月面ラジオ {42 : パワードスーツ }
あらすじ:初恋の人を追いかけ、月美は月で働くことになりました。就職先の社長はアルジャーノンで、彼は月生まれ。アルジャーノンを地球に降ろすため月美は働きます。
◇
◇
「やっぱりそうだったんだ。」
と、芽衣が言った。
月美の思い人が彦丸であることを報告しても、芽衣はおどろいた様子を見せなかった。
学生寮で彦丸の話題になったとき、月美が動揺したことでうすうす感づいていたらしい。
「でもまさかほんとうにそうだったなんて……月美ちゃんがあの青野彦丸と友だちだったなんてねぇ。」
「こっちはおどろいたなんてもんじゃないよ。」
月美は言った。
「まさか彦丸がユエと親子で、しかもアルジャーノンとも親子だなんて。ふたりとも本当の両親は地球にいるってことなんだよな?」
「そうよ。四人とも地球にもどっちゃたの。だから月での親権は青野さんに移ったのね。独身の青野さんがルナリアを育てることにけっこう批判もあったみたいだけど、それでも幼いふたりは養子になった。」
「それはご両親が悪いってことじゃなくて、月に住みつづけるのがとても難しいってことなの。」
芽衣は続けた。
「プロのスポーツ選手やりながら、ノーベル賞級の科学者になるようなものだって誰かが言ってた。毎日つらいトレーニングが必要だし、月の物価に耐えるだけの経済力も必要だし。月美ちゃんだって、サボってたらすぐ強制送還されちゃうよ?」
「いまはマジメにやってるさ。アルジャーノンと運動するようになってから調子がいいんだ。ろくに運動もしなままビールとタバコにつかっていた地球に比べたら月のほうがずっと健康的だね。」
「月美ちゃんの暮らしってほんとうにひどかったものね。」
芽衣は遠い目をして言った。
「空き缶でビルがたってたし、灰皿はアリ塚みたいだったし、ほんとうにアリは這ってたし、ゴミは捨て忘れるし、冷蔵庫の中までホコリが積もってた。お手拭きと雑巾の区別がつかないし、水回りは垢だらけで、しまいっぱなしの靴にはカビが生えてる。それから……」
「そろそろやめてくれないか?」
月美は言った。
粗茶二号とトム猫さんがうげぇと吐きそうな顔をしながら月美をみていた。
月美が手で追いたてると、ロボットとネコの電脳秘書はいっしょになって望遠鏡の裏にまわりこんだ。
からっぽの天文台に残っていた月美たちの手作り望遠鏡だった。
天文台を発見して以来、月美はよくここへ来るようになった。
「廃墟の天文台」がなつかしいという気持ちもあるけれど、それよりも望遠鏡がまだここに残っているか確認したくなり、いても立ってもいられないからだ。
だから仕事場をぬけ出してはここへ来て、望遠鏡の顕在を確かめて戻るということをくり返していた。
外に持ち出す人なんているはずもないのに。
「これが月美ちゃんたちのつくった望遠鏡?」
芽衣がいつのまに望遠鏡のそばに立っていた。
「そうだ。」
月美はうなずいた。
「と言っても、私は彦丸と子安くんが作業しているのを横で見ていることがほとんどだったけどな。」
「中学生がつくったものとは思えないね。これがお店に並んでても不思議じゃない。」
「仮想空間越しだからそう思うのかもな。」
月美は答えた。
「実物をみれば、アマチュアの作品だってわかるさ。」
「まだ使えるの?」
「さあどうだろう? ずっとほっとらかしにしてたからね。でも時間ができたらこいつを手入れして、いっしょに天体観測しようってアルと約束しているんだ。」
「なにをみるの?」
「地球だよ。あいつ、アトランティス大陸を観測するんだって躍起になってるよ。」
「ふぅん……それで連絡はとったの?」
芽衣がふりかえってたずねた。
「ん?」
「青野さんとは連絡をとったの?」
芽衣は月美の顔をのぞきこんだ。
「月美ちゃん?」
「まだだよ。」
月美は答えた。
「どうして?」
「照れくさいんだ。」
「そんなんじゃ永久に再会できないよ?」
芽衣は言った。
「冗談だよ。なんというか、まだ会いたくないんだ。その資格がない。」
「資格?」
「月は何かをやり遂げる人が立つ場所だ。私はほんとうの意味で月に立ってからあいつと会いたい。一番の理由は、忙しすぎるってことだけど……」
「開発は順調なんでしょ?」
「うん、そろそろ試作機が完成する。」
月美は言った。
「粗茶、例のやつを芽衣に見せてやれ。」
「了解!」
粗茶二号は敬礼した。
霧の中から出てくるようにとつぜん人影があらわれた。
褐色の肌に長い四肢、短く刈りこんだ黒い髪……
人影はアルジャーノンの姿をしていた。
月美の横をとおり過ぎ、芽衣の前で立ち止まった。
アルジャーノンはパワードスーツをまとっていて、それを見せつけようと胸をはった。
もちろんアルジャーノンもスーツも本物ではなかった。
月美たちが見ているのは、プロモーション用に撮影した映像だ。
それをネットコンタクト越しに仮想空間へ投影しているのだ。
人工筋肉のスーツをまとったアルジャーノンは、なにやらほれぼれとする出で立ちで、歩き方から立つときの姿勢、表情までが計算されていた。
仕事で撮影なれしているだけあって、アルジャーノンはこういったふるまいがお手の物らしい。
それと、二の腕が実際よりもたくましくなっていると月美は思った。
とたんに芽衣の目が輝くのだった。
身長差があって芽衣の頭はアルジャーノンの胸あたりだけど、芽衣はその胸を食い入るように見つめていた。
「ああ……なんて……すばらしいの!」
芽衣は、めったにない感嘆の声をあげた。
「『筋肉を装備する』がコンセプトだったよね。人工の筋繊維が表面の大半をしめているけど、ちっとも無骨な感じがしない。パワードスーツなのに普通のスポーツウェアと大きさが変わらないなんておどろき。それにセンサーやバッテリーの類がどこにもない。テキスタイルデザイン? ううん、ちがうみたい……きっと繊維そのものがセンサーとバッテリーなのね。最新のセンサー繊維とエネルギー繊維が筋繊維にほどよくブレンドされている。あぁ、僧帽筋から広背筋、それから下腹部への生地の流れがたまらない。どんな電気活性物質でコーティングされているんだろう……」
芽衣はパワードスーツに抱きつきそうないきおいだった。
「体の動きをセンサーで感知して、人工筋肉を伸縮させることで、歩く、立つ、座るの基本動作をサポートするのね。それだけじゃない……全身に張りめぐらせたセンサー繊維のおかげで、微細な調整をラグなしで実現できる。走ったり、飛びはねたりする時も着ている人の想像を超える力を引きだせるはず。それに、脊柱起立筋群を周囲から補佐して直立姿勢を強力に維持する仕組みもあるみたい。これは強化外骨格の機能も兼ねていると言える。スーツが体になじめば、寝ている時よりも立っている時のほうが楽かも。筋繊維がカカトのあたりまできっちり覆っているってのは、単に足関節の補強だけじゃなくて、下肢全体を圧迫することで頭部に血液を送りやするためね。スーツの目的からすればとうぜん必要な機能だと思う。あれ? なんだろこれ? ハニカムの模様が右肩と左脇腹にある。ああ、なるほど。きっと電極がこの位置にあるのね。救急救命の除細動装置ってわけか……」
「なんでわたしよりくわしいんだ?」
月美はあきれながら言った。
ユエが履いているような漆の光沢をほこるヒールには見向きもせず、ぺったんこのゴム草履とボロ布のようなスニーカーを交互に履いていた芽衣だけど、この手のものを前にしたときだけ尋常じゃないほど夢中になる。
サルヴァトーレ・フェラガモの靴をひととおりクローゼットに並べるている陽子の娘とはとても思えない感性で、芽衣がそうなった一因は自分にもあると、月美はちかごろ自責の念を感じていた。
「でも……なんていうかこれ……」
芽衣は慎重に言った。
「宇宙服のインナースーツみたいね。」
「そりゃインナースーツにもなるよう設計してるからな。」
月美は答えた。
「なかなかすごいんだ、これ。」
◇
「ほんのり温かいね、これ。」
と、アルジャーノンが言った。
「自動で体温調節するんだ。」
マニーが説明した。
「粒子振動の摩擦熱であんたの体を温めているんだ。逆に暑くなればパワードスーツが放熱して体温を下げてくれるよ。」
「着心地はどうだ?」
ハッパリアスがたずねた。
「まえに試着した時より良くなっているはずだ。」
「うぅん……」
肩をまわしたり、肘を曲げたりしながらアルジャーノンはうなった。
「まだちょっときついよ。締めつけられる感じがどうもね……」
「最初はそれくらいがちょうどいい。」
ハッパリアスは答えた。
「着ているうちになじんでくる。スーツがおまえの体の形や動きの癖をおぼえて変形していくんだ。」
「全員準備は終わったな?」
ホークショットが手を叩いて言った。
「テスト開始だ!」
アルジャーノンが前に進みでた。
バーベルの固定器具の下にもぐりこむと、肩の上にバーベルを乗せた。
月美とハッパリアスはアルジャーノンの左右に立った。
「たったの百二十キロでしょ?」
アルジャーノンは月美たちを見つめた。
「これくらいなら補助はいらないんだけど?」
「足を折ったくせに寝ぼけてんじゃないよ。」
ホークショットがアルジャーノンの正面に立った。
「あくまでパワードスーツのテストなんだ。重さや回数にこだわる必要はないよ。まずは五回三セットのスクワットだ。そのあとはデッドリフト、ベンチプレスと順にやっていく予定だ。わかったな?」
ホークショットが念を押すと、アルジャーノンがうなずいた。
月美たちもうなずいた。
「準備はいいな? フォームを意識しながらやるんだ。」
ホークショットが合図をおくると、バーベルを支えていた器具が動いた。
鉄がすべてアルジャーノンへのしかかった。
ふたりとも軽めと言い切ったけれど、月美は内心ハラハラだった。
月での百二十キロは確かにたいしたことない。
事実、月美でさえ普段のトレーニングでこれくらいの重さを持ちあげていた。
でもそれはアルジャーノンが怪我したときの重さだと聞いている。
アルジャーノンは静かに息を吸って、それから膝を曲げ、腰を落とした。
エレベーターのように真下へバーベルが落ちていく。
その動きに合わせて月美もかがんで、彼が崩れた時にバーベルを支えられるよう備えた。
アルジャーノンが膝を伸ばした。
バーベルはまったく同じ軌道をたどり元の場所にもどってきた。
アルジャーノンは涼しい顔のままバーベルを支えていた。
一回目、終了だ。
間髪いれず、アルジャーノンがかがんだ。
腰を落とすと、想像以上に彼の尻が突き出た。
岩のようにしっかりした姿勢だと月美は思った。
肩から背中にかけてパワードスーツの背面が膨らみ、バーベルを支えていた。
腰と下肢の人口筋繊維は固くひき締まり、体重と、それを遥かに上回る鉄の重さから彼の関節を守っている。
何ごともなく五回のスクワットが終わった。
固定器具の上にバーベルを置くと、アルジャーノンはひょうひょうと言った。
「楽勝。」
「どうだ?」
ホークショットはふり返ってたずねた。
「おおむねシミュレートどおりだよ。」
マニーは答えた。
「バイタルサイン、正常値のまま。腰と膝の負担も歩いている時とほとんど変わらないね。」
「上出来だ。」
ホークショットはうなずいた。
久しぶりに上機嫌のホークショットだった。
◇
アルジャーノンがタンッと床を蹴った。
バチで太鼓を一喝するかのような小気味よい調子で、その体は宙高く跳ねあがった。
音におどろいて月美はふりかえった。
その時はもうアルジャーノンの足と頭の位置が入れ替わっていて、天井にピタリと足を付けているところだった。
ここは月面ラボのトレーニングルームで、頭をぶつけないよう天井は特別高くしつらえてある。
目測で五メートルはあろうかという天井にこともなげに宙返りしながら着地するアルジャーノンに月美は目を見張るばかりだった。
みんな唖然とする中、月の重力にたぐり寄せられるようにアルジャーノンは降りてきた。
再び宙返りをしながら床に着地し、ひとこと言いはなった。
「絶好調のときよりも調子がいいね。」
「そいつぁ作った甲斐があったってもんだ。」
ハッパリアスが大きな声で言った。
たぶん無事にテストが終わって一番安心しているのだがハッパリアスだろう。
今日のテストに備えてずっと夜通し働いていたことを月美は知っていた。
「うまくいってよかったですね。」
月美は熱い紅茶の入ったタンブラーをホークショットとマニーに渡しながら言った。ふたりは、ベンチプレス用のベンチに並んで座り、先ほどのテスト結果を見返しながら改善点はないかと話し合っていた。
「これでもうテストはあらかた終わったんじゃないですか?」
「あんたの電磁誘導グローブの疎通テストはまだだけどね。」
ホークショットがさらりと言った。
月美は声にならないうめき声をもらした。
「平気さ。そうだろ、月美?」
背後からアルジャーノンの声がした。
ふりむくと同時に、月美の手からタンブラーがするりと抜けていった。
見ると、タンブラーはアルジャーノンの手の中で静止していた。
もっと正確に言えば、電磁誘導グローブの試作品をはめた両手の手のひらの間にタンブラーは浮かんでいた。
宙に静止しているのだ。
「月美の作ったグローブはまるで魔法だね。」
アルジャーノンは嬉しそうに言った。
「するとタンブラーが手のひらの空間の中で扇風機よろしく旋回しはじめた。」
「なにやってるんだ!」
月美は声をあげた。
「今度パーティーに呼ばれたら余興でこれをやろうと思ってね。」
そう答えると、アルジャーノンは指の先にタンブラーを乗せた。
今度はバスケットボールのようにその場でくるくる周りはじめた。
「返せ。私の発明を宴会芸に使うんじゃあない。」
まだゆっくりと回転しているタンブラーを月美に差し出しながらアルジャーノンは丁寧な口調で言った。
「粗茶ですが。」
自分の入れた紅茶を勝手にかき回された挙げ句、粗茶だと言って返されるのは気に食わないけど、月美は黙って受け取った。
「そんなことよりもバスケをしよう!」
唐突にアルジャーノンが言った。
「バスケ?」
月美はキョトンとした。
「そう、バスケ。せっかくだしこのスーツの性能をもっと試してみたいんだ。」
「このラボにバスケットコートなんてないだろ?」
月美は言った。
「あるよ。外に出れば。」
アルジャーノンは言った。
「外?」
「月の砂漠に競技用のコートがあるのさ。」
「まて、アル。」
ホークショットが慌てて口をはさんだ。
「宇宙服を着るテストはまだ先の話だ。」
「いいじゃないですか。」
月美は助け舟を出した。
「他のテストはもう合格しているんですから。」
「都合よくグローブのテストを忘れるんじゃないよ。」
「そんな……」
月美はうめいた。
「月に来てもう半年以上も経つのに、まだ一度も月面を歩いたことがないんですよ? それに、ここんとこずっとラボにこもりっぱなしだったから、たまには外の空気を吸わなくちゃ。」
「そうは言うけど、月美……」
ホークショットは言った。
「あんた、月面活動補助員の二級免許しか持ってないだろ? それだとプロのインストラクターが同伴しなきゃ外には出られないぞ。」
「それはまぁ……」
月美はうなだれた。
「そうなんですけど……」
「そしてこれが……」
ホークショットが立ちあがった。
月美が顔をあげると、仮想空間に白いカードが浮かんで見えた。
白いカードには、(あまりマジマジとは見たくはない)ホークショット教授の顔写真といっしょに、「月面活動員 第一級免許およびインストラクターラインセンス」という文字が印刷されていた。
「あたしのインストラクターライセンスだ。全員、外に出る準備をしな。」
「そうこなくっちゃ!」
と言って、アルジャーノンは一目散かけだした。