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〖短編小説〗12月20日は「果ての二十日」

この短編は1726文字、約4分30秒で読めます。

12月20日は、「果ての二十日」と呼ばれている。いつから呼ばれているかボクは知らない。おじいちゃんも12月20日は外に絶対に出てはいけないと言っていたから、かなり昔から言われているみたいだ。

なぜ外に出てはいけないのか、ボクは気になって色々な人に聞いて回った。だけど、みんな昔からの風習だとか、あろうことか妖怪に命を取られるからなんて非科学的なことを言う人までいた。

今日は12月19日。
明日の準備のため店は早じまいしたり、明日は一日家にいるようにと街宣車が街を回っていた。中学校も明日はお休み。去年までは学校が休めるだけでうれしかったけど、今年は微妙な気分だ。
祝日ならわかるけど、なんで12月20日は休みなんだろう。大人もみんな仕事を休んで家にいるって言うし。

「ちょっと話があるから、そこに座りなさい」と父さんが改まった口調でボクを目の前の席に座らせたのは夕食のあとだ。隣には母さんもいる。

「どうしたの?なんか大事な話?」

「そうだ、明日街の公民会に行くんだ」

ボクは驚いた。生まれてから一度も12月20日は外に出たことはないのに、明日公民館に行くってどういうことだ。
「え?明日って12月20日だよ。外に出ていいの?」

父さんは少し複雑な顔をした。その間、母さんは一度もしゃべらなかった。
「あぁ、いいんだ。お前も中学生になった。20歳の成人ではないが、もう立派な大人の仲間入りだ」

結局色々と父さんに質問をしたが、曖昧な答えでごまかされてしまった。

ついに12月20日当日。
朝から街はしんと静まり返っている。
支度を終え、公民館に向かおうと家を出ようとしたとき、母さんにあるものを首から下げてもらった。大人が会社でよくつけている社員証のようなものだった。大きく許可証と書いてある下に、ボクの名前と顔写真がある。ただ、不気味なのがその色が真っ赤だったことだ。

心配そうに見送ってくれた両親に、いってきますのあいさつをして、歩いて数分の公民館に向かったが、ボクはすぐにあることに気が付いていた。それは同じ学校の同級生が同じく首からあの不気味な許可証をさげて、どうやらおなじ公民館にむかっている。

ただし、親しい友人をみつけても声はかけられなかった。みんな緊張した顔をしていたからだ。

公民館に到着し、決められた席に着いた。周りはやはり同じ中学1年生ばかりが大勢集まっている。

そして、この地域の首長が現れた。

「今日は皆さん集まってくれてありがとう。今日ここにいるのは、この地域の中学1年生全員です。そして今日集まってもらったのはほかでもありません。果ての二十日とは何かということを単刀直入におはなしするためです」

会場を一通り見まわし、首長ははなしを続けた。

「今から一世紀前にさかのぼります。人類は未知のウイルスにより壊滅的状態にありました。特効薬やワクチンがない状態が続き、罹患し残念ながら亡くなる方が大勢出てしまいました。一番の予防対策はマスクをする、それから密集をさけるなどありましたが、最も重要とされたのは外にでないことです。しかし、残念ながらそれは守られませんでした。この日を境につまり12月20日を境に感染はさらに拡大の一途をたどります」

会場はしんと静まり返っている。息をするのもためらうほどに。

「あのとき、外出を控えていたら…大切な命を救えたはずだと後悔した人がどれほどいたでしょう」と語る首長の語り口は重い。

「未来を生きる我々が、たら・ればの話をしても仕方ないと思うかもしれません。しかし、当時感染症と戦った医療従事者の方々は差別と闘い大変ご苦労されました。また一般の方々も自粛生活という厳しい生活を送ったのです。その苦労と経験を忘れぬため、未来を生きる我々が一日でもそれを体験し、当時の方々に心を寄せまた、なにより亡くなった方々の冥福を祈る日となったのです」

「それまでの日常が終わり果てた日。果ての日それが12月20日なのです」

ボクは、というかボクたちは今までそれを知らずに生きていたのかと愕然とした。そして、歴史の教科書で学んでいたこの感染症の我が国の死者数が、教科書に書いてある数倍多かったことも今日はじめて知らされたのだった。

12月20日は「果ての二十日」

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