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純文学をエッセイのように、エッセイを純文学のようにって?
先日、渡辺謙さんが取材でお越しくださったときのことだった。
私には、農園の代表としていろんな発信をする際に、いつも悩みがある。
いつも自分の農園を一言で表せないのだ。
だからどうだろう。
私たちの農園、women farmers japan(株)の文や説明は、お恥ずかしいことに、どれもとても長い…!!!
それは干し芋のパッケージの裏側も同様で、びっしりと文が書かれているのがお分かりだと思う。
こちらに関しては農家仲間に「商品に、『わたし』のこと書いてんの、初めて見たわ」ってちょっと引かれた。
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伝えたいことはありすぎるし、どのように伝えるのか。そしてどのように心を動かすのか。
いつもそれがぼんやりと付きまとう私なので、対談の中で、その話題を出した。
彼はこう答えた。「一回目の出会いで、全てを伝えようとしなくていい」
「そう、イメージはさざなみのようでいい。そして、ダイナミックに感動させようと思わなくていい。ちょっとだけ。ちょっとだけ、感情を揺らすことができればそれでいいのだ。そのあとお客さんの中で、膨らんでいくのだから」と。
お客さんの中で、膨らんでいく。
心の中で復唱する。
「そのためには、相手とチャンネルを合わせることが大事だし、短く、平易な言葉を使うことも大切。そう、ある人がこう言ってたよ。純文学をエッセイのように。エッセイを純文学のように、って」
すごく腑に落ちた。
私のデスク前には、ある方がどこかで書いた言葉を貼っていたからだ。
その内容が、
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むずかしいことを、やさしく
やさしいことを、ふかく
ふかいことを、ゆかいに
ゆかいなことを、まじめに。
だったから。
これは私の原点でもあった。
うんと分かった感じで、その場が終わったのだが
なるほど…
うん?
そもそも純文学ってなんぞや。エッセイとは?
分かるとできるは違うもので、改めて調べてみた。
純文学…大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。
エッセイ…自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。
あああ〜なるほど。
2回目の腑に落ち。
しかしもう一度言おう。
分かると、できるは違うのだ…!
純文学をエッセイのように。エッセイを純文学のように、を、私はこう捉えた。
入り口はとても入りやすいのに、出口はめっちゃ深かった、ということかなと。
アニメ映画監督の、宮崎駿さんが面白いことを言っている。
僕がチャップリンの映画が一番好きなのは、なんか間口が広いんだけど、入ってくうちにいつの間にか階段を昇っちゃうんですよね。なんかこう妙に清められた気持ちになったりね(笑)。なんか厳粛な気持ちになったりね。するでしょう?
ディズニーの作品で一番嫌なのは、僕は入口と出口が同じだと思うんですよね。なんか「ああ、楽しかったな」って出てくるんですよ。入口と同じように出口も敷居が低くて、同じように間口が広いんですよ。
エンターテイメントっていうのは、観ているうちになんかいつの間にかこう壁が狭くなっててね、立ち止まって「うーん」って考えてね、「そうか、僕はこれで駄目だ」とかね(笑)、そういうふうなのが理想だと思うんです。なんかこう……入り口の間口が広くて、敷居も低いんだけど、入っていったら出口がちょっと高くなってたっていう。壮絶に高くなることは無理ですよ、それは。
なるほど察するに、
入り口が広いとは、その作品が完全のエンタメ作品の顔をしているけれど、テーマは鋭く、深く、ときに政治的であったり、社会の課題をえぐるものだったり、というイメージだろうか。
では、みんなにとって入り口が広くて、敷居が低いものってなんだろう?
考えてみた。
ひとつは、接することが身体的に楽なもの。
自分で農園や会社をするようになって、時間をどう作るかが重大テーマになった。学生時代、あんなにいろんなエンタメを楽しんでいたのに、もう日々、仕事しかしてない。
その現実は、出産してからより巨大なモンスターになった。
自分の時間がほとんどない。
だから例えば、読書は時間的にも、気持ち的にもヨイショがいる。
疲れているときに、文字を読む負荷は結構大きい。めんどくさい。
かと言って、映画もわざわざ時間を作って映画館に行かねばなので、ヨイショがいる。Amazonプライムなどで自宅で観るにしても「さあ観よう」と時間を作らねばならない。
そうだな、どんなエンタメであっても、そのための時間を作ることの難しさは同じだな。
なので最近は、断然オーディオブックが大好きだ。
没入感が他の比にならないし、車の運転中に聞ける(つまりわざわざ読書のための時間を捻出しなくていい)のが最高だ。
本当に最高だ!!
趣味、オーディブルと言えるくらい、胸を張っていろんなものを移動中に聞いている(どんだけ移動してんねん)。最近はオーディブルで聞いている小説の続きが気になって、車に乗りたくて仕方がないオーディブル依存症だ。
2つ目は、パッケージやトーンがハッピーであること。
やはりどうせ触れるなら、辛い気持ちになりそうな重たい作品や重たいテーマのものは避ける。
やっぱりディズニーランドは大好きだし、
YouTubeも元気で明るく話してる人の方がいい。
そうそう、中田敦彦さんが、
YouTubeを始めた当初は真顔で解説動画をやっていたけれど、視聴者さんのコメントで指摘をもらい、元気に明るく解説するようになってすごく反響が良くなった、と言う話をしていたのは、分かりみが深かった。
とはいえ、私自身は書くトーンや発信する雰囲気が、敬愛する星野道夫さんに引っ張られ、どうしても暗めになりがちというか、そう言うのが好きなので、岸田奈美さんみたいな「元気ー!」が描けないでいるのだけれど…。
そういえばFacebookで◯年前の投稿、と言うのがひょこっと出てくるが、12年前の投稿なんて、元気とバカの塊のような文面でびっくりする…!!
それがフォロワーさんが増えるにつれて、ちょっと、徐々に、ちゃんとしてきてるのが面白い…。どんどんトーンが大人になってく。
元気さ、明るさ、って
熱意とか情熱みたいなものかもしれない。
今後、ちょっとそんな感じでトーンを変えて書いてみようかなぁ。
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