カンボジア旅行記④乗り継ぎそして帰国
午前の飛行機でバンコクのドンムアン空港へ。
乗り継ぎに時間があるのでバンコクを観光することに。
着いた頃にはお昼時でしたが、ドンムアン空港であまりレストランを見つけられなかったり、目的地へのバスを探したりするうちにお昼を食べ損ねてしまいました。昨日と2日連続お昼抜きです…
バスには精算機がなく、係の人が座席を回って集金し、チケットをくれる超アナログなスタイル。
カンボジアのバスもこんな感じだったのかなぁ…
30分ほどでカオサン通りへ。
タイはインドシナの中で唯一植民地化されなかった国なだけあって、植物が生き生きしていて、リスらしき小動物も走っており、立派な門構えの建物も多く、観光客で賑わい、経済的な余裕が感じられ、プノンペンからは20年ほどタイムスリップしてきたような都会っぷりに衝撃を受けました。
カフェでお昼ご飯兼おやつを食べて、人心地ついていました。
すると突然暴力的なスコールが。
しばらく雨宿りしていたかったのですが、調べたところカオサン通りはスワンナプーム空港へのアクセスがあまり良くなく、船と電車を乗り継がなければいけないようで、時間がかかりそうだったので、カフェを後にすることに。
トゥクトゥクでプラアーティット船着場に向かい、チャオプラヤー川のフェリーに乗ってSartoon駅へ行くことに。
川面から昔ながらの船が見えたり、バンコクの街の色々なエリアが垣間見られて、なかなか面白かったです。
深夜にスワンナプーム空港を出発し、成田空港に無事着きました。
今回の旅で思ったことは、カンボジアではクメールルージュの恐怖政治に国民達(特に都市部に住んでいた人々)の尊厳が踏み躙られたことで、小さな頃から連続してきた自分達のアイデンティティ、自分達の生活がぷっつりと途切れてしまったこと。そこから「自分」の存亡をかけて、その後を生きなければならない。
しかし、一度途切れてしまった自分を取り戻すのは容易ではない。希望を見つけなければ、そして近い希望を持つ人々と繋がらなければ、そしてそれらが許される環境でなければ、難しいだろう。
私も高校時代に、自分が最も大切にすべきだったものを手放すことになり、自分をほぼ完全に見失いました。今は徐々に見つかってきていますが、完全には取り戻せていません(それについてはまた別の機会に)。
カンボジアの過去と今そして未来について目を向けることで、自分を見つめていきたいと思います。