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プロは言葉を持っている

最近、その道のプロの方にお会いすることがポツリポツリと増えてきた。
そして、水面にのぼってきた気泡のように、あるときふと、彼らの共通点に気づいた。

プロは、その人なりの、言葉を持っている。


先週、取材で世界的俳優と言われている方がお越しくださった。
その2日間ですっかり圧倒されてしまったのだが、私が何よりも圧倒されたのは、その言葉だった。自身の考えを伝えるときに、その人なりの、その人の内側からきちんと発露した言葉を丁寧に選びとっているのがとてもよく分かった。

それは、
「さざなみのように」というたとえであったり、
「たおやかな組織として」
「身体の中のエネルギーは、出口が見つからないとき、そのタイミングが来るまでは同居させてていい」など。


そのひとつひとつが、責任を持って、大切な宝箱に入れて差し出すかのように発言されているような感覚だった。
そう、「責任を持って」というのが重要だ。
たいがい、言葉は適当に、そして無責任に発せられることが多いから。


だからこそ、プロの方達から糸をよるように慎重に、でも確信を持って発せられる言葉ひとつひとつがとても愛おしい。
何気なく発せられる言葉であっても、その言葉が内包する密度は、それまでの思考や経験の密度でもあるから。
(とはいえ、どんなに思考し厳選した言葉であっても、伝わらないことや、誤って伝わることは大いにあるのだけれど…)


私は、言葉の力をとても深く信じている。
私が言葉の力を信じるようになったのは、小学3年生の頃、家が全焼したのがきっかけだった。実はその帰り道、罰当たりにも「最近おもろいことないなー」「なんかどっかがブワーっと燃えたらええのに」なんて話をしていた。
そしてその日の夕方、我が家が全焼した。
原因はコンセントのショートだった。


それ以来、言葉にしたことは現実になると本気で信じるようになった。
同時に、誰かが使う言葉、伝える時の言葉にも、敏感になった。
もちろん美しい言葉には、心からときめいた。


さて、その俳優さんの来訪以来、私の心に小さな灯りが灯った。
言葉に触れたい。
心うごく言葉に。


食品加工所が竣工して2年とちょっと。
それ以来、あまりにも、あまりにも忙しく目まぐるしすぎて、noteを書く余裕すらなかったのだけれど、また言葉をつむいでいきたいと思った。


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かなやん(佐藤可奈子)
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