選ぶことって必要なのかな
2階の窓から見える実家の庭。
竹藪に松に柿の木。コントラストの高い眩しい光とともに揺れている。
この景色を見ていると、気持ちが落ち着く。
自分にとっての原風景。
写真仲間から教えてもらった映画を観ていた。
summer of 85
写真仲間から勧めてもらったドラマを観ていた。
海のはじまり
どちらも別れのシーンがあり、涙を流しながら別れを告げる。涙を流して選ぶ別れ。
これは人が作った物語であるし、演じているのはそのキャラクターでなく俳優だ。しかし、画面内では本気で自分でする選択に感情を爆発させているように見える。
はらはらと美しい泣き顔。
ふと、そんなに泣くなら別れなきゃいいのにと思ってしまう。そんなに苦しいのなら…
でも、別れない選択のほうが不幸で苦しいのだ。
人の気持ちは分からない。summer of 85のほうは男性同士の恋愛物語なのだが、相手が主人公に「もうおまえには飽きた」と別れを告げる。しかし泣いているから、観ているこちら側は真意が分からない。本当は愛しているから辛いのか、相手を傷付けるのが辛いのか、自分が愛情を失ったことへの失望なのか。
そのあと悲しみに暮れた主人公の後を追う道すがら、この相手は事故で死んでしまう。
そして主人公の行き場のない愛だけが残る。
去年開いた個展では“人生の選択”をテーマにした。自分はそのとき、離婚を選択した。
わたしはこの離婚で人生がすごく楽になったし、何も後悔はしていない。
でも、別れない苦しみと別れる苦しみ、どちらも同じくらいだったら、選ぶことって並大抵じゃない。
人には予期せず別れが来る。
最近、職場の人が病気で亡くなった。
わたしが具合悪いときは真っ先に気づいてくれて、のど飴をくれたり、わたしにだけ憎まれ口を叩く自分の親くらいの年齢の彼女が好きだった。マスクの下の彼女の顔が痩せていくのに気付くのが遅れた。気付いたときには、もう遅くて、それでも何度も病院に行ってとすすめたけれど、彼女は行かなかった。家族のために働くことが大事だった。そのとき、無理矢理にでも引っ張って連れて行ってたら、こんなに早く別れは来なかっただろうかと後悔する。
最後に会ったときは、靴が履けない彼女に靴を履かせて、気をつけて帰ってくださいねと職場の玄関から見送った。
どうしようもない別れと、選択できる別れ。
前出のドラマで別れを選択した女性が言う。
「自分が幸せでいる方を選ぶ」
いくら涙を流そうが、辛かろうが、一緒にいることで幸せでないのなら、それは選ぶべきなのかもしれない。小さい頃、母親はよく“幸せになりたい”と言っていた。母がした選択はわたしを一時的に不幸にしたけれど、今となっては母が幸せになってくれたなら良いし、自分も大人になって自分の幸せは自分で選択できるようになったと思う。
選択するのなら幸せなほうへ、
ただし人には急に別れが訪れるから、いつも周りにいてくれる人との時間を大切に。
たくさん泣くときもあるけれど、誰かと笑い合う瞬間を大切に。
古い写真。
列車から見える一面の菜の花畑が美しかった。
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