娘を農作業に連れて行くようになって気づいたこと
規則正しく空を縫ってゆく、カッコウのミシン目のような声。その隙間から降りてくる、やわらかい風が、甘い香りを鼻元へ運ぶ。
「このいい匂いはなんですか」。
田植えが終わり、畦をのぼる師匠の丸い背中に聞く。
「これは、朴葉の匂いだ」
顔を上げると、パタパタと今にも空に飛ばんとばかりに羽をはためかす、鳥のような大きな葉と真っ白な花。それらを両手に抱えた大きな木々が目に入った。
私の曖昧な質問に即答した師匠には、この自然が差し出すもの全てに名前があり、人格があり、私よりずっと世界への解像度が高い。いろんな姿の、大勢のものたちに囲まれて生きているような気がした。山にいると、なぜかほっとするのは、このせいだろうか。
私は、娘が8ヶ月の頃から、農作業に連れていくようになった。
娘と一緒にいたい。けれど、働きたい。
そんなワガママをなんとか叶えられぬものかと、生後8ヶ月になった5月ごろから、田んぼや畑に連れて行くようになった。連れて行けるのは、気候が穏やかな4~6月または9~10月。早ければ11月には雪が降る。
初めて一緒にしたのは、すじまき作業。(おんぶされてるだけ)不満そう(汗)
その次は、田植え。
見てください、この顔。
家にいるよりも、山の中はたくさんの刺激からあるせいか、娘の関心や気持ちがとてもイキイキしているように思えた。山に行った日は、ぐっすり眠った。
それから、保育園に入るまで、娘と畑でいっぱい時間を過ごした。
その中で、気づいたことがある。
「お母さん、見て見てー」
「お母さん見て見てー」
「お母さん、見て見てー」
「お母さん、見て見てー」
「お母さん、見て見てー」
「お母さん、見て見てー」
・・・。
娘が、自分で見つけて、生み出し、たのしんでる!!!
そんな姿が、とても嬉しかった。
「家の中にあるもの」だと、限定されてしまう。
けれど、山の中は、無限大だ。そして、どれ一つ同じものはない。葉っぱの形、石の形、どれも違う。スケールも違う。そんな中から、娘はいつもいろんな想像をして楽しんでいた。
ある日は、いつの間にか蛙さんと、どじょうさんと友達になっていた。「蛙さん」「葉っぱさん」「どじょうさん」「お芋さん」と、彼女なりに(?)触れるどの子にも「さん」をつけて呼ぶようになった。
当時の娘にとっては、草木も作物も生き物の、全ておんなじ地平に立つ「友達」だったのだろうか。
そんな楽しそうな娘のそばで、過ごす時間はとてもしあわせだった。
同じ世界で生きているのに、私が見ているのとは、違う世界を見ている。
その世界を、娘の視線を通じて垣間見れることが、しあわせであり、新しい世界の発見であった。
もちろん、まともな仕事なんてできるはずがない。
(あれっ、最初は「娘と一緒にしたいけど、働きたい」というワガママを叶えるためだったが…)
私は、幸福度を優先することにした。
そのために娘が1~2歳までは、「娘がいてもできる仕事を、その日までに用意する」または「仕事を選ぶ」ように農作業を計画した。
春、一番最初にやる田んぼの落ち木拾い。堰上げ。
田植え、稲刈り、芋植え、芋掘り、畑の草取り、ただ畑の様子を見にいく……
3歳ごろからは、娘の力でちょうどよくできる作業を用意するようにした。
すっかり娘は、パートナーになっていった。
自然の中で、娘は人間だ。
ある保育士さんが「発達障害の子、自閉症の子、いろんな子がいて、学校に上がると別々にさせちゃったりするけれど、自然の中に行ったら、みんなホント、おんなじになって、違いなんて、分からなくなるんですよ」とおっしゃっていた。
なぜだろう。
自然は「そのままでもいいよ」と、迎え入れてくれるからか、どんな子のどんなボールも受け止めてくれるからか。
しかし、ただ自然の中に子どもを放置するだけではダメだ。
子どもの好奇心や、挑戦意欲をいい塩梅で引き出すのが、大人の役目なのかなと、娘と農作業する日々で気付いた。
私たちにとって、その引き出すフックが、農作業だった。農作業には季節の変化に合わせ、多様な仕事があり、時間と共に変化する。こどもと楽しむには、面白すぎるフィールドだった。
小さな農業は、ひとを育てる力がある。
そして、私たちにとって、大切な時間となった。