月面ラジオ {43 : パワードスーツ(2) }
あらすじ:初恋の人を追いかけ、月美は月で働くことになりました。就職先の社長はアルジャーノンで、彼は月生まれ。アルジャーノンを地球に降ろすため月美は働きます。
◇
◇
月美のはじめての宇宙空間体験は、これ以上ないほどすばらしいひと時になった。
地球にいたころは、球技なんてどれも苦手で嫌いだったけど、のろまな月美でもダンクを決められる月面となると話は別だった。
砂を巻あげながら飛びあがってボールをリングに叩きこむだなんて考えただけでもワクワクするというのに、月美はそれができてしまうのだ。
宇宙服越しにボールを抱えたまま、一、二の三でコートを蹴れば、見えない手で引っ張られたかのように体が飛んでいった。
リングに向かってまっしぐらだ。
いや、むしろリングがこちらに向かってくるかのようだった。
「あれ?」
月美はおどろくほど長い滞空時間の最中につぶやいた。
「これ、ちょっとまずいかも……」
リングがいよいよ月美に迫ってきた。
そう思ったのもつかの間、月美はゴール・ボードに全身まるごとぶつかっていた。
はね返った月美の体はなす術なく落下した。
背中をしこたま打ちつけたわけだけど、落ちる時はパラシュートのようにゆっくりで、頑丈な宇宙服のおかげか、クッションに着地するくらいの衝撃だった。
「月美! 大丈夫?」
月美が仰向けのまま倒れていると、審判をしていた粗茶二号が心配そうに顔をのぞきこんだ。
自分の息づかいがヘルメットの中でやけに大きく聞こえた。
月美はなんだかおかしくなって笑ってしまった。
「おい! なにやってんだ!」
ヘルメットのスピーカーからハッパリアスの野太い声が鳴った。
「せっかく得点のチャンスだってのに! アルひとりにもう一〇三点も取られているんだぞ!」
月美、マニー、ハッパリアスの三人がチームを組んで、アルジャーノンとホークショットのふたりと戦っていた。
ホークショットはコートにいても何もしないので、実質三人がかりでアルジャーノンひとりと戦っていた。
見るからに明らかなハンデ戦だけど、それでも月美たちはアルジャーノンにまるきり対抗できないでいた。
いい年をした大人三人が必死こいて立ちふさがるのをなんなくかわし、アルジャーノンはシュートを決めていった。
マニーの受けそこなったボールに月美は飛びついたものの、力みすぎてボールを飛びこしてしまった。
月美はいきおいあまって砂漠の上を転がっていった。
一方でトビウオのように低空飛行をしてきたアルジャーノンがボールを掠め取っていった。
頭上を越えていくアルジャーノンをマニーは何もできないままただ見上げていた。
アルジャーノンの力強いダンクシュートが決まると、陽光で焼けた砂漠にドスンと乾いた音が響いたみたいだ。
音なんて宇宙で聞こえるはずもないのに。
やがてアルジャーノンに一〇七点目を献上したころ、スピーカーから「全員注目!」という声が響いた。
見ると、大きなタイヤを備えた見慣れぬ乗り物がコートの横に止まっていた。
「バギーを借りてきた! ドライブの時間だよ。」
運転席に座っているホークショットが高らかに宣言した。
「ええ! せっかく体が温まってきたのに!」
アルジャーノンが不平を言った。
「ふざけんな。」
ホークショットが言った。
「あんたに付き合っていたら、そこに転がっている運動不足どもがみんな干物になっちまうよ。」
「さ、さ、賛成だ……」
肺に穴が開いたような不吉な音を漏らしながらハッパリアスが言った。
「だ、だれか起き上がるのを手伝って……もう体が動かないよ。」
コートに転がったままマニーが言った。
マニーのヘルメットは、ぜぇぜぇと吐き出される息で真っ白になっていた。
月美はというと、そのマニーの下敷きになっていた。
「さあ、乗った、乗った。運転は私にまかせろ!」
ホークショットがいつになく張り切って言った。
「月面ドライブといこうじゃないか。」
◇
月美のはじめての月面ドライブは、もしこれが月での一般的なドライブだというのなら、「必ずこれを最後にしよう」と固く誓えるものだった。
舗装路の上を目的地まで静かに進むマグレブとはえらい違いで、大型のバギーは月の荒野をひたすら乱暴に走り抜けた。
三十センチほどの岩を踏みつけるたびに車体はかたむくし、タイヤより大きな岩を避けるために右へ左へと蛇行した。
何度も丘へ乗り上げ、頂上にたどりつくたびに車体がふわっと浮き上がって、そのまま斜面に沿って滑空していくのには生きた心地がしなかった。
バギーからふり落とされないようにシートベルトをガッチリしめなければならなかったし、そのシートベルトにもシートベルトをしたいほどだった。
乗っている者はたまったものじゃないけれど、運転しているホークショット教授はじつに楽しそうだった。
というよりも、興奮状態だった。
教授が叫んで歓声をあげるたびに、バギーの金属メッシュのタイヤが地雷でも踏みつけたかのような砂ケムリを巻きあげた。
教授といえど、長いラボ生活でストレスが溜まっていたのだろうと、助手席で体をこわばらせながら月美は思った。
「外に出よう」というアルジャーノンの提案は、自分が遊びたいというよりも、ずっとラボにこもっていた私たちのためだったのかもしれない。
考えてみればあんなにがむしゃらになって走り回ったのは子供のころ以来だ。
なけなしの体力をごっそり削ってしまった一方で、「今夜はぐっすり眠れるんだろうな」という心地よい予感があった。
「そういえばアルは?」
ふと気がついて月美はたずねた。
「バギーの後部座席には、マニーとハッパリアスのふたりしか乗っていなかった。さっきまでそこにいただろう?」
「とっくに飛び降りたぜ。」
ハッパリアスが答えた。
「私らもそうするべきだったかな?」
バギーがガタッと揺れた際、座席にヘルメットを打ちつけてマニーがつぶやいた。
「いったいどこに行ったんだ?」
月美はあたりを見回してアルジャーノンの姿を探した。
とたんに固唾をのんだ。
もしここで迷子になってしまったら、アルジャーノンは永遠に誰からも発見されないのではと、そんなふうに思ったからだ。
それだけ圧倒的な光景が広がっていることに月美は気がついた。
岩も丘も砂地もすべてが同じ色だった。
とくに太陽を背にした時は、岩の陰が岩自身に隠れてしまい、地面との境目がわからなくなっていた。
ごつごつした地形であるにもかかわらず、辺りにあるもの全てが同化して白の大平原となっているのだ。
対象的に地平線の上は黒の中の黒、ただひたすら何もない宇宙だった。
地球ではまずお目にかからない月ならではの大パノラマだ。
そしてこの光景以外は決して月に存在しないという事実が、月美の不安をいっそうかきたてた。
「アルをほっといてもいいのか?」
月美はつぶやくように言った。
「心配するな。」
ハッパリアスは西側の丘を指した。
「あいつならあそこにいるぜ。」
「ほんとだ……」
すこし離れたところでバギーに並走しているアルジャーノンを月美は見つけた。
「まるでガゼルかカモシカだな。」
ハッパリアスは口笛混じりに言った。
「月で全力疾走ができるヤツはめったにいない。」
ハッパリアスの言う通りだと月美は思った。
ムーンウォークといえば聞こえはいいが、たいていは川の飛び石を子供がはねていくようにピョンピョンしているだけだ。
ところがアルジャーノンときたら、ほとんど水平になるほど体を傾けて、大地をつま先で蹴り出し、推進している。
クラウチングスタートを何度も何度も重ねたのような驚くべき加速だった。
急な丘でさえ平面と変わらぬ速さで登りきり、頂上で跳躍して隣の丘まで飛んでいった。
細身の宇宙服からのびる長い四肢と、しなやかな樹木のような彼の体幹は、もし野山をかけめぐる野生動物が月にいるとしたら、きっとアルジャーノンのような生き物なのだろうと月美に思わせた。
「アル、飛ばしすぎだ! このままじゃ月面都市のドームにぶつかっちまうぞ!」
走り続けるアルジャーノンにホークショットが待ったをかけた。
「おい、アルのバイタルチェックを怠るなよ。」
「大丈夫。ちゃんと見ているよ。」
マニーが答えた。
「こいつはおったまげだな。」
ハッパリアスが言った。
「走り続けてもバイタルにほとんど変化がない。信じられるか? さっきまでフルセットでバスケの試合をしていたんだぞ。こいつは、いよいよひょっとするかもしれないな。」
「どういうこと?」
月美はたずねた。
「俺たちのパワードスーツが予想以上の出来栄えだってことだ。つまり……」
ハッパリアスがぐっと力をこめた。
「完成だ。」
ホークショットに言わせれば真の「完成」とはアルジャーノンが無事に地球に降り立ったときのことで、月美たちにはまだやるべきことがたくさん残っているだろう。
でも今この時だけは、大きなことをやり遂げたという思いに浸ってもバチは当たらないと思う。
ホークショットやアルジャーノンだってきっと同じ思いのはずだ。
月美たちはただただ「やった」と叫びたかった。
大きな丘を乗り越えると、行く先に巨大な山が現れた。
月美は目を奪われた。
もちろん月にこんなお椀のような山があるわけない。
月面都市のドームだとすぐにわかった。
かつては「大地の裂け目」と呼ばれる地底洞窟がここにあった。
洞窟はたった三十年の間に人の暮らす街で埋め立てられ、穴はコンクリートのドームで塞がれてしまった。
岩やクレーターのような吹き出モノだらけだった大地は、長い年月をかけて石鹸で磨くよう平らに整備され、年に一万機の宇宙船が発着する空港となった。
ドームと港を囲んで月の大工業地帯が広がっていた。
丸いタンクや四角い倉庫が、電子回路の部品のように秩序だって並んでいた。
無数の車両が往来し、重機がせわしなくコンテナを運んでいる。
それなのに、金属のぶつかる音もエンジンの音もここまで届かない。
宇宙では無音があたりまえというけれど、停止中のエスカレーターを歩く時のような違和感を月美は感じるのだった。
宇宙服を着た人たちが、十人くらい塊になってドームの上を歩いていた。
マニーもハッパリアスもホークショットも「これだけ距離が離れているのに人影なんて見えるわけない」と言ったけど、「確かにいるね」とアルジャーノンだけが応えてくれた。
ドームの登頂ツアーに参加している観光客たちだろう。
ホークショットがそう教えてくれた。
「これ以上は進めないよ。侵入禁止区域だ。」
バギーを停めてホークショットが言った。
アルジャーノンもすぐ横で立ち止まった。
舞い上がった砂埃は、風に吹かれたカーテンのようにゆっくり地面へ戻った。
やがて何も動かなくなった。
月美は月面都市のドームを見上げて思った。
六畳一間から見あげていた時ほどここは遠い場所じゃない、と。
死の大地に月の街があった。
その街は、荒れ果てた道で見つけた街灯のようでもあった。
彦丸が青春と故郷を捨ててまで目指した場所だ。
「ここまできたんだ。」
月美は言った。
「すぐに追いついてやるさ。」
◇
その日、山盛りの冷凍ピザとコーラで祝賀会をした。
パワードスーツの「とりあえずの完成」を祝いたいと、誰ともなしに言ったからだ。
温めたばかりのピザの箱を運びながら「宇宙に来てはじめてのパーティだ」と月美は思った。
カフェテリアの窓際の卓に箱をまとめておくと、みんな思い思いのピザをちぎってつまみ上げた。
ハッパリアスはエビと貝のシーフードピザ、ホークショットは子供の好きそうなコーンとポテトのピザ、アルジャーノンはチーズだけをたらふく乗せたピザ、マニーはバジルといっしょに自家製のパクチーを盛ったマルゲリータといった具合だ。
月美はトマトソースと辛口のサラミのピザに手を伸ばした。
今朝までは、テストの直前ということもあって、食事の場といえどみんなピリピリ張りつめていた。
だから、今のこのホクホクとした雰囲気に月美はホッとした。
みんなでピザを頬張りながらこれまでの苦労をねぎらい、その力量を褒めたたえた。
横暴なホークショットのグチを口々に言って、本人がこの場にいることを思い出して全員あわてて口を閉じた。
無駄口を叩きあい、それからコーラの缶を手にとって何回もカンパイと音頭を取った。
さて、そんな騒がしい食事も一段落したころ、ホークショットがその場に立っておもむろに切りだした。
「あんたたちに言わなくちゃならないことがある。」
とたんにシーンとなった。
みんなホークショットに目をやった。
「わかった、給料があがるんだ。」
マニーは上機嫌に言った。
「いましがた我が社は倒産した。」
ホークショットは言い放った。
「予算が底をつき、資金繰りも限界を超えた。それと、給料はあがらん。」
あまりに突然の通達で、全員が声を失った。
アルジャーノンは、頭を抱えながら残念そうにうめいていた。
「前からやばかったのか?」
ハッパリアスが尋ねた。
「うん……」
アルジャーノンはうなずいた。
アルジャーノンも倒産したことは今しがた知ったようだった。
社長とはいえ、アルジャーノンはまだ十七歳だ。
ルナ・エスケープ社の経営は、ホークショットがほとんどを引き受けていたはずだ。
「開発に集中してほしかったからアンタたちには黙っていた。」
けわしい顔つきでホークショットが言った。
「私の判断だ。」
「ど、どうするの……」
やっと絞りだしたマニーの声は、残念なことに枯れていた。
「せっかく完成までこぎ着けたってのに。」
「パワードスーツは抵当として差し押さえられる。」
「せっかく作ったのに……」
アルジャーノンが言った。
「アル、おまえんとこのオヤジに追加の投資をしてもらうことはできないのか?」
ハッパリアスが提言した。
「難しいと思う。」
アルジャーノンは言った。
「『父さん、お金をちょうだい。倒産したから』なんてのが通じる相手じゃないからね。」
「青野彦丸にはすでにたくさん投資をしてもらってる。」
ホークショットは言った。
「この施設だって破格の値段でヤツから借りているんだ。」
「じゃぁ、もうどうしようもないってこと?」
マニーは呆然とした。
「解散か……」
ハッパリアスは静かに言った。
「もう我慢する意味はないか。」
ハッパリアスはコーラの缶をにぎりつぶすと、立ち上がってカフェテリアのカウンターへと向かった。
何をするつもりなのか聞かなくたってわかった。
キッチンの下に隠したビールの山からいくつか取り出してマニーと月美にギネスを渡した。
「今からお別れ会だ。」
と、ハッパリアス。
せっかくもらったビールだけど、月美はとうてい飲む気になれなかった。
お別れ会なんてやってる場合じゃない。
なんとなれば、就職する先がないのなら月に居つづけることはできない。
ルナ・エスケープが倒産すれば、月美は地球に戻ることになるのだ。
せっかくここまでやってこれたというのに……
ウソであってほしいと願いつつ、月美はもう一度ホークショットを見た。
もしこれが冗談だったというのなら、この手の悪質なイタズラは彼女の得意とするところなので、とりあえず納得がいくというものだ。
でも突如あらわれた存在しないはずのビールに無反応のままでいる彼女の表情は、ことの重大性を十二分に物語っていた。
冗談じゃない、なんとかしなくては。
両手で缶を握ったまま月美は考えをめぐらせた。
マニーがプルトップをカリカリとひっかいているうちに、やがてプシュッと快活な音がなった。
「木土往還宇宙船だ……」
月美はポツリと口にした。
「は?」
全員が月美を見た。
「クルーに応募するつもりか?」
ハッパリアスはビールをあおる手を止めた。
「それがいったい何になるってんだ?」
「募集してるのはクルーだけじゃない。」
月美は答えた。
「宇宙船の装備品も採用が始まっている。」
月美はホークショットに向き直った。
「ルナスケープに私たちのパワードスーツを売りにいきませんか? 危険な船外活動もあるはずですし、宇宙服のインナーとしてスーツを活用できるはずです。もし採用されれば、その実績が認められて、追加の融資と投資が見込めるんじゃないですか?」
「売れると思うか?」
ホークショットは月美を見つめた。
「そんなの売ってみるまでわかりませんよ。」
月美は答えた。
「ちげぇねぇ。」
ハッパリアスが朗らかに言った。
ビールがさっそく頭の中で回りはじめているようだ。
「アル。」
月美はふりかえった。
「彦丸に頼んで、採用担当の人と会うことはできるか?」
「その人がスーツに興味を持ってくれればね。」
アルジャーノンは言った。
「まずは残りのテストを終わらせて、結果をレポートにまとめなくちゃ。それとプロモーション映像を完成させればその人の気をひけるかも。」
「よし、やることはだいたいわかったな?」
月美は缶をテーブルに置いて立ち上がった。
手をパチっと叩いてから堰を切ったように指示を出した。
「マニーとハッパリアスは急いでレポートをまとめてくれ。教授は編集業者をせっついて、さっさと映像を完成させてください。私は次のテストの準備にとりかかります。」
みんな唖然としながら月美の顔を眺めていた。
その様子を見て月美はさらに声をはりあげた。
「ほら、何をぼんやりしてるんだ! 立った、立った。手と足を動かすんだ。仕事の続きだよ。」
さっさと動け! と、力づよく言うと、月美はだれの意見も聞かないでその場から立ち去った。
「どうしたんだ、月美のやつ? 月美の背中を見送りながらハッパリアスがおどろいて言った。」
「死んだホークショットが取り憑いたみたいだったね?」
マニーはハッパリアスと顔を見合わせた。
「私はまだ生きてるよ……」
ホークショットもおどろきながら言った。