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女性登用の反面教師さん

 新年度が始まった。

 私はこの変化の多い時期が大の苦手だ。
自分が人事異動の対象でなくても周囲のメンバーが数名変わるだけで疲れる。だから自分自身が異動したこの春のダメージは例年に増してキツい。

 同じく新たに異動してきた課長は昇格して本社から出向し私と同時に4月からこの部署に配属となった。私よりひとつ年下の女性だ。

 最近は時代の流れで女性の社会進出や地位の向上の一環としていろんな企業で女性登用を推進している。私の会社も御多分に洩れず毎年女性の管理職がバンバン増えている。
 私にとってはひとつもありがたくない配慮だ。
 女性も男性と平等に!というけれど、そもそも生物学的に別物なのだから得手不得手が明らかに違うと思っている。
 こういうと今の社会と全く逆向きの思想になるが、そう思う人間(女性)もいる。

 女性は経理のような細かい作業には向いているが、組織全体を俯瞰で見ることや物事を多面的に捉えるのが男性と比較して苦手な人が多いと思う。

 なのに女性は管理職という不得意分野で何をそんなに男性に対して無用な負けず嫌いを発信しているんだろう。得意な分野で充分活躍の場はあるのに。
 管理職としてちゃんと仕事ができもしないのに一人相撲みたい空回ってる女性を見ると本当に気の毒で見ていられないし、そんな場面に遭遇するとやはり女性登用は罪な制度だと。
 自分の職務でありながら女性であるがゆえに全うできず結局男性社員の助けを借りるならその職位にいる意味はない。
 負けず嫌いを発するなら対象物を“男性”に限定する必要はないと思う。
 女性登用の流れによって有能な男性社員の昇進の機会は以前より減っているに違いない。

 管理職ではないにせよ一昔前なら私のような凡人社員が今のポジションにはいないだろう。毎日有能な男性社員に申し訳ないと思いながら仕事をしている。マネジメント能力のない私に皆どんな思いを抱いてついてきてるんだろう。そんな針のむしろ的な毎日に私は早くも年度始めでうなだれているのだ。

 しかし、私の背後に鎮座する課長は違う。同期入社の女性社員に遅れること2年。待ちに待った課長の椅子だ。嬉しさは大きなマスクでも隠しきれない。
 課長は自分が「課長」と呼ばれる度に優越感に浸っているのがこちらにも伝わってくる。
 それなのに悲しいことに彼女のことを課長だと認めていない年上の部下が彼女を役職で呼ばず苗字に“さん”付けで呼ぶのだ。

 彼が課長あてにかかった電話を取り次ぐ度に野太い声で「◯◯さんに電話です」と言うもんだからその度に課長が不機嫌になっていくのが見て取れる。私は板挟みになりながらもちょっとだけ小気味良さを感じてしまう。
 昇格して管理職になれば給料もかなり上がるのだが、今のところ彼女が課長だと認識できるのは皮肉にも彼女が課長と呼ばれずイラついている場面に遭遇したときだけなのである。
 実働部隊は私以下の社員。
 一日中何をやっているのか背後なので様子はわからないがトイレに立つときとお昼にお手製の弁当の蓋を開けているときだけ彼女の存在を感じる。

 そして終業のチャイムが鳴ると
 「それではお先にぃ~」とブランド物のバッグを手にしゃなりしゃなりとお帰りあそばせるのだ。

 勤務時間が終わり課長が退社してから緊張の糸が緩む。
 「頼むから彼女のこと課長って呼んであげてよ。ピリピリムードになるからさぁ。女はそういうの1番気にするしこだわるしずっと根に持つんだから。」これは私の心の声。実際に言いはしない。

 私が社会人になったころから世の中は急速にそれまで「弱い」とされる立場の者に対して優しい世の中に変わった。
 それと引き換えに「何でもない人」が生きづらい世の中になったと感じる。
 弱者は今や強者だ。


 男性と同じ役職を与えられ、同じ成果を求められ、出来なければ「これだから女は…」と陰口を叩かれる今の時代。
 私が入社したばかりの頃、女性社員は朝、男性社員の机の上を拭き灰皿の灰を集めてきれいにし、お茶を淹れて配っていた。女性だけに課せられた雑用だったが誰も疑問も持たずにチャッチャとやっていた。だってしんどい本務は男性にやってもらっていたんだから。
 あの頃が平和だったな。
 
 

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