20210224の日記

ツイッターを登録したとき、特に深く考えないで、誕生日が表示される設定にしていた。そのうち、どうやら誕生日当日になると、風船がぽんぽん飛ぶらしい、ということに気がつく。フォロワーさんの風船に気がついて、おめでとうっ、というのは楽しかった。でも、自分の誕生日が近づくにつれ、どきどき、気になってくる。あっ、このひと誕生日かぁ、とじぶんがアピールされてしまうことがこわくて仕方なくなってきた。そうだ、外せばいいのだね、とすっと誕生日の表示をはずした。

昔から、記念日というものが苦手だった。とくに、誕生日がひときわ苦手だった。こどものころは「お誕生日会」というイベントをみんなが開いていて、わたしは苦手なくせに、無理やりそれをやろうとした。招待状をクラスメイトにたくさん配った。結局、近所に住む友だちひとりだけが来てくれた、という思い出がある。あのときは、本当に、ありがとう。

わたしはずっとこの「お誕生日会コンプレックス」を持ち続けてきた。おとなになって好きなひとが出来たときに、そのひとの誕生日をお祝いしようといろいろ提案をしたら「僕は記念日とかはあんまり好きじゃないかなぁ」とやんわり断られた。とっても、かなしかった。

わたしはずっとお誕生日会をやりたいし、来てほしいし、祝われたいのだった。でも、「じゃあお祝いしようか?」といわれたら「大丈夫、要らないよ」と思ってしまう。ちょっと言い換ることにする。わたしは、お誕生日会というものを、うまくやれるひとになりたかっただけなのだ。

そんなこんなで、誕生日の日は機嫌が悪いか、体調が悪いか、こどものころからどちらかだった。おとなになってもそうで、恥ずかしい、と思いながら、今日の日を迎えた。

今日、母からラインが来た。「お花、とどいてるよ」「だれか、名前おしえて?」ピンクとしろのお花できれいに彩られた花束の写真と、送ってくれたかたの名前が送られてきた。そのひとは、わたしの俳句をはじめとする創作活動をずっと応援してくださっているかただった。お誕生日にお花を送っていただけるなんて、思いもしなかった。

「お誕生日会」にこだわって、ずっとうじうじしていたじぶんがするすると解けていくようだった。俳句、がんばろう。いい俳句をつくっていって、このかたに喜んでもらいたい。あっ、それもあるけれど、お返し!お返しのプレゼントをどうしよう。なんだかわくわくしてきた。たのしい、うれしいお誕生日の日を、ありがとう。

祝われたいは、祝いたいのこと。わたしは本当はお祝いをするのが好き。だけれど、祝えば、祝うことを求めているように思われるかと思っていた。もう、そんな、いろいろ複雑に考えずに、お祝いをすればよいのだった。

はい、今年で、お誕生日会コンプレックスは、もうおしまいです!

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