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新たな切り口をどう見つけるか? / 「同志少女よ、敵を撃て」から学ぶ【感動探求】

<ちょっぴりネタバレあり>
とにかく最初の数ページを耐えてほしい。


イワノフスカヤ村が襲撃されるところまで耐えてほしい!!

いや、分かる。
私も最初入り込めなくて、襲撃前で一旦本を寝かせてしまった。
しょっぱなからカタカナがたくさん出てきて、人物も地名も入ってこないだろう。でもね、ほんのちょっと数ページでジェットコースターは頂点に達して、ものすごい勢いで滑り始めるから!!


「同志少女よ、敵を撃て」は2022年の本屋大賞にも選ばれた、第二次世界大戦下、独ソ戦におけるソ連の女性狙撃兵の話。


●世界は怖いもので溢れているから、一番遠い怖いものを、ちゃんと知っておきたい


世界は怖いもので溢れている。
と、ずっと思ってる。
生まれてから、一番最初に怖いと思ったのは、父かもしれない。


そして、世界は怖いもので溢れているから、なぜか強いものに惹かれていた。女らしくないもの、女々しくないもの。

それは、私にとっての憧れのゾロ(ONE PIECE)だったし、中学で始めた剣道だったかもだし、当時携帯の待受にしてたラストサムライの渡辺謙さんも、男性社会な農業も、強い男性的なイメージから惹かれた一面もあったのかも。


けれど悲しいかな、「妊婦が似合うね」「ふわっとしてる」あげくの果てに「その見た目でお裁縫も料理も苦手って、ずるいね」と言わせるほど、どうやら私の見た目はやさしそうらしい。ぐう。


だから見た目のポカポカ感で近寄ってきたお方たちは、私の見た目からかけ離れた野蛮さ?頑固さ?口の悪さ?優しくなさ?なギャップに「おおう…」ってなって、離れてくことが多い、気がする。。。ぐう。

さて、世界は怖い、という前提で生きてるせいもあり「どうやったら怖くない世界が作れるのか」と無意識に思ってたのか、世界にある怖いものに興味を持った。

それが戦争とか紛争とか虐殺とか。
大学では、国際紛争を専門に勉強して、毎年アフリカに行き、サークルは難民支援を学ぶ学生サークルに入ってた。

どうやったら戦争はなくなるの?
なぜ戦争は起きるの?


でもそれは、私の世界から一番遠いものでもあるからこそ、「知りたい」という欲求だった。本丸の正体知らねば、撃退できぬゆえ!


さてさて、あからさまなおナミダ頂戴小説は苦手だけど、新しい視点と新しい感情い出会わせてくれる小説はすき。

で、今も大なり小なり世界各地である紛争や戦争を描く物語は、未来への教訓として山ほど描かれているなか、今回日本における戦争小説において、新たな視点を投げたのが、この、「同志少女よ、敵を撃て」です。


この小説自体の面白さはまた別の機会に書くとして、今日は、この小説の良さを、どう自分に転用できるか?を書いてみます。

「感動探求」のお時間です!

この作品のエッセンスを、自分の表現やものづくりにどう転用し、活かすことができるかな?

●どんなにこすられたテーマでも、視点が変われば新しくなる

1、視点が変わると、事実に深みが増す。

今まで描かれていなかった切り口で戦争を描かれたことが、この作品の素敵ポイントのひとつでもある。

戦争小説は、実体験含め、山ほどあるけれど、でもそれでも、いまだ描かれていない視点の物語は、書く意味がある。

つまり、この世にその作品が存在する意味がある。
(とは言え、そもそも、ちゃんと読まれなきゃいけないけどね)

で、いままでになかった視点、というのを考えたときに、やっぱり重要視されてるのが、

2、視点のひとつに、社会性がマストになっている

ということかなと。
現代社会をうつしとっていること。

例えば、2022年のトニー賞 ミュージカル作品賞は、「ア・ストレンジ・ループ」が受賞しました。黒人でゲイで容姿も大柄な主人公が、現代に生きるマイノリティの現状を表現した作品です。

ただエンタメとしておもろいだけでは(もちろんそんな作品も最高!)、社会的評価、みたいな軸ではダメになってきたんだなーと。


じゃあ社会性ってなんやねん!!、ってことですが、
私個人の解釈では、

●この作品、商品を通じて、社会に発したいメッセージがあること
→「もっとこうなったらいいのに!」「こんな社会を目指すよ」「言いたいことがある!」「これって?」「こんな現実があるんやで」的な。
●この作品や商品が、この社会にあるべき存在意義(おも)
●社会との接点
→「昔もいまも、通じるもんがあるんやな〜」「これめっちゃ分かりみ」みたいな共感とか、現代との繋がりみたいなもの

みたいなことかなと思ってます。
なんか、むず、、、みたいな書き方になったかも。


というか、あれですね。
会社で言うところの、ビジョン、ミッション、パーパスってことですな!


そして農業してても、商品を販売してても常々感じるけれど、最近はもう「ただおいしいだけではだめ」みたいな傾向、出てきたけど、お客様に「買う理由」をどのように持たせるか、ということがモノが溢れてる時代に問われてくるようになったなーと。

じゃあ買う理由ってなんぞや、どうやって買う理由を持ってもらうか、とかはまた今度書くにして、

3、視点を見つけるためには

じゃあ、その多様な視点や、いままでになかった切り口とやらを、どうやって見つけたらええんじゃい、ということですが、

・当事者であるか
・圧倒的に情報収集するか

の、どちらかかと。


①当事者の言葉は、やっぱり最強

なんだかんだ、当事者の声というのはすごく強く、パワーと説得力がある。羨ましい。思えば、「農村女性の自立支援を軸に農業をー」とがんばってる我らが農園wofa(ウーファ)も、当事者だからこそ言える課題やアプローチをよくお話ししてます。


「あぁ、『わたし』が主語になってるメッセージって、こんなにも伝わるんだなぁ」と、wofaの活動を通じて、すごく、痛感してます。

そんなこんなで昔、戦争体験者が描いた小説やマンガを読んだ時に、もう圧倒的に一生勝てないものを感じたことがあったな…

もうね、紙の上に印刷された言葉なのに、そこからすごいパワーが出てるのよ。なんなんやろ、あれ。そういうものたちを前にすると、これ以上のこと、書けるわけないやん…て、ちょっぴり絶望したよね。


当事者という意味で最近だと、、第169回芥川賞を受賞した市川沙央さんもすごく象徴的ですね。

受賞作「ハンチバック」の主人公は、市川さんと同じ筋疾患「先天性ミオパチー」を患ってる。電子書籍化が進まない日本社会に対して「出版界は健常者優位主義(マチズモ)ですよ」と批判するあたり、読み手に「ハッ」という新しい気づき、新しい体験を与えてくれる。


いい意味でのポジショントーク、何者として、何を発するのか。ポジショントークって言葉、なんか悪い意味で使われるけど、現代においては、大事だと思う。


②当事者視点になるには、圧倒的な情報に触れるしか

さて一方、「同志少女よ〜」は作者は当事者ではない。
戦時下における女性スナイパーといういままでになかったマイノリティーの声を、しかも男性が書いたという!

女性ならではの悩み、辛さ、時代的な扱いの現実、細かな機微が丁寧に描かれてるし、でもそれが「私」を主語に進むんじゃなくて、神の視点で描かれてるのが彼っぽいところとも思うんだけど、

なにはともあれ、当事者じゃなくても、社会に埋もれている小さな声は、圧倒的に知ろうとすれば、描けるのだと、勇気ももらった本でもありました。


でもそれを実現するには、すんごい量の情報に触れねばならぬのですよ。

本書もかなり参考文献を読み込まれてて、監修もつけて描かれている大作です!!その物語の裏側に流れている情報量を、ひしひし感じるから「よ、よくぞ書き上げてくだすった…」と労いの思いさえ込み上げる。


そういう面では、私に「読む意味」を持たせてくれたかもな。

深く、知ろうとしなければ、社会に埋もれている小さな声には辿りつけないです。そして、知らなかった社会の一面を、小説というエンタメを通じて触れるのは、最高の体験でした、


ちなみに、この小説の元ネタとなった、そしてこの小説にも登場する本、「戦争は女の顔をしていない」ももちろん、読んじゃうよね(笑)


知らない世界に触れ、いまを見つめる世界の解像度を高めてくれる。私もそんな視点を、見つけていきたいし、出会っていきたい。





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かなやん(佐藤可奈子)
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