義母が夫の母でなければよい関係でいられたのか
義実家とは
最近SNSなどで「義実家」という言葉をよく見かける。たぶん私が嫁いだ35年前にはそんな言葉はなかったと思う。知らんけど。
義母義父義兄義姉などは使われていたのだから「義実家」があっても不思議はない。初めて聞いたときも意味はすぐにわかった。
Twitter(現X)で見る義実家話はたいていネガティブキャンペーンの悪口三昧。もう「義」が付いてるやつはすべて悪なのよ。
その「義」の集結が「義実家」であり、とにかく義実家は悪の巣窟なのだ。義母&義父を筆頭にたまに悪どい義きょうだいもいたりして。
でもやっぱり圧倒的に群を抜いて義母は嫌われている。
だって元来、女は悪だもの。「性悪女(しょうわるおんな)」とか「女の腐ったやつ」とか、「女」ってそもそも裏があり腹黒い(笑)義じゃなくったって女同士の人間関係ってややこしいのに他人がいきなり身内になるんだから。
しかも選択の余地なし!義は否応なしに夫に(ほぼ)もれなくついてくる。
自分も“義母”に
ところで、義母の悪口言ってる(私を含む)お嫁さんの中には将来「義母(姑)」になりうる人もきっといるはず。
息子を持つ母親
かく言う私もそれ。というか既に義母になっている。
まだ一人にとっての義母だけど、もしかしたらMAX三人にとっての義母になる可能性がある。嫌われ罵られる可能性も3倍(笑)
私としては今のところ嫁義母の間柄は険悪ではないと思っている。だってお嫁さんにものすごく気を遣っているから。もちろん結婚してからはその配偶者である息子にも他人並みの気遣いをしている。
息子世帯(主にお嫁さん)に対して私が心掛けていることは
▶こちらからは決して連絡しない。(緊急時を除く。ただし、まだ緊急な用件があったことはない。)
▶金は出すけど口は出さない。
▶子育てについて、我が子のときと比較しない。また、「昔はこうだった」などと言わない。
▶孫の外見や長所がお嫁さんに似ているね、と声かけする。間違っても自分たち(じじばば)に似ているなどと言わない。
これらはすべて私自身が義母にされて苦痛だったことを列挙したもの。
特に我慢ならなかったのは、3番目と4番目!
昭和ひと桁生まれ義母の執着にブチギレ
30数年前、私が22歳で長男を産んだときのこと。
昔人間の義母は私が産んだ赤ん坊が男の子であったことをしきりに喜んだ。天皇家ならいざ知らず、民間人の家督相続制なんてとうの昔に廃止されてるよ。
今の時代は持つなら娘。社会的にも家族の中でも地位が格段に向上した「女性」。娘と仲が良ければ女の子の方が結婚してからも快く実家に孫を連れて来てくれるだろうし、自分の老後も放っておかれて孤独死なんてことはないだろう。
でも昔人間の義母は「五体満足の男の子」の誕生に鼻高々。もちろん私への労いは一切ない。あのーその子産んだの私ですけどー!
まあ理由はどうであれ喜んでくれているのだからこれはまだいい。
私の精神崩壊させたのは、義母が母乳での育児に「超」執着していたこと。
昭和30年代、義母自身の産後は赤ん坊が飲みきれないくらい溢れんばかりの母乳が出ていたとの自慢話。あまりに出すぎるもんだから搾乳して捨てていたとも。これは私が妊娠中何度も繰り返し聞かされた話である。母親なら母乳が出て当たり前、子供は母乳で育ててなんぼ、みたいな持論を義母は出産を控えた私に淀みなく繰り返し話すのだ。妊娠中そんな話を聞かされ続けた私は、出産への恐怖以上にもしも母乳の出が悪かったら…と、そこばかり気にするようになっていた。
その後十月十日ちょい過ぎて無事出産した私は義実家で産後を過ごすことになったわけだが出来るならこの選択はしないほうが精神衛生上よい。(私は帰る実家がないので仕方なく)
義母は私が授乳の度に私の真横に座り接近して長男の母乳を飲んでいる口元を至近距離でじっと覗き込む。自分のときは母乳が出過ぎて赤ん坊の口の端に母乳が溢れてよくむせていたが私のはそれがない、母乳が出ていないのではないかと、授乳の度に言ってきた。
出産経験がある方なら気持ちを察していただけると思うが、初めての出産の後、自分の母乳がちゃんと出ているかどうか、そこは母親自身が誰より1番気になっていてかなり神経質になっている。
そんな不安要素を抱えながら心身共に普通の状態でないときに1番デリケートな母乳問題にあそこまで踏み込む無神経さ。母乳が思うように出なくてやむを得ず人工乳を選択しようものならたちまちダメ母のレッテルを貼る勢い。
そしてそんなイライラのまま産後3週間くらい経ったある日のこと、夜中のおむつ替えの後、手を洗いに台所に行ったとき、テーブルの上にでっかいミルクの缶が置いてあるのを発見。
それまで一生懸命母乳を与えてていた私はかなりのショックで、腹立たしさと悔しさも相まって私はとうとう“プチン”とキレてしまった。義母は母乳が出てないと勝手に決めつけて私に何の断りもなく買ってきたのだ。
夜中にもかかわらず義母の寝室に行き、私が激しくまくし立てたことを今90歳の義母は覚えているだろうか。
別に認知症の心配があるわけじゃない。
義母は若い頃から自分の言動が相手を傷つけているとは微塵も思わない人。こんなこと言ったら相手がどう思うかとか全く考えない。よく言えば裏表がなくポジティブ、悪く言えばただの無神経。
性格なんてそうそう変えられるもんじゃない。だからいまだに相変わらず人を怒らせることを平気で繰り返せるんだろうな。
夫似ではなく義母似ってなによ💢
もうひとつ、子供を産んでから違和感・不快感がある義母の言葉。
私には息子が3人いるがいずれも私と夫との間に生まれた子供たち。
いえ、私が不貞をはたらいたとかいう意味ではなく、義母は何かにつけ我が息子たちについて「ばあちゃん似」と言うのだ。
夫に似ているというならまだしも何で直に義母なんよ?確かに夫は腹が立つくらい外見も体質も母親似。逆に義父の要素が無さすぎてどれだけ義母の遺伝子強いんかいって思うくらい。だから義母に似ている部分もあるかもしれないが、我が子がダイレクトに義母に似ているとか言われて嬉しい嫁はいない(はず)。
しかも、どう考えても私の遺伝子だろと思うことまで、ばあちゃん似だと言い張る。わが息子(私の夫)に似ているとも言わない。ただひたすら孫は“ばあちゃん似”だと譲らない。
一体誰得でそんなことを言っているのか?これを言われる度に私がとても不愉快に思っていることに全く気づいてもいない。
悪気がない方がタチが悪い
まあ散々義母のダメ出ししておきながら言うのもなんですが。
義母って十把一からげに「悪」ということにされているけど、義母になる前はただの女なわけで、聖人じゃないんだからいろいろ不備があって当たり前なんだよな、と自分が義母の立場になってから気づいた。
義母は年長者だから嫁より人間が出来ていて当然というのが前提になっていて、人としての評価も最初からそこが基準になっているもんだからちょっとしたダメポイントにも嫁は過剰反応しがち。
うちの義母の場合、私の癪に障るような言動が多々あるものの、それらがすべて悪気がないことに気づいたのは結婚して数年経ってから。
洗礼を受けた一発目、今でも覚えているのは、私の手料理を振る舞ったときの誉め(?)言葉
「久しぶりに食べるから美味しい」
「熱いから美味しい」
「腹が減ってるから美味しい」
これは義母本人の側の理由であり、全く私の料理を誉めてない。これを聞いたら誰でも嫌味にしか受け取らないのに、当の本人はバリバリ誉めたつもりなのだからタチが悪い。
嫌味や意地悪で故意の言動なら私だって黙っちゃいないし負けちゃいない。
だが、相手に悪気がない場合、まずはそれが相手を傷つける言動であることから説明しないといけなくなり、間延びして拍子抜けしてしまう。
でも、悪気がなければ許されるわけでもないし、腹が立たないわけでもない!
だから、この30数年苛立ちながら耐えてきたのだ。何か普通に怒るよりしんどい。
もしも義母が職場の先輩だったら、近所のおばちゃんだったら
で、やっと本題だが、義母ってだけで最初からマイナススタートなんだけど、実はその肩書きが違ったらどうだろう。
あくまでもうちの場合ね。
ん~~~
そもそもワタシ無神経な人はダメなんです。
職場の先輩・上司だったら関わりを避けられないので仕方なく最低限の人間関係を維持するだろうけどそれ以上はないな。
近所のおばちゃんだったら?
これまた無視は出来ないので差し障りのないうわべの付き合いをするかな。
結局ダメなんかいっ(笑)
ただ、わかったことは、義母だからダメだってことではなく、義母の人間性が嫌いだということ。もしも違う人が義母だったらいい関係性が築けたんじゃないかと。
まあ、夫を産み育てた人なんだから通じる部分もあって当然だし。
繰り返しになるけど、自分も義母になってみて、お嫁さんからどう思われてるかってすごく気になるし、義母ってだけで嫌いにならないでほしいとも思う。
お嫁さんと仲良くしたいのも偽りのないホンネ
嫁から義母への感情より、義母から嫁のほうがそこまでこだわりがない。
だから、気安く距離感間違える義母がお嫁さんをドン引きさせたり、義母憎しで疎遠になったりしているんだろう。
これから私はどんな義母になろうか
ここまで情報網が発達してなかった頃の一昔前の嫁は、義母の仕打ちにたった一人で堪え忍んでいたんだろうけど、今の時代は違う。堪え忍ぶくらいなら義実家とは縁を断ち切るくらいの行動力が嫁に備わっている。私はそれだけは避けたいからとにかく過干渉にならない。
私ら60年代生まれが一番損な世代だ。
私が結婚してわが息子が結婚するまでに世の中が激変してしまった。
自分が嫁時代は義母の理不尽に堪え、
自分が義母の立場になったら嫁に逆らえず。
義母の老後の面倒、介護は当たり前
なのに自分の老後は…
動けるうちに自分自身で最期まで計画的に。
決して息子世帯に助けを求めては行けない。
嫁として、義母が死ぬまでは私の自由はない。
これから先義母が生きてる年数だけ
私の老後が食い潰されていく。
やっと義母から自由になったときには今度は自分の体の自由が利かなくなっている。
あー、何か虚しすぎやしないか!
次は自分の人生終い
私は、私が死んだときに息子たちやその家族に泣いてもらいたい。
やっと死んでくれた、と安堵されたくない。
死んで喜ばれたらそれまでの人生を否定されたようなものだ。
子供は老後の自分の面倒を看させるための人員じゃない。
子供を産み育てたのは私の人生の一部分
私の一番大切な一番輝いていたときの思い出
このことをいつも念頭に置いて
夫の母のように、子供がやって当たり前、してもらって当たり前、という思考を持たない。
子供たちには子供たちの人生がある
自分が義母からされて嫌だったことはしない
今後生きている間、嫌われない義母を試行錯誤していく。
そして自分の葬式で見事みんなに泣いてもらえたらミッションコンプリートなのだ(^-^)