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【3-0622】朗読Barありがとうございました
【このnoteを開いてくださった貴方へ】
おはようございます、要小飴と申します。 関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。 このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。
久しぶりの朗読Bar。昨夜無事に終演。
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出番が後半の一本めだったため、前半三本は緊張のあまり気もそぞろだったのだけれど、控えでしっかり聞き耳を立てていた。お酒片手に聞いたらさぞ最高だっただろう。そんな中でも、米山さんの朗読では我慢出来ず涙が出て、慌てて荷物からハンドタオルを引っ張り出してきた。
どの朗読も、演る側がこの朗読Barのステージを存分に遊び、楽しんでいて、本当に表現の世界は宇宙だと思った。大川さんの朗読の仕掛けとか、怖くて素敵。この座組に加えていただいて、光栄だった。
↑このnoteで、「宴であわよくば遊気舎の話も」と書いたのだけれど、本当に『夏至を待つ』の感想をいただくことが出来て、恐縮するとともに感激した。自分のことについて話を聞くのももちろん最高に幸せなのだけれど、誰かが遊気舎のことを語ってくださるのを、褒めてくださるのを聞くことに自分でも驚くほどの喜びを感じる。驚くけれど「ああ、そう思うから入団したんだった」と変に初心に返ったりもした。
語弊を恐れずに言うと、お客様からしか得られない喜びがあると気付く。この喜びのために生きていくのは、難しそうだけれど、自分にとってとても価値のあることだと思う。
— 要小飴 (@kanamekoame) June 21, 2023
酔っ払って、明け透けなツイートをしている。恥ずかしいね。でも、昨日は本当に自分の朗読、遊気舎の芝居、そしてこのnoteについて、お客様から色んな言葉をいただいて、この上ないような喜びを感じたのだ。「誰かが見てくれている」ってよく聞く言葉だけれど、こんなにはっきりと実感できるとまた意味が変わってくる。自分の人生に求めているものはこれなんだと気づいてしまう。
朗読Barにはまた出たい。色んな意味で試される場だと思う。
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