●新聞記事の罪深さと、当事者言論の意味深さ 8/19の毎日新聞デジタル報道センター記事「『生活保護で風俗やめられた』なまぽちゃんが伝えたいこと」は、多くの人の風俗に対する“常識的な”価値観に難なく受け入れられる記事でした。一方で、だからこそ、多くの問題を抱えた記事として、SNSで当事者らから批判の声も上がりました。 同時に、記事で取り上げられた当事者にネガティブな反応や嫌がらせツイートが当事者からくるようになったと聞きました。そして、私の記事批判のツイートがそのきっかけを
人間にとって労働が疎外であるならば、何のために労働運動をするのか。 「働く意味は何か」は、「労働運動する意味は何なのか」という問いに等しいのではないかと思い、そのへんどう考えたらいいのかわからなくなり、マルクス経済学者にメールで質問してみました。以下、送られてきた回答です。 ====== そもそも「働く」こととはどのようなことなのか?という問題ですね。なぜ働くのか?という問いであれば、収入のため、働かなければ生活ができない、というあたりまえの答えでお茶を濁すことになる。
●はじめに 私たちは普段ツイッターで、発信者がどんな悪人かを知りもせず、いいこと言うというだけで拡散したり信頼したり称賛したりし、あとからその罪深さ、弊害、責任を痛感することがあるように、当然その逆もあります。 ツイッターで問題視されるような発信をした人が、現実の世界でどんなに人格者でどんなに功労者であっても、ツイッターで問題視された言葉だけが切り取られて一人歩きして人格も思想も実績もすべて否定されることがよくあります。 私は性に関する活動をし、発信することも多いので、
貧困問題の社会活動家・藤田孝典氏が先日4月26日に書いた記事「岡村隆史『お金を稼がないと苦しい女性が風俗にくることは楽しみ』異常な発言で撤回すべきではないかがいまSNSで激しい論争を呼んでいる。 事の発端は、ナインティナインの岡村隆史氏が深夜ラジオ番組で、「コロナ収束後にお金に困ったかわいい女性が風俗で働きに来るだろうから、そのかわいい子につくのを客として楽しみにしよう」という趣旨の問題発言をしたのがきっかけ。藤田氏は記事で、この岡村発言を徹底糾弾、政治・行政的不作為の結果