義母を介しての私の存在価値
私は昔から
・相手の期待を裏切ってはいけない。
・相手がやりたくないことはさせないようにする。
・相手の思いを読み取って先回りして行動する。
という何とも難儀な性格だ。
ちょっと前に「嫌われる勇気」とかいうタイトルの本が大ヒットしたが、これを読めば自分を矯正できるかもしれないと期待を込めて市立図書館の貸出予約をしたものの、自分の借りる番が回ってきたのは1年半後(買ってまで読む気はしなかった。)
興味も失せてしまっていたので流してしまった。
私は人から嫌われるのを極端に恐れている。
それは生い立ちがかなり影響していると私は思っている。
冒頭クロポツの上2つは最後のクロポツで相手の気持ちを推し量ることにより成立する。
私はこれを30数年前から夫と夫の母に無意識のうちにやっている。
最近では成人した息子たちにもやってしまっている。
“捨てられて独りになるのが恐い”が潜在意識の中にあるんだと思う。
人の善意も素直に受け取れない。
きっと何か裏がある。
私に優しくしても何の特にもならないんだから、きっと私から何かを搾取しようとしているんだ、と。
夫とは結婚36年目を迎えた。
たくさんケンカもしたが、私は両親のように離婚せず、何とかここまでやってきた。
夫は、
「自分のように優しい夫はそうそういないよ。」
と言う。
私もたぶんそうだと思う。
でもこの36年、私はいつも不安に感じて過ごしてきた。
いつか夫に愛想をつかされて自分は一人にされてしまうのではないかと。
夫は私より肉親である母親のことを大事に思っている。
本人に確認したわけではないが言動でわかる。
夫の母親は昭和一桁の昔気質だ。姑の世話は嫁のつとめが当たり前の世代。
夫はそんな母親の性格を十分理解をしているもんだから嫁の私には母親が生きている間中、添い遂げてほしい。誰より大切な母親の望みを叶えてやりたい、私の存在価値はそこに尽きる。
でも私も我慢ならないことがあって(兄嫁が全く姑に関わらない)夫の母親に素直に関われないこともある。
そんなときも夫は何とか私をなだめすかして母親に関わらせるのだが、内心夫はそんな私を腹立たしく思っているに違いない。
だから私が心配していること、夫に愛想をつかされるのではないか、ということだが
齢90の母親も通常であればあと10年くらいだろう。
母親が亡くなってしまったら、夫にとって私の存在価値はあるのだろうか。
今の「そうそう滅多にいない優しい夫」でなければならない理由はなくなるのだ。
私は他人とのかかわりが苦手だし嫌いだが
それでいて極度の寂しがり屋でもある。
そうそう滅多にいないくらい優しくしてくれた夫に捨てられたら…
昨今、子供を頼ろうなんて時代遅れだし、子供(というかその嫁)はサラサラそんな気持ちはない。
老後の金銭的な準備は出来ているつもりだが精神面ではどうだろう。
焦り、不安、恐怖、生きる希望もない。
現状、義母のいろいろで私は精神を掻き乱されてはいるが、没後を思うとそれ以上の精神不安に陥りそうで一層気持ちが下を向いてしまうのだ。