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残る道は、フィクション

今日はいつもと違って、まとまってない状態で書き始めます!ほんとに、今考えてること。


昨日は初めて、note記事を音声にしてみました!

早速聞いてくださったかた、本当にありがとうございました!感想DMもらったり、夫と反省会開いたり(笑)

大変参考になったし、いろんな効果が検証できるまでうまく続けてみたいなぁと思いました。

毎日やると、気づくことがある

盆地徹底。
やはり、誰でもできることを、毎日やる、の凄さはありますよね。
私も「自分の『書く』筋トレ」のために、3年ぶりに毎日note更新を始めて21日経ちました。
毎日書いていると、気づくこともたくさんあります。

例えば
私は、人に会われると
「やわらかい」「ふわっとしてる」「優しそう」「妊婦が似合う」(どんなや)みたいな印象を持たれることが多いんだけど、

文章だけを読むと、すごく冷たい印象を持たれやすいんです。
強めで、バリバリな感じで、みたいな。

それって、その人に対する印象とアウトプットにギャップがあるということだから、勘違いされやすい、というか一貫性がないことに、読者は混乱するのでは、と思って不安になります。

例えばそれって、野球選手なのに、noteでは本の感想ばかりupしてるみたいな?

タグと内容に一貫性がないと、読者は戸惑う

先日夫とランチをした時に、その人のタグと内容に一貫性は必要かどうか、の話になったんです。
例えば私が好きなマザーハウスの山口代表のnoteでは、日々の制作の話、会社の話がよく出る。

日々からの気づき、思っていること。内容と肩書きに、ちゃんと一貫性があって、読者が山口さんに期待していることをちゃんと書いている。応援できる。
羨ましいなぁ、と思っちゃいます。


一方、私自身はというと、農業法人の代表をしているけれど、農業の話はあまり書いてない。noteを始めた時のように、自然の話、畑の話、農業を通じて気づいたことの話は全然なくなったんです。


で、今は。
描きたいことを書いている。
本を読むのが好きだから、本を読んで思ったことを書くことが多いかな。


けどやはり、反応の違いはすごく手に取るように分かって、それは以前と全然異なるもので、イチゴが好きな人にバナナを投げてる感じ。
つまり、あまり読まれていない、ということ。

期待しているものに応えられていない。
タグと一致していない。つまり一貫性がない、ということか。

というところで、私は勝手に納得して勝手に凹んだのです(笑)

過去を書き続けていると、自分が止まっているように感じる

以前書いていたような内容が、書けない。
それは私自身の、農業における環境が変わってしまったことも起因している。農業の現場から、経営の仕事にステージが変わったし、結婚して住まいが(同じ田舎ではあるが)山の中ではなくなった。


変化があることは、なんだかんだ前に進んでるということだからそれ自体は素敵なことと思うし、そんな変化含めて読む人と楽しめたらいいな、とも思っていました。


でも私自身はというと、自然の情景を描くことが好き。
しかもそれは、わざわざその状況に行って、その状況を作って書く、とかいうものではなくて、自然と共にある日常そのものを描くことが好きだったのです。

だから、環境や状況が変わってから「描きたいものがなくなった」と、ずっと書けないことを周りや人のせいにしながら、3年前までは「今」のことではなく過去の体験を書いていたんです。


「いま」に対してワクワクするものがない。
「これが私だ!」という自己一致したような感情も湧かない。

でも過去をこすり続けることにも限界があって。
過去の数にも限りがある。
そして過去の話を何度もいろんな角度からこすっていると、ずっと自分自身が止まっているように感じたんです。

これが辛い。

そんなこんな、なんだかんだ、とはいえ。
不本意な状況でも「自分」というものをガシっと掴みたくて、今私の中にある農業の仕事をバリバリがんばり、いろんな人の多大すぎるほどのご協力とご縁を経て加工所ができ、超ウルトラ忙しくなって、そもそも「書く」ということができなくなったんだけど、書かないとどうやら不調になることにも気付いた。


エネルギーのバケツに穴が空いてて、そもそも力が出ない。
ずーっと、どうやったらエネルギーが前みたいに、溜まるんだろうって一昨年くらいから考えてました。


なにを書くか

周りや人のせいにする人生を辞めたい。
変わりたい。
前の私に戻るんじゃなくて、今できることで、新しく。


そんな時にね。
取材で渡辺謙さんがいらっしゃった。
不思議だった。彼のエネルギーを吸い取ったのか、インストールしたのか、少しだけ、ほんの数滴だったけれど、書くエネルギーがポトンと落ちてきた。


その人の持つ波動みたいなものは、自分に取り込むことができるんだなー、というかそれをそばでモシャモシャ食べたイメージなんですが、

3年ぶりくらいに、もう一度、書き続けてみようと思えた。
まずは書く筋肉のリハビリから。
そうして今に至ります。

そうしながら、書きたいものを探していこう。

今の私は、みんなが期待するような自然や農村の暮らし、こどもと農業の話はあまり書けない。

ならばと、農業や経営のノウハウとか、商品開発のあれこれとか書けるネタはたくさん持っているけれど、「役に立つ」ハック記事を書くことにも、テンションが上がらない。


となると。
今の状況で私に残された道は、フィクションしかない。


しかし、私の理性がストップを書ける。
素人の小説や童話を誰が読むねん。読んでもらえるようにするには、どうしたらええんやろう。

もう一つの私は言う。
書きたいの、書いたらええやん。


ほいで、音にしてみたら?
そうしてこの、youtubeができたのです。


今の私のテーマは
フィクションをどうやったら読んでもらえるのか、
そして、私はどんな心動くフィクションを描きたいのか。

こんなとこかなぁ。

実は書きたいフィクションの内容はぼやっと形になりつつあって、だから重要なのは、どうやって読んでもらうか、の方。
ちょっと色々考えてみよう。

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かなやん(佐藤可奈子)
いただいたサポートは、里山農業からの新しいチャレンジやワクワクするものづくりに投資して、言葉にしてnoteで届けてまいります!よろしくお願いします。