私はまだ次なる社会を予測出来る人間ではないという前提の基で述べさせてもらうが、私は最近になってこれから才能をうまく扱える集団を作るまたは属することがとても大事な社会になっていくのではと感じている。 その考えはちょうど私が自分の才能が活かされている集団と殺される集団の両方に属しているという自覚と、コテンラジオのたかちんさんの才能についての話 橘玲著『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』から端を発している。 社会契約論を経て命が保障され、国家による福祉が破綻しようとしている現
集団で意見が合わない時の対応は非常に悩ましい。 意見が合わない人を単純に否定するのは簡単だが、長期的に良い事に繋がらなそうなのは単純に想像が出来る。また、ただ意見を合わせるだけというのも集団を前に進ませることが出来ない。 しかし、ただ無視するというのもあまりよろしくない。 そこで私は双方の話を聞き、彼らの言いたいことや言動から読み取れる考え方のクセなどをノートに整理して分析するという解決策をとった。 解決策自体は単純なものだが、これを行ったお陰で普段他の人の噂を根拠に分
テストを50点の人が70点を取るのと、90点の人が70点を取るのでは同じ20点でも後者の方が簡単だ。 それはアクション・リアクションでも同じようなことが適用できる。 *ここで述べるアクション・リアクションとは人と人とのコミュニケーションにおいて話しかけること、それに反応することを主な意味としている。 例えば、演劇では普段から大きな声で喋ってる人は稽古で小さな声を求められてもすぐ対応できる。 逆に小さな声で喋ってる人は大きな声を求められても対応できないことが多い。 勿論
私はしばしば「ツナガった」と感じることがあります。 とても言葉では言い表せないような感覚で、「ツナガった」瞬間にそれは分かるのです。 きっと目に見えない筋繊維みたいなものがナニカにつながった時にそれらが起きるのでしょう。 それらは様々な場面で感じることが出来ます。 例えば、嫌いだった人の新たな一面を知った時、アニメーションで何故か分からないけど感動した時、親と和解した時… しかし、時には自分の思いのためにそれらを断ち切る事があります。そのような時はまさに我が身を断つ時と
地上の星とは中島みゆきさんが歌う歌で、歌詞では何度も地上の星は何処にあるのかツバメに問いかけている。 芋虫のようにヌルヌル動く車のライト ビルやマンションの規則正しい光 遠くの球場から放たれる一番星のような光 僕らは空の星ばかり追って、すぐ近くにある地上の星を忘れてしまった。
最近ネットやテレビなんかでも話題になっている昆虫食。友達がちょうど買ったばかりだと言うので、ものは試しと思って1個食べてみたものの、 昆虫食(コオロギ)は味も匂いも海老の尻尾とほとんど変わらなかった。正直、虫を食べるぶんには全く抵抗はないけど、現時点でそんなに美味しくないので肉とかの市場を狭めないで欲しいとは個人的に思った。 ただ、物事が認められるフェーズは 「黎明期」「『過度な期待』のピーク期」「幻滅期」「啓蒙活動期」「生産の安定期」の5つに分かれているそうなので、 今はち
私は笑っている時、これは笑っていいことなのか確信を持てなくなることがしばしばある。みなさんは経験したことがないだろうか?クラスやグループで起きる笑いが明らかに酷く感じることが。 しかし、私のなかでもあまり言語化も出来ず、もやもやしていたこの事柄が一気に分かったような気がする仮説を発見したので紹介しておく。 それが岡田斗司夫さんが紹介していたこの言葉『笑いの本質は攻撃性の転嫁である』だ。 これは『異星の客』という本から得た仮説らしいが、これが驚くほどほぼ全ての笑いに適用すること
作品紹介 感想 私にとっての一番簡潔な感想は、見るのが辛かったということだ。それは当時のドイツ人への怒りやユダヤ人への憐れみからくるものではない。もっと内側からくるもの。 つまり、映画を見た事で起こった私の中の葛藤が私自身を何よりも苦しめていたのだ。 具体的に述べるのであれば、この会議ではいかにユダヤ人虐殺のためのハードルを乗り越え、効率的に殺していくかを話し合っており、観ていると、いかに優雅にユダヤ人を殺すのかを冷静に考えている自分がいることに気づくのだ。もしその時
親を信じてはいけない。先生を信じてはいけない。友達を信じてはいけない。ネットを信じてはいけない。 だって彼らに裏切られてきた。いや、勝手に期待して、勝手に絶望してきた。 私が世間とズレた考えを持っていると気づくと、親は私の言い分を聞かずに矯正しようとしてきた。隠していてもわかる。あなたは私が集めたエビデンスよりもあなたの周りの噂の方を信じるんだ。 先生はまるで機械のように授業を始める。 トラブルや上手くいかない事があると、生徒や自分のせいにして、そのまま全く進歩しようと
資料や話を聞いた第一印象として感じたのは情報量の多さだ。沢山のやりたい事とやっている事が書いてあり、情報の処理にかなり時間がかかった。 そのため、どのように分かりやすく伝えるかという点で議論でも話に出ていた現場の人間が理解しやすいUIを作ることの必要性を感じた。 また、情報の集め方の量と質を改善の余地があると感じた。調査では戸田市の数十人から数百人程度しか集められておらず、質問内容に関しては田中隆一教授のご指摘にあった通り、個々の児童の心理を分析するためにはより目
部活で次期部長の子に「喋ってないで早く着替えろ」って怒られたんだ。 部活の片付けを最後までしてたのに容赦ねぇなぁと思ってたら今度は次期部長の子に「ニヤニヤしてんじゃねえ」って怒られたんだ。 ニヤニヤしただけで怒るのかと内心ニヤニヤと驚きが混ざったような感じになっていたんだ。 すると、その子に注意された他の子たちが一斉に悪口を言い始めたんだ。 彼らは本当に楽しそうに悪口を言っていたよ。 きっと部活内で追放したい人を議論なし、匿名投票で選べってなったらきっと次期部長の子が追放され
私は先生が教育のプロを自称しているのを聞いて、頭の中でハテナマークが湧き出てきた。 *プロとは主に専門家などの高い技能を有しており、その技能を使ってお金を稼いでいる人のこと 私は、少数の面白い授業を作り上げる先生がいるのは知ってるものの、どうも学校のほとんどの先生が所謂プロと呼ばれる存在だとは思えない。なぜなら、ほとんどの先生はつまらない授業をしていてもロクにフィードバックもせずに生徒の怠慢のせいにしているように感じるからだ。 勿論、私は現時点ではそんな怠惰な先生が居ても
あなたは一体何を見た時に真実だと感じるだろうか。 私たちはついつい何かの裏に隠されているものなどを見るとそれが真実だと思ってしまう。 しかし、よくよく考えてみるとおかしな話だ。 植物の種が隠されているからといって、種のみが植物の事実だろうか? 私が植物の真の姿を捉えようとするのであれば、根や茎、葉、その植物の周囲の環境に及ぶまで調べようとする。 同じような事は政治、思想、映画、小説、人間の性格など様々な事にも適用出来ると思う。 矛盾しているような真実が溢れているこの世界では
私はこれでも男子高校生なので、友達は今をときめく高校生が多い。そんな彼らはスタバの期間限定のドリンクを毎月買い漁っている。 そんな彼らの話を聞いていると、なんだか気になってきたので試しに買ってみると、どのドリンクもかなり美味しかった。 しかし、どうしても分からないことがある。 彼らは何月のどれそれが一番美味しかったと言った後、決まって何度も買えば良かったと後悔している。それならば何故今作ろうと思わないのだろうか? 彼らの主張としては「スタバが出すあれを上回るものは無い」
私は学校の先生に長期間パワハラを受けており、それを先生や親に相談して、問題の解決を図ろうとした。 しかし、その相談がかなり辛かった。というのもトラブルというのは100%誰かのせいという事はない。無論、その点を全て承知の上で自分のやましい点も含めて客観的に現状を相談した。 先生たちや親は味方になると言って行動を起こしてくれた。 しかしながら、どの人も必ず一回は私にも悪いところはあるという旨の事を言ってくる。 その為、対応してくれる大人の数に比例して、私の言っている事は間違え
私は外に出る時に周りを注意深く観察するように心がけている。そんな私は電車に乗りながら、ある一つの法則を見つけた。 ほとんどの外国人がマスクをしていない! これは日本人はマスクを外せとか外国人はマスクをつけろとかそういう話ではない。 ニュースや井戸端会議でマスクを外すかどうか、周りへの影響は?そんな事を私たちが考えている間に外国人はマスクを外している。ただただその事実を実感したのだ。 僕ら日本人はチキンだと社会学者の宮台さんがおっしゃっていたが、今回の発見を踏まえると僕ら