだった。

「ホークショットは、最初この話に反対したんだ。月美を派遣すると決めたのは僕だ。」

「だが今は私たちふたりの意見だ。」
 ホークショットは付け加えた。

「月美の力は必要だよ。今も、これからも。」
 アルジャーノンが続けた。
「でも、力を発揮するにしたって、やり方は様々だろ? 企業で働いていればこういうこともある。だいじょうぶ、当面のことなら僕たちがなんとかするさ。だから月美はその間、ルナスケープにいってほしい。あそこで働くとなれば、得られる技術や知識だっていっぱいだ。それを吸収して帰ってくれば、うちでもきっと役に立つ。そうだろ?」

「だが、決めるのはあんただ。」
 ホークショットが言った。
「月美、いますぐ返事をくれ。」

「やります。」
 月美は言った。

ルナ・エスケープのことはまだ心配だけど、自分の力を試したいという気持ちだって強くなっていた。それに、誰かが私を必要としてくれる。こんなにうれしいことはない。

「よし、よく言った。」
 ホークショットが月美の肩に手を置いた。
「派遣といっても採用面接はきちんとある。いまのうちに準備しておけよ。それと、覚悟もだ。」

「覚悟?」

「そりゃそうだ。ルナスケープの現場といえば、世界一の修羅場として有名だ。あんたを待ち受ける運命のことを思うと、あたしは忍びないよ……」

ホークショットはとても楽しそうに言った。


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