「この接吻を全世界に」
豊田市美術館の、グスタフ・クリムト展を見に行った。
あいちトリエンナーレの会場でもあるこちら、駐車場は行列だったものの、平日ですでに夏休みも終わりになる頃で、さらに雨天ときて、実際館内はそこまで混んでいなかった。
会期の終わりがけになるとまた混むだろうから、気になる方は今の内が良いだろう。
蒸した空気も建物の中に入ればシャットダウンされ、快適な温湿度に調整された空間でゆっくり楽しむことができる。
美術館は、人によってはオアシスのような空間だろうな。
クリムト展。
これぞクリムトというような黄金様式の時代の作品はもちろんのこと、印象派のような風景画やえんぴつでの素描、グラフィックデザインのようなウィーン分離派のポスターまで、クリムトの歴史が満遍なく散りばめられた見応えある作品群だった。
苦しみを超えて喜びに包まれる、「ベートーベン・フリーズ」には魅了された。
敵を倒し楽園に至るまでの絵巻物のような壮大なストーリー。
「この接吻を全世界に」
いつまでもベートーベンの第九が頭の中を流れている。
私は美術館では音声ガイダンスを使って鑑賞することが多くある。
美術をより楽しむためにはただ眺めるだけよりも、作者の背景やエピソードを知った方が楽しめる、と思っているからだ。
予備知識がある人は音声ガイダンスなんて邪魔でしかないと思う人もいるだろう。
でも私のような知識がない人間にとっては解説のおかげで、初めてその作品が深みを持ち、意味をなす。
美術館へ行くといつも不思議な気持ちになる。
こんなにたくさんの人たちは何を目的としてここにきているのだろう。
みんな、クリムトが女と猫が好きだということを知ってこの絵を見ているのだろうか。
社会的な思想や、背景、作者の哲学まで読み取っているのだろうか。
それとも、感じるがままにただ作品を美しいと思っているのだろうか。
美術やアートと対峙する時、その瞬間は自分を孤独にする。
誰とも分かち合えない、分かち合わない。
感性というよりは、その空間に一人取り残されているような気持ちになる自分を見つめ直すような瞬間が訪れる。
周りはたくさんの人がいても、その絵画と自分しか繋がりがないような気持ちになる。
だから美術館は好きだ。
できれば一人で行きたい。
自分だけのタイミングで感じたい。
美術の良さなんて私は全然わからない。
何が良いとか、貴重だとか、これくらいは押さえておかないと、みたいなことはわからないし邪魔なだけだ。
私はただ、それが好きかどうか、心地よいかどうか、ざわざわするかどうか、つまらないか、悲しみにくれるかどうか、、、
なんとなく、でも自分の物差しではかりたい。
そして、変わった作品だなと思っても、気の遠くなるような作品だと思っても、これが絵画なの?という疑問のある作品でも、、、、
そんな作品を作る人が世の中にいるということが、なぜか私を安堵させる。
不思議だ・・・・こんなものを生み出す人がいるなんて・・・と、思うことが、優しい気持ちに包まれるような感覚になる。
だから私は美術館やアートが好きだ。
この不思議な、ざわつく気持ちに包まれる心地よさを知っているから。
あいちトリエンナーレの現代アートなども一緒に見て来た。
その話はいずれまた。