社会貢献がしたいというエゴ
先日、初めてヘアードネーションをしました。
約4年伸ばし続け腰まで到達した髪を30センチバッサリ。
大切に伸ばした髪を一気に切るのは名残惜しいと思いながらも、誰かのウィッグになるのかと思うととても嬉しくもありました。(ついつい、ご満悦な表情で写真も撮ってしまいますわ。恥)
しかし、私にとってこのヘアードネーションは、単なる善意だけではなく、正直に白状すると社会貢献のリベンジでした。
よくよく考えてみたら、このヘアードネーションをしようと思ったのは何年か前に献血に失敗したことがきっかけ。
"献血の失敗"というと語弊があるので、正しくはただただ私が意気地無しだったというお話しです。
友達から「献血に行こう」と誘われて
ちょっと怖いと思いながらも、「お菓子も食べれるし、漫画も読めるんだよ」という言葉につられて「ならまぁいいか、世のため人のためにもなるし」と。
そして何よりも、
人は誰かの力になれると嬉しい。
私たちが行った献血場は、とても明るく清潔感があって「怖いところ」からはかけ離れた印象でした。言われた通りお菓子も漫画もいっぱいあって、「さぁ!喜んで血を取られに行こう!」と意気揚々と案内されるまま、まずは診察室へ。
そこで簡単な問診があった後、献血できる血かどうか見るための少量の採血をしました。
すると、
ふらーっと目の前が白くなり立てなくなってしまいました。。
貧血か?と思ったのですが、お医者さんからは「血は至って健康なんですけどね、血がとられるのが怖いのかな?これだけで倒れちゃうと200mlも取れないね。外でお菓子でも食べてお友達が終わるまでま待っててよ」と。
「血は至って健康…」
健康なのだから喜ぶべきことなのだろうけど、分ける資格があるのに自分の血が取られたくないという理由で献血ができなかったんだと思うとやたらとショックでした。
自ら差し出したいと思って来たはずなのに、無意識で拒んでしまっているんだと気づくと、自分はなんて捻くれているんだ、なんてわがままなんだ、という気持ちでいっぱいになりました。
休憩室に並べられたチョコレートを食べてぼーっとしていたら、ガラス越しにしっかり献血して世のため人のためになっている友達の姿が見えてなんだかいたたまれなくなりました。
社会貢献がしたい
そんな気持ちを強く抱いていました。
なぜそう思い始めたのかはうまく説明できないのですが、結局それはよく考えれば考えるほど自分のためでした。
私にとって社会貢献はエゴと気づいてしまったわけです。
「誰かの役に立った」という事実を作って安心したかった、大袈裟に言ったら褒められたかった、これが1番しっくりくる理由な気がします。
結果として会ったことのない誰かが喜んでくれたのなら万々歳なのですが、その動機や自分の1番の目的はお恥ずかしながら、そういった身勝手な想いからでした。
だから、献血で失敗したから次はヘアードネーションをと、次に私でもできそうな行動に目に止まったんだと思います。
誰かのためにやってるように見えて結局は自分のため。
私は、音楽を生業にして生かされているわけですが、先日「なんで三味線弾いてるの?」と言われてハッとしました。
何でなんだろう…。
応援してくれるファンのため?
伝統文化を絶やさないため?
……
と言えればとてもかっこいいし、もちろんそうもう気持ちもあるのですが、その根本にあるのはやっぱり…
自分のためでした。
津軽三味線が好きだから
もっと上手くなりたいから
舞台に立つ達成感がたまらなく楽しいから…
これが、本心。
だから、私は自分の仕事から逃げずに三味線を演奏することで何か幸せを運べることをもっともっと考えなきゃいけないし、行動に移すべきだと今になって思います。
数年かけてこんなことに気づいたわけですが、髪を切ると何か思いを吹っ切れたような気持ちも味わえて2022年とてもスッキリしたスタートです!(相変わらずのわがままな考え。恥)
私たちの音楽が、「自分のため」→「人のため」になるような活動ができるように時間を費やしていきたいと思います。
今年はアイデアを行動に移せる年にするぞ!!
そして、言わせて欲しい。ヘアードネーションをして自分の髪が届いたことを送り先の皆様がサイトに載せてくれて、
私は本当に嬉しかった!!!
こんな思いから始まったヘアードネーションでしたが、とてもハッピーな気持ちまで分けてもらいました。
ヘアードネーションの土台を日本に作って、世に広めてくださった方々に心から感謝し、大尊敬します!!