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やろうとしただけでも、100点。「やったこと」にした
やり抜く力、という言葉が、とても苦手だった。
いっとき「グリット」って本が流行って、これ読んだときは結構打ちのめされたなぁ。
私、なーんもやり抜いたことないかも、
てか、やり抜くこと苦手かも、って当時、思ってたから。
じゃあ、やり抜くまでの過程で、私はどんな行動をしてたんだろう。
「あ、これは負けるな」と感じたら、とっとと手を引いて、今の自分で勝てる別のステージを探してた。
だからその結果、一つのことをとことん、というよりは、いろんなことに手を出してきたような気がする。「好き」より「ニッチ」なステージを選んできたのもそうだろうな。
負けてしまうことがとにかく嫌だった。
特に「好きなこと」で負けると、それはもう辛すぎるから、好きなことからも離れていった。
一方で、とてつもない完璧主義であったから、「グリット!」と息巻いた途端、とことん突き詰めすぎてダウンするってことも多かった。
バーンアウトだらけの人生。
全然失敗から学んでないやん…。
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そんなふうに生きてたら、
歳をかさてねて手元に残るのは
そんなに好きでも得意でもないけど、勝てそうなもの、になってて、「まぁ、そうは言うけど、続けたものが好きになるんだよ」と一般的に聞くけれど、でもやっぱりそんな変化は私にはなかったなぁ。
苦手なものは苦手だ。
苦手なものを伸ばす努力よりも、得意で好きなものを伸ばした方が、完全にラクで楽しく、伸び率が超高いもの分かってる。
のに、だよ。
なぜか、勇気が必要だった。
それは負ける勇気だったのかなぁ。
やり抜く、というより
その過程で負けることが極端に嫌で
だから勝ち続けられるように完璧を求めて、いっとき超超力を注ぐけど、
その行き先はいつも、バーンアウトか、勝てないことが分かって手段を変えるか、だったように思う。
こじらせとる。
そんなこじらせアラフォーが出会った本がある。
「「やりたいこと」も「やるべきこと」も全部できる! 続ける思考」だ。
ここにあったのは、私がやってきたことの真逆ばかりが書いていた。
完璧にしない、
ほんとに小さなことからやる、
あーだこーだ考えず、とにかく続ける。
その中で、良かったのは
気分が乗らない日はやったフリでもいい。
ジョギングシューズをまず履いて、玄関に立っただけでもいい。
みたいな感じの考え方だった。
そうだった。
出産してから、「やり切った!」と言う感覚は、さらに遠のいたんだった。
やろうとしたら、こどもに邪魔される。
割って入ってくる。
割られるたびに、時間がどんどん細切れになっていく。
うがー!
そうだ、昨日も寝る前にヨガしようとして、
3歳の子どもが背中に乗ってきて、中断したんだった。
でも、それでいい。
私は、それでも、この日はヨガをやったことにした。
そしてマルをつけた。
スタート地点に立った、やろうとした、
オッケー、オッケー。
結局グリッドにゴールテープなんてない。
たぶん、人生は死ぬまで過程。
だったら、マルをつけ続けよう。毎日、毎日。
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